/ 選手強化 / TEAM JAPAN DIARY
TEAM JAPAN DIARY

バンクーバー 〜あの感動を再び!

< | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | >

2010/02/22

5位入賞の小平、満足の笑顔〜スピードスケート 女子1500m 決勝

文:折山淑美

ゴールした小平奈緒は、3種目目にしてやっとガッツポーズをした。それは彼女が「喜び方はよくわからないから」と言ってたように、顔の前で2〜3度こぶしを小さく握るだけのつつましいものだったが。

「思ったより記録が出ていたのと、頭の中でイメージした通りのラップで回ることができたので。それに最後のストレートでも、体がグチャグチャになるくらいまで滑れたので、ついガッツポーズをしてしまいました」と照れながら答える。

1_5
初めてのオリンピックで、2種目に入賞した小平選手(写真提供:フォート・キシモト)

2月21日、スピードスケート女子1500m。第13組目で1分58秒20を出し、その時点では首位に立った小平だが、次の組のブア(オランダ)には0秒10上回られて2位に落ちた。さらにはブスト(オランダ)や、サブリコワ(チェコ)、グローブス(カナダ)と、ワールドカップでは上位の常連になっている選手たちには抜かれて5位に順位を落とした。しかし最終組出場の、ワールドカップ1500mで2勝してこの大会でも1000mを制しているネスビット(カナダ)が1分58秒33に終わり、1000mと同じ5位を確保したのだ。

続きを読む »

2010/02/22

劇的勝利と惜敗。気持ちを切り替え、残り3戦へ〜カーリング 女子 予選

文:松原孝臣

激しい1日だった。

2月21日、カーリング日本代表は、ロシア、ドイツと対戦。競り合う中で、1勝1敗の結果を残した。

まず最初に行なわれたのは、午前9時からのロシア戦。第4、第5エンドに3点ずつ奪われ、6点のリードを奪われる。

「ここから勝てるとは思いませんでした」と、阿部晋也監督が振り返ったように、通常ならこのまま敗れていておかしくない点差だ。

第6エンドに3点を返すと、続く第7エンドには、リードの石崎琴美に代えて山浦麻葉を投入し、セカンドの本橋麻里、サードの近江谷杏菜のポジションを入れ替える。試合中にメンバーを変えるなど、極めて異例のことだ。山浦自身の、「準備も何もしていなくて着替えるのに精一杯でした」という言葉が、それを物語る。

その異例な手を打ったことが、チームの雰囲気を変えた。

1_4
メンバーチェンジが功を奏したロシア戦。
(左から)山浦選手、本橋選手、近江谷選手、目黒選手(写真提供:共同通信)

続きを読む »

2010/02/22

選手をあと押しする地元の応援

文:高樹ミナ

「ファンの皆さんの応援が力になる」。選手たちからよく聞く言葉です。あるオリンピアンはスキーのジャンプ台の上から、知っている人の姿が見えるといいます。にわかに信じがたい話ですが、どうやら自分を応援してくれる人のエネルギーは選手たちにしっかり届くようなのです。

バンクーバーオリンピック大会2日目に行われたスキー・フリースタイル 男子モーグルで、カナダのビロドー選手が、カナダ開催のオリンピックで初の金メダルをもたらしました。カナダでは1976年にモントリオール大会、1988年にカルガリー冬季大会が行われていますが、金メダルはひとつも獲得できず。それだけにビロドー選手の快挙はカナダ国民を沸かせました。

前日には女子モーグルでも、トリノ大会の金メダリストであるハイル選手が銀メダルを獲得しましたが、一方では隣国アメリカも男女あわせて3人がメダルを手にしました。女子ではカーニーが金、バーク選手が銅、男子ではウィルソン選手が銅と、6個のうち5個のメダルを北米大陸が占めたのです。

続きを読む »

