MENU ─ オリンピックを知る

冬季オリンピックの歴史

冬季オリンピックの歴史は1924年、シャモニー・モンブランではじまった

シャモニーで圧勝した北欧の国々

シャモニー大会は1924年1月25日〜2月5日の12日間行なわれました。16カ国から258名(うち女子はフィギュアスケートに13名)が参加、スキー(距離、ジャンプ、ノルディック複合)、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケー、ボブスレー(4人乗り)にデモンストレーションのカーリング、ミリタリー・パトロール(バイアスロンの前身)を合わせて6競技、16種目が競われました。

シャモニー・モンブラン大会ではデモンストレーションとしてカーリングが紹介された

シャモニー・モンブラン大会ではデモンストレーションとしてカーリングが紹介された。
Photo:Getty Images/AFLO

大会の正式決定から実施まで1年半余でしたが、フランスオリンピック委員会、フランスアルペンクラブなど地元と協力、大車輪で工事を進めました。
シャモニーに1軒しかないホテルはオリンピック関係者で占められるため、ホテルのある近くの2つの町とを鉄道で結び、シャトル・バスも運行して観客を呼び、ふもとから山へはケーブルカーを架設しました。

スキー(ノルディック)についてはフランス大使がノルウェー側に頭を下げて施設の教えを乞いました。おかげでノルウェー、スウェーデンとも反対の前言をひるがえして参加。ノルウェーはスキー50kmと複合で1〜3位を独占し、15kmとジャンプでも1、2位を占めました。スピードスケートはフィンランドが4種目を制し、フィギュアスケート男子もスウェーデンが勝つなど、北欧3カ国が14種目中9つの優勝をさらって面目をほどこしました。

シャモニー・モンブラン大会におけるフィギュア・スケートのソーニャ・ヘニー選手

シャモニー・モンブラン大会における
フィギュア・スケートのソーニャ・ヘニー(Sonja Henie)選手(ノルウェー) 
Photo:Hulton Getty/AFLO

天候にも恵まれ、シャモニー大会はいろいろな意味で成功しました。IOCは大会翌年1925年5月のプラハ総会でそれを認め、シャモニー大会を第1回冬季大会として追認、第2回大会を1928年にスイスのサンモリッツで開くことまで決めました。

また翌年5月、リスボンのIOC総会で次のようなチャーター(取扱い規定)が定められ、冬季大会は最終的にオリンピック・ファミリーの一員となったのです。

すなわち

  • 大会は『オリンピック冬季競技大会』と呼ぶ(先に生まれた夏の大会は“オリンピアード競技大会”というのが正式)
  • 夏の大会と同じ年に4年に1度行なわれるが、その4年の周期はオリンピアードではなく『サイクル』とし、実際に行なった大会の回数だけ数える(夏の大会は中止された場合でも、そのオリンピアードの回数は数える)
  • 夏の大会開催が決った国に冬季大会開催の優先権を与える
  • メダル、ディプロマ(賞状)等は夏の大会とは別のものを使う

また、冬季大会の誕生を機に、北欧とアルペン諸国が手を結び、国際スキー連盟(FIS)が創設され(1924年)、翌年から世界選手権が始まったこともお伝えしておきましょう。


  • vol.1 1924年シャモニー・モンブランで始まった 前編後編
  • vol.2 天候異変、アマチュア問題。冬季オリンピックが抱えたもうひとつの戦い 前編後編
  • vol.3 冬季オリンピックを目指した日本代表選手団 前編後編
  • vol.4 冬季オリンピックで活躍した日本選手たち 前編後編

オリンピック関連コンテンツ