オリンピアンズ・ストーリー
このページでは、日本代表としてオリンピックに参加したオリンピアンに、得意分野のお話をしていただきます。今回は2000年のシドニーオリンピックなどで活躍された競泳の萩原智子さんです。
人として大切なこと・・・
チームとしての力を持った競泳ナショナルチーム
1997年、アトランタオリンピックの翌年、ナショナルチームが一新され、2000年のシドニーオリンピックに向けて、上野広治先生がヘッドコーチに就任し、競泳陣を統括されることになりました。上野先生はご職業が教師です。私たち選手には、生活態度や競技に対する気持ちなど、いろいろな面で生徒と先生の関係のように接してくださいました。またスローガンを作ったりルールを決めたりと、選手の行動が明確になったため、選手たちもチームとしてルールは守ろうと思うようになりました。また選手がチームとして意見を出せる場をたくさん用意してくださいました。
選手の発言で希望が実現した例をご紹介しましょう。
競泳の場合、ユニフォームのメーカーは、デサント、アシックス、ミズノと国内に3社あるのですが、シドニーオリンピック以前までは3社が持ち回りで提供するというルールがあり、大会ごとにスイムウエアを含むユニフォームが変わっていました。
選手には、それぞれの体格や体型からメーカーとの相性があります。選手は本番前の一番大事なところでのストレスを減らしたいという気持ちをいつも持っていました。スイムウエアだけは自分自身に合うものを選ばせて欲しいという思いがありましたが、選手側から意見を言うことなど夢の話。とてもできることではありませんでした。ところが上野先生が用意してくださった意見交換の場を利用して、選手の方からスイムウエアに関して意見を出そうという気持ちになっていきました。
1999年のパンパシフィック大会の最終日、スイムウエアだけは3社の中から選手が自由に選べるようにして欲しいという選手の意見が認められ、新しいルールが誕生しました。 チーム全体が一つの方向に進んでいく気持ちになれて、選手にも真剣に取組んで一生懸命になれば人の気持ちや物事を動かすことができる、「やればできるんだ」という自信がつきました。メーカー3社も「いい意見ですね」と快く同意してくださいました。
真の勝者は強さと優しさを合わせ持つ人
よく勝負の世界に優しさは必要ないと言われます。本当にそうなんでしょうか。 私自身も、あるコーチに「競うのに優しさは必要ないよ」と言われて衝撃を受けたことがありました。人を押しのけてでも自分が勝つという気持ちがないと勝てないんだと言われ、驚きの気持ちとそれが自分に足りない部分なのかもしれない、と思ったことがありました。
中学生の時、頂いた彰状に1位ではなく「優勝」と書かれていたことがありました。その時「あれっ?勝って1番になったのに、優しさはいらないって言われているのに、ここに『優しい』という字があるじゃない。どうしてなの?」と疑問を感じたのです。 もちろん優れた人が勝つという意味で「優勝」だということは分かっていましたが、優しさはいらないと言われていた私は、ちょっと素直じゃない気持ちで「何でだろう?」と思い続けながら泳いでいました。
シドニーオリンピックの選考会でのことです。1週間行われる競泳の選考会に、私は3種目出場していました。 1種目めの結果があまりよくなく、2種目めで優勝してシドニー行きの切符を手にしていました。ですが、最終日に行われる200m背泳ぎが、自分としてはどうしてもオリンピックで泳ぎたいメインの種目だったのです。
その選考会には私を含め4人の背泳ぎの選手が出場していて、3人の選手は全員先輩でした。最終日までに3人の先輩選手のうち2人は100mで出場権を獲得していましたが、まだ何も取れていない選手が日本記録保持者の中尾美樹さんでした。私はどうしてもこの種目で出場権を獲得したいという思いからくる緊張感で具合が悪くなり、レース前のシーンと静まりかえった招集所で、プレッシャーに負けて「もう泳ぎたくない」と独りでシクシク泣いていました。そこへ中尾さんがやって来て、「ハギトモ、何泣いてるん? 一緒にオリンピック行こなって言うたのに。頑張ろな」と声をかけてくれたのです。
私はすごくビックリしました。その時一番プレッシャーを感じていたのは、中尾さんだったはずなのに。ライバルである私に声がかけられるなんて。立場が逆だったら私に出来ただろうかと。 私は中尾さんに声をかけてもらったお蔭で自分を取り戻せ、そんな優しさを持つ中尾さんと一緒にオリンピックに行きたいな、と思いました。中尾さんはそのレースで優勝。念願かなって私は憧れの先輩と2人でシドニーオリンピックの200m背泳ぎに出場できました。
この経験で子どもの時からずっと疑問に思っていたことが解決できたと思いました。勝負の世界に優しさは必要なのです。優勝の「優」には人間としての強さと優しさ、競技者としての強さを持った人という意味があるということを中尾さんに教えてもらいました。中尾さんはシドニーで、見事銅メダルを獲得しました。