2010/02/22

橋本団長らが中間総括会見「みんなの声援が届いた」

大会も10日目となった21日、橋本聖子団長、笠谷幸生副団長、鈴木惠一総監督らが、ジャパンハウスで中間総括会見を開きました。橋本団長は冒頭に、練習中に事故死したグルジアの選手への追悼を述べ、続いて各競技の活躍や状況について報告。「銀1、銅2、入賞14といい状況で前半を終わることができ、みなさんの声援が届いたと思います」と前半戦を総括しました。

Hashimoto会見する橋本団長ら

メダルを獲得した長島圭一郎選手、加藤条治選手は、予定を変更して最終日まで残ることを伝え、「2人は今まで以上に他の選手への気配りが見られ、最後まで応援をすることになりました」と話した。高橋大輔選手については「4回転ジャンプに挑み、失敗は残念でしたが、果敢に攻めた姿は感動をよびました。敬意を表したいです」とたたえました。

また入賞した各選手も賞賛。「上村愛子選手は、4大会で7654位と結果を出し、素晴らしいこと。里谷多英選手も、金、銅に続く3つ目のメダルに挑んだ精神が感動を呼びました。男子フィギュアは3選手とも入賞したことで、今後のフィギュアスケート界に明るい材料になりました」と話しました。

また後半戦については、「スピードスケートのチームパシュートや、女子フィギュアスケート、3勝目を果たしましたカーリング、ノルディック複合団体へも期待が高まります。なんとしてもメダル獲得に向けて全力で一丸となりたいです」と、メダルへの意欲を語りました。

戦いも残すところあと8日間。チームジャパン一丸となって応援しましょう! (JOC広報チーム)

2010/02/21

鈴木、小林組が難コースに挑戦〜ボブスレー 男子2人乗り

文:折山淑美

リュージュとスケルトンが終了したウィスラー・スライディング・センター。2月20日からはボブスレーが開始された。

日本はこの大会、オリンピック出場が4回目となる鈴木寛がパイロット、トリノに続き2回目の出場となる小林竜一がブレーカーを務める男子2人乗りと、4人乗り。小林同様、トリノに続く出場となる桧野真奈美がパイロットの女子2人乗りに出場。初日は男子2人乗りで戦いの幕を開けた。

1_3
ボブスレーチームの先陣を切って登場した、鈴木、小林選手組(写真提供:共同通信)

続きを読む »

2010/02/21

女子フィギュアスケートまであと3日! 3選手が会見

大注目の女子フィギュアスケート、ショートプログラムまであと3日となった20日、浅田真央、鈴木明子、安藤美姫の3選手がバンクーバーに集結! 会見でそれぞれの意欲を語りました。

3nin笑顔の3選手(提供:アフロスポーツ)

今回のオリンピック参加女子選手のなかで唯一トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を持つ浅田選手は、ジャンプの成功に注目が集まります。「ショートプログラムで1本とフリースケーティングで2本のトリプルアクセルを決められるように練習してきました。四大陸選手権の時よりも確率は良くなっています」とジャンプへの自信を見せました。

Aflo0006kd_20100220_0258浅田選手(提供:アフロスポーツ)

また熾烈な代表争いのなか3枚目の切符を勝ち取った鈴木選手は、病気で一年間競技から離れたことについて質問され、「競技に復帰した当初は、この場にいる自分を想像も出来ませんでした。周りの人が背中を押してくれてここまで一歩ずつたどり着きました。すべての出来事はいまここに自分がいるためにあったと思えます」と話し、笑顔を見せました。

Aflo0006kd_20100220_0260鈴木選手(提供:アフロスポーツ)

オリンピック2度目の出場となる安藤選手は、「トリノの時と違って、バンクーバーに入ってからも自分のペースで練習出来ています。トリノでは国旗を背負って出場する責任感や幸せを感じることができなかったので、今回は日本の代表として、支えてくれる方々への感謝の気持ちを演技にこめたいです」と、今大会にかける意気込みを感じさせました。

Aflo0006kd_20100220_0268安藤選手(提供:アフロスポーツ)

