北京2008
見どころ
(1)今大会の目標、チームの特徴
昨年9月の世界選手権(オリンピック予選第1ステージ)、今年3月のアジア選手権(同第2ステージ)、4〜5月に行われた各スタイル2度のオリンピック予選(同最終ステージ)を経て、男子は14階級中6階級、女子は4階級すべての合計10階級で北京オリンピックに挑む。出場選手は下記の通り。
【女子】
・48kg級:伊調千春(ALSOK綜合警備保障)= 2004アテネ大会に続く出場
・55kg級:吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)= 2004アテネ大会に続く出場
・63kg級:伊調馨(ALSOK綜合警備保障)= 2004アテネ大会に続く出場
・72kg級:浜口京子(ジャパンビバレッジ)= 2004アテネ大会に続く出場
【男子グレコローマン】
・60kg級:笹本睦(ALSOK綜合警備保障)= 2000シドニー大会、2004アテネ大会に続く出場
・84kg級:松本慎吾(一宮運輸)= 2004アテネ大会に続く出場
・96kg級:加藤賢三(自衛隊)= 2004アテネ大会に続く出場
【男子フリースタイル】
・55kg級 松永共広(ALSOK綜合警備保障)= オリンピック初出場
・60kg級 湯元健一(日体大助手)= オリンピック初出場
・66kg級 池松和彦(K−POWERS)= 2004アテネ大会に続く出場
日本レスリング協会の富山英明強化委員長の掲げた目標は「女子で金4個、男子で各スタイル金1個の計6個の金メダル」。
女子は4階級とも2004年アテネオリンピックと同じ選手が出場する。アテネ大会では「金2・銀1・同1」であり、今回の全階級制覇の目標は決して不可能なことではない。
アテネ大会銀メダルの48kg級の伊調千春は2006・07年の世界選手権で優勝し、この階級の第一人者を確立。2007年世界選手権ではアテネ大会決勝で敗れた相手にリベンジしての価値ある優勝だった。
55kg級の吉田沙保里と63kg級の伊調馨の2人はアテネ大会を含めて6年連続世界一に輝いている。吉田は今年1月のワールドカップでマルシー・バンデュセン(米国)に敗れ、6年以上にわたって続けていた連勝記録がストップしたが、3月のアジア選手権で優勝し、再スタートを切った。伊調馨2003年以降、実際に闘った試合で負けはなく(不戦敗1試合あり)、世界で最も安定している選手。けがなどのアクシデントさせなければ、かなりの確率で金メダルが期待される。
72kg級の浜口京子は過去5度の世界選手権優勝の実績を持つ。アテネ大会銅メダルのあと、世界選手権は2005年2位、2006年2位、2007年9位と世界一をはずれてしまったが、2007年アジア選手権ではアテネ大会金メダリストの王旭(中国)を破るなど、世界トップクラスを維持。2006〜08年に3年連続でアジア・チャンピオンに輝いており、金メダル圏内にいることは間違いない。
男子は、グレコローマン、フリースタイルとも3階級ずつ出場する。
グレコローマン60kg級の笹本睦は2000年シドニーオリンピックから3度連続のオリンピック出場。シドニー大会は8位、アテネ大会は5位と順位を上げた。アテネ大会のあとは、2006年ドーハアジア大会で金メダルを取り、2007年世界選手権ではアテネ大会金メダルの韓国選手を破るなどして2位。今年6月の「ドイツ・グランプリ」ではアテネ大会2位のキューバ選手を破っており、昇り調子で北京オリンピックを迎える。
笹本と日体大の同期で84kg級の松本慎吾は、アテネ大会に続いてのオリンピックのマット。2002年の釜山アジア大会で日本男子唯一の金メダルを獲得したあと、日本チームを引っ張ってきた。アテネ大会は7位。その後の世界選手権で2005年8位、2006年9位。2007年世界選手権は前年3位の選手に惜敗して順位を大きく下げたが、2008年アジア選手権で優勝する実力を見せた。6月の「ドイツ・グランプリ」では、2005年の世界チャンピオンを破っており、笹本同様、上昇ムードで北京オリンピックへ向かう。