現在の競泳のナショナルチームは、人に優しくする余裕を持って行動できるチームになっていると思います。 例を挙げると、北島康介くん。彼はチームのなかに調子が悪い選手がいれば、まっ先に声をかけに行きますし、私がマスコミの立場で会った時には、疲れて見えたらしく『智子さん、顔色悪いんですけど大丈夫?』なんて、自分の試合の日でさえも気にして声をかけてくれるという、とっても心優しい青年です。北島くんだけでなく、トップ選手はみんなそのような心遣いができています。
スポーツ選手である前に、人として当たり前のことが当たり前にできること。これもシドニーから引き続き上野先生の元で年月を重ね、選手に培われてきた財産のひとつだと思います。
スポーツ選手はやっぱり「熱い」
現役引退後、いろいろなスポーツを観るようになりました。なかでもチーム競技は私にとっては別世界。競泳にはないコンタクトプレーや対戦相手との駆け引きなども、楽しそうだけど難しそう。ゲームのスタートの時に「オーッ!」と声を掛け合える場面には羨ましさも感じます。競泳のスタートは孤独ですから。
すべての競技に共通して言えることは「熱い」ということ。北島くんや柴田亜衣ちゃん、野球のイチロー選手や松井選手など、トップ選手はスマートに練習して試合をして輝いて、と見えているかもしれませんが、見えないところで努力することがどれだけ大変かということを彼らが一番知っていると思います。私は、努力なしに上手くできる天才はいなくて、継続して努力することができる人が天才なのだろうなと思っています。
競泳のような個人競技でもチームで熱くなれるんです。自分が熱いレースをすることで次につなげたい、みんなに見せたいっていう選手がたくさんいます。「どうしよう、私にできるかな」ではなく、「よーし、オレもやってやる!!」というポジティブな連鎖反応をするのです。たとえライバルに負けたとしても、絶対次は勝ってやるぞと思えるのもチームとして動いているからできることなのです。
北京を占う世界水泳2007
競泳のナショナルチームは、だれかに命令されてから動くのではなく、選手自らの意見を出して動ける大人のチームに成長しました。今月から行われる世界水泳では、練習と取材が同じ日にあると疲れてしまうので、取材には完全オフの日に対応したいという希望を選手側が出し、受け入れられたということがありました。このように、最近は話し合いの方法も上手くなってきたようです。
2008年の北京オリンピックの前哨戦とも言うべき「世界水泳2007」が3月18日から4月1日までの日程で、オーストラリアのメルボルンで開催され、競泳は3月25日から4月1日まで行われます。
競泳はオリンピック前年に行われる世界水泳で、ほとんどの種目でタイムが1〜2秒更新されます。日本のナショナルチームは世界で戦える選手がたくさん揃っていますし、全員が北京を狙っていますので、この世界水泳がどんなに重要な意味を持った大会かということは十分認識しています。
これはジンクスではなく事実なのですが、オリンピック前年の世界水泳でメダルを取った種目は、必ず翌年のオリンピックでほぼ同数のメダルが取れるのです。シドニーの時もそうでしたし、アテネ前年の世界水泳では北島くんが世界新記録をたたき出し、2冠を獲得。アテネでは世界水泳を上回るメダル獲得となりました。
今年の世界水泳で、競泳チームはアテネを上回る、最低10個のメダル獲得(金メダルを含む)を目標として戦います。チームはこの大会を戦えなければ北京はないという気持ちで臨みます。私も東京のスタジオから解説をします。どうぞみなさんも応援してくださいね。
1980年(昭和55年)大阪府生まれ。
9歳で水泳を始め、1993年に日本選手権に初出場。1995年全日本ジュニアメンバーとしてオーストラリアへ初の海外遠征。1996年〜1998年全国高校総体で200m背泳ぎ3連覇。1998年アジア大会100m、200m、400mメドレーリレーで3冠達成。1999年パンパシフィック選手権200m背泳ぎ優勝。2000年シドニーオリンピック200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位。2001年世界選手権4×200mリレー3位、200m個人メドレー、400m個人メドレー7位、2002年日本選手権200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレー、100m自由形で優勝、4冠を達成。 現在、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員。 日本オリンピック委員会アスリート専門委員会委員。
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