また目標について、浅田選手は「ショートプログラムが重要。すべてクリーンにしっかり滑りたいです」、鈴木選手は「競技なので順位や得点は大切だけど、自分自身のスケートが人に伝わる演技をしたいです」、安藤選手は「一人でも多くの人の心に残る演技が目標。そうすれば順位がついてくると思います」と、それぞれの胸の内を語りました。

Aflo0006kd_20100220_0383活躍を誓う3選手(提供:アフロスポーツ)

ショートプログラムは23日(日本時間24日)、フリースケーティングは25日(日本時間26日)に行われます。トリノオリンピックでは荒川静香さんが逆転の金メダルを獲得した、日本のお家芸とも言われる女子フィギュアスケート。みんなで熱いエールを送りましょう! (JOC広報チーム)

2010/02/21

オリンピック競技をバーチャル体験「O/ZONE」

オリンピック競技やカナダ文化を身近に体験できるイベント会場「O/ZONE」(オーゾーン)が、バンクーバーの隣町リッチモンドにオープンし、人気を集めています。すべての施設が無料で体験でき、スポーツや芸術、食文化に触れる絶好のチャンス! さっそく足を伸ばしてみました。

Tv
芝生に寝転びながら、大画面TVでオリンピックを観戦




O/ZONE」は、カナダラインの終点リッチモンド・ブリッグハウス駅から徒歩約3分。リッチモンドシティーセンター内にあります。ボブスレーなどのオリンピック競技をバーチャル体験できる施設や屋外スケートリンク、子供用のアスレチックジムなどスポーツ施設が充実。芝生の広場に設置された大型スクリーンでは、その日の試合をライブ中継しています。そのほかカキの養殖や植林などカナダの産業を紹介する施設や、日替わりのイベントもあり、一日遊べるテーマパークになっています。

Jimアスレチックで大はしゃぎ

また、オーゾーン内には、「ホーランドハウス」(オランダ館)もオープン。こちらでは無料でビールが試飲できるほか、オランダの自転車を貸し出していて、徒歩では30分近くかかるスピードスケート会場「リッチモンドオーバル」へ自転車で行くことが出来るそうです。

Oranda2ホーランドハウス

どの施設もここでしか体験できない面白いものばかりですが、やはり一番人気は、オリンピック競技を体験できる「BCLC 2010 Games Dome」。ボブスレー、アイスホッケー、バイアスロンの3競技があります。たとえばボブスレー。椅子に座って大きなヘルメットをかぶると、映像が目の前に映し出されます。まずコーチが登場し「君の運転に金メダルがかかっている。全力で行け!」とエールを送られゲームはスタート! 冷たい風と砕けた氷が顔に吹き付けられ、まるで風を切って滑っているかのような感触。左右にうねるコースは迫力満点です! 写真入の選手IDを発行してもらえるので記念になりますね。

BobボブスレーBaiバイアスロンHockeyアイスホッケーId_2選手IDを発行され笑顔の子

O/ZONE」は228日まで。観戦するだけがオリンピックではありません。「O/ZONE」で、オリンピックをそしてカナダを感じて、盛り上がりましょう! (JOC広報チーム)

開館時間は毎日違うので、公式サイトでチェック!

2010/02/20

メダリスト3人が会見「応援してくれたすべての人に見せたい!」(ムービーメッセージ付)

スピードスケートとフィギュアスケートのメダリスト3人が、それぞれの競技を終え19日、ジャパンハウスで会見! 髙橋大輔選手(フィギュアスケート/銅メダル)は一夜明け、長島圭一郎選手(スピード男子500m/銀メダル)と加藤条治選手(同/銅メダル)はメダル獲得から4日目となり、みなさん緊張感から解放。笑顔あふれる会見となりました。

