冬季オリンピックの歴史
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10個のメダル獲得と、23種目の入賞を果たした長野冬季大会
冬のオリンピックで日本が欧米に伍して戦えるようになったのは、1992(平成4)年のアルベールビル冬季大会からです。札幌冬季大会の後、スキー界はジャンプと距離を合わせたノルディック複合に着目、強化を進めたのが功を奏し、この種目の団体で(三ケ田礼一選手、河野孝典選手、荻原健司選手)で金メダルを獲得。フィギュアスケートでは伊籐みどり選手が、女子で唯一人3回転半のジャンプ(トリプルアクセル)を決めて銀メダル。新種目のショートトラックでは、男子5000mリレーが銅メダル、女子3000mリレーが4位に入るなど、メダル7、4〜7位の入賞が9(1984年大会から入賞は8位までに広がった)を数えました。
このアルベールビル冬季大会を最後に、冬のオリンピックは夏季大会の中間年に開かれることになりました。このため、2年繰り上げて1994(平成6)年に実施された第17回リレハンメル(ノルウェー)冬季大会で、日本は再びスキーのノルディック複合の団体(阿部雅司選手、河野孝典選手、荻原健司選手)で優勝、同個人でも河野選手が銀メダル。さらに久方ぶりに勢いを取り戻したジャンプ陣(原田雅彦選手、葛西紀明選手、岡部孝信選手、西片仁也選手)がラージヒル団体で銀メダルを手にし、メダル5、8位までの入賞16を記録しました。
そして迎えた1998(平成10)年の長野冬季大会。地の利も活かした日本は、スキーのジャンプで船木和喜選手がラージヒルに金メダル、ノーマルヒルに銀メダル。ラージヒル団体では前回よりひとつ上がって金メダル。スピードスケートでは本命の清水宏保選手がよく重圧に耐えて金メダルをものにし、ショートトラックの西谷岳文選手、スキー・フリースタイルのモーグルでは里谷多英選手も表彰台の中央に立つなど、日本は金5、銀1、銅4でメダル10個。4位以下の入賞も計23を数えました。
金メダルの5個はカナダとアメリカに次ぎ、オランダと並んで6位タイ。メダル総数10個はオランダの11に次いで7位。冬季オリンピック初参加以来、70年ぶりで、ついに欧米の強豪の一角に食い込むことに成功したのでした。4位以下の入賞の中にはカーリングの男女、バイアスロン女子(高橋涼子選手)、アイスホッケー女子、スキー・クロスカントリーの男子リレーなども含まれ、日本のウインタースポーツ全体が力をつけ、底上げされたことが実証されました。
選手層の交代がうまくいかなかったことなどから、前回のソルトレークシティー冬季大会では金メダルはゼロ、銀メダル1、銅メダル1に終りました。しかし2004年のアテネオリンピックで、日本が史上最高の成績を挙げた“激励”を背に、冬季関係競技も心機一転、本年2月のトリノ冬季大会で名誉を挽回すべく、着々と強化を進めています。ご声援をお願いいたします。(2006.1.6掲載)