96kg級の加藤賢三は意地のオリンピック出場だ。重量級は世界でなかなか結果を出せないため、日本レスリング協会は2006年から冬の海外遠征で重量級をカットしてきた。同年12月のアジア大会も、日本オリンピック委員会の少数精鋭の方針のもと、日本一になりながらも派遣を認められないなど悔しい思いをしてきた。こうした中、2006年世界選手権で11位に食い込み、2007年世界選手権では5位に入賞し、いち早くオリンピック出場権を獲得。あと一歩の壁を乗り越えれば決勝進出もできた内容は、それまでの屈辱を一気にはね返した形となった。重量級の完全復権をかけての北京のマットとなる。
フリースタイルでは、66kg級の池松和彦が2003年世界選手権3位、アテネ大会5位という実績を持つ。アテネ大会後、国内で負けることも多く、2007年アジア選手権では5位など結果を出せない時期もあった。しかし最後は国内予選を勝ち抜き、今年3月のアジア選手権でオリンピック出場権を獲得。ベテランらしい試合運びに期待が持てる。6月の欧州遠征では、「グレート・ブリテン・カップ」で優勝し、「ドイツ・グランプリ」で2位。世界の舞台で勝つ味を思い出し、いい状況で北京オリンピックへ臨めそうだ。
池松とともに好成績が期待されるのは、55kg級の松永共広。2005年世界選手権5位の実績を持つほか、2002年世界学生選手権優勝以来、大小合わせた国際大会で8度の優勝を経験している。昨年の世界選手権では2003・05年世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)に惜敗し上位入賞を逃したが、マンスロフと互角近くに闘える実力は、メダル候補と考えていいだろう。
60kg級の湯元健一は国内のし烈なオリンピック代表争いがあり、6月25日にようやく日本代表に決まった。今年5月の北京オリンピック予選最終戦で優勝してオリンピック出場権を獲得したものの、全日本選手権2位の選手だったため国内でもう1度代表争いをしなければならず、それを勝ち抜いての北京行きキップの獲得。し烈な闘いを勝ち抜いた精神力に期待がかかる。
(2)各階級の展望
【女子48kg級】
2004年アテネオリンピック銀メダリストで2006・07年世界チャンピオンの伊調千春と、アテネ大会金メダリストで2000・01・03年世界チャンピオンのイリーナ・メルレニ(旧姓メルニク)の2人が双璧。昨年の世界選手権決勝でアテネ大会決勝以来に顔を合わせた両者は、伊調が大接戦をものにし、アテネ大会のリベンジを果たした。
しかしメルレニは出産で1年以上マットを離れており、世界選手権の半年前に復帰したばかり。十分に練習を積んだ今回が決着戦と言えるだろう。
2005年世界選手権決勝でメルレニを破って優勝した任雪層は、2006年世界選手権と2008年アジア選手権で伊調に連敗するなど、実力は一段落ちる。中国からは昨年世界3位の黎笑媚が出てくる可能性もあるが、伊調が2連勝している相手で、やはり怖い存在ではない。
2006年と07年に世界ジュニア・チャンピオンになったソフィア・マットソン(スウェーデン)、2008年欧州チャンピオンのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)の若手選手に将来性があり、この1年間の成長次第では伊調やメルレニを苦しめる選手になる可能性はある。一気に牙城を崩すことができるか。
【女子55kg級】
アテネオリンピックを含めて6年連続で世界一になっている吉田沙保里が他選手を大きく引き離している状況。対抗の一番手と思われた3年連続欧州チャンピオンで昨年世界3位のナタリア・ゴルツ(ロシア)は国内の予選で負け、51kg級で闘っており昨年世界9位のナタリア・スミルノバが出てくるとの情報がある。ゴルツよりくみしやすいのではないか。