3nin_2
オリンピックのメダリストとなった3選手が、笑顔で会見

加藤選手は開口一番、「今は、レースのことを考えると悔しくて、応援してくださった方の喜ぶのを見てうれしくなって、感情が入れ替わり立ち代りしています」と、銅メダルの複雑な心境を語ります。長島選手は「ワガママと見られたかも知れないが自分のペースを守ったことが良かった」と満足そう。髙橋選手は「前回のオリンピックで荒川(静香)さんが楽しんでいる空気を近くにいて感じ取れていたので、自分も楽しもうと思えました」と前夜の演技を振り返りました。

誰にメダルを見せたいかという質問には、3人ともそろって「応援してくださったすべての人、支えてくれたすべての人に見せたい」と声をそろえ、長島選手と加藤選手は「支えてくれた日本電産サンキョーの永守(重信)会長に見せたい」、髙橋選手は「あとは両親に!」と、それぞれの感謝の気持ちを言葉にしました。

01_3 02_3 03_3
(左から)
同種目での2大会ぶりとなる銀メダルを手に、笑顔を見せる長島選手
前回のトリノ大会では6位と、あと一歩でメダルを逃した加藤選手は、銅メダルを獲得
日本男子フィギュアスケート初となる銅メダルを獲得した、髙橋選手
(写真提供:フォート・キシモト)

また清水宏保さんが引退したことについて、長島選手は「僕たちの世代が楽に世界で戦えるようにして下さったお陰で、今回のメダルが取れました。感謝しています」、加藤選手は「僕の目標であったし今もまだ超えられない。スケート界を引っ張って次の世代を育ててくれました。お疲れ様といいたいです」と胸がいっぱいの様子で語りました。

■長島圭一郎選手ムービーメッセージ 00:23

■加藤条治選手ムービーメッセージ 00:39

■髙橋大輔選手ムービーメッセージ 00:31

長島選手、加藤選手、髙橋選手、おめでとうございます! 大会もあと9日。これから試合を迎える選手たちが、3選手の活躍に続くよう応援しましょう。 (JOC広報チーム)

2010/02/20

髙橋大輔選手、フィギュア日本男子の「道」を作った銅メダル

目に見える幸せというのは、人生の中でも本当に少ないものだと思います。少なくとも、218日(日本時間219日)、男子フィギュアスケートの演技を固唾を呑んで見守ったすべての人が、表彰式で銅メダルを首にかけられる瞬間を見て、その幸せを分かち合ったのではないでしょうか。髙橋大輔選手のこの銅メダルは、長い日本フィギュアスケートの歴史のなかで、多くの関係者やファンの力でたどりついたメダルでした。T1 表彰台に立った髙橋選手(提供:アフロスポーツ)

 

1932年のレークプラシッドオリンピックに参加してから、日本のフィギュアスケートは、メダルに向けた長い戦いを始めました。フィギュアスケート界に“JAPAN”の存在を印象付けた先駆者は、伊藤みどりさんです。1988年、このバンクーバーから程近いカルガリーで行われたオリンピックで、当時の女子は3回転ジャンプが2種類あれば優勝できた時代に、5種類を成功。カナダの新聞の一面を飾ったのは、優勝したカタリーナ・ビットではなく、Midori Itoだったのです。これが、世界が日本を脅威として認めた最初の大会でした。

 

そして1992年のアルベールビルオリンピックでみどりさんが銀メダルを獲得。これを契機に、日本スケート連盟はフィギュアスケートの育成を強化します。長野県野辺山での小中学生の早期育成(有望新人発掘合宿)をスタートすると、その第一期生が荒川静香さんでした。技術面はレベルが上がり、次に表現面での評価を伸ばすためにと、本田武史さんを始めとする有望選手を海外のコーチの元へ送り、メダルを狙った強化の方針を続けてきたのです。この時期、すでに多くのメダリストを輩出していたスピード部門が、スケート連盟の強化資金を支えていたことも忘れてはなりません。

T2ジャッジにアピールする髙橋選手(提供:アフロスポーツ)

 

