冬季オリンピックの歴史
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スケートはオランダから、そしてスキーは北欧から始まった
冬季オリンピックは1924年、私達が普通、『オリンピック』と言っている夏の大会に28年遅れてはじまりました。
第1回大会はアルプスの最高峰モンブランのふもとにあるリゾート地シャモニー・モンブラン(フランス)で開かれました。しかし、実はこの大会はフランスが主催、国際オリンピック委員会(IOC)が名目的に後援して実施された『国際冬季競技週間(International Winter Sports Week)』で、これを翌1925年になってIOCが『第1回冬季オリンピック競技大会』として“追認”した、という奇妙な経過をたどって、やっと日の目を見たものでした。
シャモニー・モンブラン大会より Photo:Getty Images/AFLO
スキーやスケートは冬の間、雪と氷に閉ざされる地方で交通・輸送の手段として考案された用具が、近代になってスポーツとして活用されたものです。
スケートは運河が凍るオランダからヨーロッパ各地やアメリカ、カナダに伝わり、フィギュア、スピード、アイスホッケーを生みました。
一方スキーは北欧(ノルウェー、スウェーデン)で距離とジャンプのノルディック種目が始まり、少し遅れてフランスをはじめアルプスを抱えた中欧各地で斜面を滑り降りるアルペン種目が発達しました。ノルディックはドイツ語の『北』から、アルペンはフランス語の『アルプスの』から生まれた言葉です。
クーベルタン男爵の提唱で1896年にオリンピックが始まったころには、そういうわけでスキー、スケートとも国際化も始まっていました。
しかし、雪や氷のスポーツは、同じヨーロッパでも地域も時期も限られるため、都会暮らしの初期のIOC委員たちにとっては馴染みの薄いものでした。しかも、彼らが模範にしたギリシャの古代オリンピックには、冬の競技はありませんでしたから、“冬のオリンピック”が念頭に浮かぶはずはなかった、といえます。
事情が変わったのは1908年の第4回ロンドン大会にフィギュアスケートが組み込まれてからです。たまたまその数年前、ロンドンにヨーロッパ初の室内人工リンクが登場、冬でなくてもフィギュアスケートができるようになったことにロンドンのオリンピック組織委員会が目をつけたのです。当時IOCには「実施種目は近代スポーツに限る」という取り決めしかなかったので、冬の競技を夏に持ってくる“離れ業”ができたのです。
これをきっかけにIOCでは『オリンピックと冬の競技』問題が話題に上るようになりました。そして第1次世界大戦後初の、第7回アントワープ大会(1920年)には、フィギュアに加えてアイスホッケーも登場し、冬季大会への“流れ”が強くなったことから、IOCは1921年6月のローザンヌIOC会議でこの問題を議題として取り上げました。席上、フランス、カナダ、スイスの代表が「中欧、西欧でも冬季オリンピックは立派に開ける」と主張しました。しかし、ノルディック・スキーを“国技”と認定、当時、実質的な“世界選手権”といわれたホルメンコーレン大会を主催していたノルウェーと、その隣国のスウェーデンは猛烈に反対しました。“元祖”である自分たちからスキーがオリンピックに取り上げられてしまう、という感情的なものがあったようです。
このためフランス代表は1924年(第8回パリ夏季大会の年)にシャモニーでIOC後援の“国際冬季競技会”を開くことを提案、動議を出しますが採決に至らず、IOCがこれを了承したのは翌1922年6月のパリ総会の折でした。「試験的に大会を開いてみて、その結果で冬のオリンピックを開催するかどうか決める」ということになったのです。
vol.1 1924年シャモニー・モンブランで始まった 前編|後編
vol.2 天候異変、アマチュア問題。冬季オリンピックが抱えたもうひとつの戦い 前編|後編
vol.3 冬季オリンピックを目指した日本代表選手団 前編|後編
vol.4 冬季オリンピックで活躍した日本選手たち 前編|後編