今年1月のワールドカップで吉田に土をつけたマルシー・バンデュセン(米国)は、昨年の世界選手権10位、今年3月のパンアメリカン選手権2位と、ずば抜けた選手ではない。油断は禁物だが、地力は吉田の方がはるか上であろう。
他に、アテネ大会にはロシアから出場した2006年ドーハアジア大会2位のオルガ・スミルノバ(カザフスタン)、59kg級で2006・07年に欧州チャンピオンになっているイダテレス・ネレル(旧姓カールドン)、アテネオリンピック決勝で吉田と顔を合わせたトーニャ・バービック(カナダ)らが上位を狙う力がありそうだ。
【女子63kg級】
アテネオリンピックを含めて世界一を6年間キープしている伊調馨の強さはずば抜けている。昨年の世界選手権決勝を争ったエレーナ・シャリギナ(カザフスタン)には、今年3月のアジア選手権でも対戦し2−1で勝って連勝した。伊調から1ピリオドであっても取れる選手はそう多くはいない現状からすれば、一番の敵となるか。
他に、今年の欧州チャンピオンのアレナ・カルタショバ(ロシア)、67kg級で2005〜07年に世界2位だったマルティン・デュグライナー(カナダ)らが注意すべき選手。
米国からはアテネ大会決勝で伊調に敗れ、その後も米国代表だったサラ・マクマンが国内予選で敗れ、ランディー・ミラーが出場してくる。これまで伊調との対戦はない。マクマンを引きずり落とした新顔がどう伊調に挑むか。
【女子72kg級】
スタンカ・ズラテバ(ブルガリア)が2006・07年の世界選手権を制しており、その他にも欧州選手権で3年連続優勝や他の国際大会ででも優勝するなど、向かうところ敵なしの快進撃を続けている。アテネオリンピックでの対戦で勝って2戦2勝だった浜口京子も、2006・07年の世界選手権では敗れている。
しかし、2006年は反則の頭突きを見逃されての敗戦であり、2007年は後に国際レスリング連盟も認めた誤審があっての黒星。ズラテバを破る一番手が浜口であるのは間違いない。世界V5の実力の100%を発揮すれば、乗り越えられない相手ではない。
アテネ大会金メダリストの王旭は、オリンピック後に両肩を手術し、全盛期の力には戻っていないもよう。昨年の世界選手権も5位に終わっている。ただ、きっちり仕上げてくれば要注意の選手であり、優勝候補の一角であるのは間違いないだろう。
【男子グレコローマン60kg級】
2006年ドーハアジア大会金メダル、2007年世界選手権銀メダルの笹本睦が優勝候補の一角を占めている。敵は世界選手権決勝で敗れたダビッド・ベディナーゼ(グルジア)、笹本が過去3戦3敗で昨年世界3位のエウセビウ・ディアコヌ(ルーマニア)が強敵として立ちはだかる。
笹本がここ3年の間に破った相手ではあるが、1996年アトランタオリンピックと2000年シドニーオリンピック王者で2002・03・05年世界王者のアルメン・ナザリアン(ブルガリア)、アテネオリンピック王者の鄭智鉉(韓国)、同オリンピック2位のロベルトン・モンソン(キューバ)らも、優勝を狙う力はある選手だ。
【男子グレコローマン84kg級】
アテネオリンピック王者で2008年世界王者のアレクセイ・ミシン(ロシア)が首ひとつ抜け出している状況。今年6月に2005年世界王者を破った松本慎吾が金メダルを取るためには絶対に破らねばならない相手だろう。
もっともミシンも2005・06年は世界王者を逃しており、圧倒的な強さではない。2007年世界2位のブラッドリー・バーリング(米国)、2007・08年世界3位のサマン・タフマセビ(イラン)らが紙一重のところで競っている状況。アジア王者の松本も金メダルの射程距離に位置している。
【男子グレコローマン96kg級】
アテネオリンピック2位で昨年の世界選手権優勝のラマズ・ノザーゼ(グルジア)、昨年2位のミンダウガス・エゼルスキス(リトアニア)、今年の欧州選手権でノザーゼを破って優勝したアスランベク・クシュトフ(ロシア)などが優勝を争いそう。