さらに、採点競技であるフィギュアスケートは、国際スケート連盟(ISU)への影響力を強めることも必要です。毎年のルール改正に関わるISU委員を送り出し、国際大会の採点に加われるレベルの高いジャッジを育成し、日本に不利な流れを作らないための努力を重ねてきました。そして今回、この男子シングルの9人のジャッジには、アメリカやカナダ、ロシアなどに混ざり日本も加わっていたのです。

 

もちろん選手自身を支えた人たちの努力もあります。髙橋選手をジュニアのころから二人三脚で育ててきた母のような長光歌子コーチ。表現力という才能を開花させ自信を与えたニコライ・モロゾフコーチ、そして右足の手術後に苦しいリハビリを支えたドクターやトレーナー。チーム髙橋の万全な体制は、技術だけでなく精神面も成長させてきました。

T3長光コーチと得点を待つ(提供:アフロスポーツ)

 

そうして迎えたこの日、会場の360度に日の丸が揺れていました。日本からのファンの多くが高額なチケットを苦労して入手し、この会場へとやって来ていたのです。アメリカとカナダの選手への熱い声援の次に大きかったのは、紛れもなく日本。「大ちゃーん」の声援は、まるでホームの試合かのような温かい空気を作り出していました。

 

この多くの思いを背負い氷に立った髙橋選手。それは歴史に名を刻むに値する、素晴らしい滑りでした。ショートプログラムでは、1位と0.6点差の3位で、45位には約5点差。4回転ジャンプを回避してメダルを狙う安全策もあったでしょう。しかし怪我をする前は4回転ジャンプを2本成功させていた意地があります。手術後、4回転の精度は完全には戻っていませんでしたが、あえて挑戦することで金メダルを狙う強い意志を伝えました。結果は転倒。でもその挑戦心が髙橋選手の背中を押します。後半になるにつれスケーティングのスピードがグングン上がると、ストレートラインステップでは、高い技術だけでなく、曲の盛り上がりに合わせて力強さが増していく情熱的な演技を披露。ステップの途中から、会場からは地鳴りのような感嘆の声が響き渡りました。

 

ジャンプでのミスが響き、技術面のエレメンツスコアは伸びなかったものの、表現面を評価するプログラムコンポーネンツは84.51位。なんと日本選手が、技術ではなく表現面の評価で銅メダルをつかんだのです。4回転が決まっていれば金メダル、という声もあるでしょう。しかしこの見えない壁を破るためにかかった78年間を考えれば、価値のあるメダルでした。

 

小柄な日本人が氷に立っただけで点が出ないといわれた時代もありました。しかし表彰台で188cm178cm2人と肩を並べた、165cmの髙橋選手は、氷の上では決して小さくは見えませんでした。この日のプログラムは、イタリア映画の「道」。喜怒哀楽を表現したいと言っていた髙橋選手の言葉通り、たくさんの人の思いが詰まった「道」を演じ、フィギュアスケートの未来に続く「道」を刻んだのです。 (JOC広報チーム)

 

2010/02/19

立て直しに成功の小平奈緒、5位入賞〜スピードスケート 女子1000m 決勝

文:松原孝臣

2月18日、リッチモンド・オリンピック・オーバルで行なわれたスケート・スピードスケート 女子1000mの決勝は、日本から出場した4人の選手にとって、四者四様、表情の分かれる試合となった。

この日、日本選手最上位の結果を残したのが小平奈緒。15組目に登場した小平は、スタートすると、伸びのよい滑りを見せる。最後の直線でも切れは失われず、1分16秒80でゴール。この時点で2位につけ、その後3人に抜かれたものの、5位入賞を果たした。

3位とのタイム差はわずかに0.08秒差。
「100分の8秒が悔しいですね」

小平はそう語りつつも、「滑りたいように滑ることができました」と、納得の表情を見せた。

1_31_2
「力を出し切れた」と笑顔の小平選手(写真提供:共同通信)

続きを読む »

< | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | >

CALENDAR

2011 / 03
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31