アテネオリンピックの金メダリストで、その後、世界一から見放されたカラム・ガベル・イブラヒム(エジプト)も、北京オリンピック予選を勝ち抜いて2個目のオリンピック金メダルを狙う。どこまで調子を戻しているか。
加藤賢三は昨年の世界選手権準決勝でエゼルスキスにラスト10数秒で逆転負けし、決勝進出を逃している。実力をフルに発揮しての上位進出が期待される。
【男子フリースタイル55kg級】
アテネオリンピック王者のマブレット・バティロフ(ロシア)が1階級上げ、一時的に強豪のいなくなったロシアだが、昨年は21歳のベシク・クデュコフが優勝。レスリング大国の強さを見せた。実績的には2003・05年世界王者のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)の方が上。昨年の世界選手権は負傷で途中棄権の5位。万全の調子なら優勝候補の一番手だ。
昨年世界2位のナランバータル・バヤラー(モンゴル)、2006年世界王者のラドスラフ・ベリコフ(ブルガリア)らとともに、アジア王者の松永共広もそのが城を崩しにかかる。
【男子フリースタイル60kg級】
アテネオリンピック55kg級金メダルのマブレット・バティロフ(ロシア)が1階級アップし、2006年世界3位、2007年世界王者と、この階級でも第一人者の地位を獲得。アテネオリンピック金メダルのヤンドロ・クインタナ(キューバ)も強さを意地しており、2人のオリンピック金メダリストの争いが見もの。2006年世界王者のムラド・モハマディ(イラン)が優勝争いに絡めるか。
湯元健一は2005・07年の2度の世界選手権で上位入賞ならなかったが、オリンピック出場権獲得の激戦の中で大きく成長しているはず。メダル争いにはからみたい。
【男子フリースタイル66kg】
混戦階級だが、昨年の世界王者のラマザン・シャヒン(トルコ)が今年4月の欧州選手権でも優勝した。このまま突っ走るか。世界選手権で3年連続メダルを取っているゲアンドリー・ガルゾン(キューバ)、2003年世界王者で昨年世界3位のイルベク・ファルニエフ(ロシア)らも優勝候補だろう。
2大会連続出場の池松和彦がメダルを取るには、この一角でも崩さなければなるまい。
その他の特筆事項
(1)伊調姉妹は2度目のオリンピック姉妹出場
伊調千春(姉)馨(妹)は、アテネオリンピックに続いての姉妹出場。前回は千春が銀で、馨が金だった。これまでに国際大会では、2003年ポーランド・オープン、2003年世界選手権、2004年アジア選手権、2006年世界選手権、2006年アジア大会、2007年世界選手権で姉妹優勝を達成している(ワールドカップの個人順位を除く)
(2)米国女子コーチは日本レスリング界生みの親の次男
米国女子チームの八田忠朗氏は、日本レスリング協会の元会長の八田一朗氏の次男。八田一朗氏は1964年東京オリンピックで金メダル5個を取らせるなど指導力を発揮し、その独特かつユニークな指導理論は“八田イズム”として有名だった。
八田忠朗氏は慶応高校を卒業後、米国のオクラホマ州立大へ留学。日本人で3人目の全米学生選手権の王者へ。卒業後は全米選手権2位が3度。指導者としても実力を発揮し、1988年ソウルオリンピックから1996年アトランタオリンピックまで3度連続で米国男子フリースタイル・チームのコーチへ。他に、1968年メキシコオリンピックと1984年ロサンゼルスオリンピックは日本の支援コーチ、1972年ミュンヘンオリンピックはメキシコのコーチ、2004年アテネオリンピックは米国女子チームの支援コーチとして参加。今回が8度目のオリンピック参加になる。
(3)メダル獲得の伝統
戦後のオリンピックで、不参加だった1980年モスクワオリンピックを除きすべてのオリンピックでメダルを獲得している。金メダルの総数は男子20個、女子2個。