2010/11/24
フェンシング 太田は力を証明する銅、新星・中野は女子初メダル
文・折山淑美
■太田雄貴選手、疲労のなかで掴んだ銅メダル
「不甲斐ない試合をしてたから、1ゲーム目が終わったらオレグコーチに引っぱたいてもらおうと思っていたんです」。太田雄貴選手はそう言って苦笑した。大会9日目のフェンシング男子フルーレ個人。太田選手がいうのは決勝トーナメントの初戦、ベスト16でイランのタディ・ジャバド・レザエイ選手と戦った試合だ。相手は格下で簡単にリードしたが、なかなか突き放せない。体の動きもキレも悪く、何とか技術でかわしているだけのような展開。なかなか気持ちが盛り上がって来ないことにイラついた太田選手は、オレグ・マツェイチュクコーチに叩いてもらい、気合を入れ直そうと思ったのだ。
結局、最初の3分間の第1ピリオドで決着がついてその事態は避けられたが、相手に8点も取られる不満だらけの試合だった。だがそれは無理もない状況でもあった。北京オリンピックで銀メダルを獲ってから、彼が次の目標にしたのはフェンシングの本場、フランスのパリで開催される世界選手権で優勝することだった。今年はそれ一本に狙いを絞り込んでいたともいえる。
その世界選手権はアジア大会開幕の前日である11日に団体戦が終わったばかり、パリから帰国してそれから広州入りした疲労に加え、個人、団体とも銅メダルを獲得して精神的にも一息ついていた。その気持ちを僅かな日々で建て直すのは、至難の技だった。
その影響は午前中に行われた、4グループに別れて総当たりで戦うプール戦でも現れていた。世界ランキング2位の太田選手にしてみれば56位と格下の張小倫選手(ホンコン・チャイナ)との5本勝負の試合で、3対0とリードしながら逆転負けしていたのだ。
フェンシングのW杯や世界選手権では、世界ランキング上位の16選手はシードされ、17位以下がプール戦を戦って順位をつけ、その順位で決勝トーナメントの組み合わせが決められる。だがアジア大会は全員でプール戦を戦い、その順位で組み合わせが決まるシステムだった。そのため5位になった彼は、ベスト8で09年世界選手権2位の朱俊選手(中国)と、準決勝では北京オリンピックでも接戦となった崔乗哲選手(韓国)と対戦する、厳しい組み合わせになったのだ。
「初戦が終わった後、オレグコーチにはすごい勢いで説教されましたよ。でもそのお蔭で何とか気持ちも盛り上げられたから、本当に彼には感謝してますね」。そう話す太田の2試合目の朱選手との試合は、第2ピリオドまではなかなか互いに仕掛けない神経戦となった。相手が出るのを待つことは、攻める時以上に体力を使うという。だが第3ピリオドに連続得点を獲得して突き放すと、15対10で勝利して準決勝進出を決めた。
「本当に疲れたけど、あんな接戦は久しぶりでしたね。でも逆にいい刺激になったと思うし、これで気持ちも盛り上がってくると思います」。太田選手は明るく笑いながら話していた。だが試合では、蓄積された疲労はかなりのものに見えた。その試合でも彼本来の持ち味である柔らかい動きや、相手の意表をつくような自由奔放なフェンシングは影を潜めていたからだ。
午後6時過ぎから始まった準決勝。相手の崔選手は序盤、彼の持ち味である攻めのフェンシングをしないで相手の攻撃を待つ作戦に出た。太田選手はそれに誘われてしまったかのように攻撃を仕掛け、その一瞬の隙を突かれてポイントを奪われると、第2ピリオド中盤には2対7までリードされたのだ。
だがそこから攻めのテンポを変えた太田選手は、連続得点を奪って逆転。12対10で優位に立って第3ピリオドを迎えた。だが——。「崔選手の動きを見て作戦を変えて逆転するいい展開になったけど、そこから乗り切れなかったですね。第3ピリオドの開始早々に、あまりにも簡単に点を取られたのが悪かった。何か、色々考えてしまっていたんですね」。得意の振り込みなどの技術を駆使しようとしたが、スピードを上げて突っ込んでくる崔選手の勢いを止められず5連続得点を許し、12対15で敗れたのだ。前大会に続く連覇の夢は途絶え、銅メダル獲得が確定した。
「あれは崔選手の得意技だけど、それに負けてしまいましたね。正直、気持ちを世界選手権から上手く切り替えられなかったところはあると思います。でも悔しいですね。一生懸命に僕の気持ちを盛り上げてくれたオレグコーチに、勝ってメダルをプレゼントしたかったんですけど」。太田選手は悔いを残す表情で話した。
だが、世界選手権の準決勝で太田選手に勝って2位になり、団体でも優勝の原動力になった中国の雷声選手(中国)も、準決勝ではランキング56位の張選手(香港)に接戦で敗れて銅メダルに止まった。
世界ランキング1位でもあり、地元開催のこの大会へ懸けていた彼でさえ、世界選手権をミッチリと戦い抜いてきた疲労には勝てなかったのだ。その意味でも、太田選手の銅メダル獲得は、彼が自分の仕事をしっかりと果たしたと評価できるだろう。また精神的にも肉体的にも極めてハードな中で、それなりの結果を残せたことは、彼の底力の確かさの証明でもあり、気持ちよくロンドンヘオリンピック向けて踏み出せるきっかけにもなったはずだ。
■中野希望選手が女子エペ個人銀メダル、団体で金、世界へ飛躍するきっかけに
そんな太田選手の影に隠れていたが、この日一緒に行われていた女子エペ個人では、中野希望選手が快挙を達成した。プール戦を6位で通過した彼女は、1回戦を15対12、2回戦を15対9で勝ち上がり、すんなりと準決勝進出を決めていたのだ。
午後の準決勝、楊翠玲(ホンコン・チャイナ)との戦いでは「格上の選手なので対等に戦ったら勝つ確率が少なくなる」と、守りを固めて僅かな隙をつくだけの戦法で、ロースコアゲームに徹底した。第1ピリオドは1対0で終わり、第2ピリオドも2対1で抑える戦い。少し点を取り合った第3ピリオドは5対5の同点で終え、狙い通りに延長サドンデスの一本勝負に持ち込んだ。そして第4ピリオド開始19秒に得点を獲い、決勝進出を決めたのだ。
駱暁娟選手(中国)との決勝も同じ展開に持ち込もうとした。だが相手は世界ランキング12位の強者だった。守りを固める中野選手はジワジワと点を取られ、第3ピリオドでは残り16秒で7対9と点差を広げられて絶体絶命の危機に。試合再開のたびに飛び込んで行ったが、試合の残り時間の表示が0になった時には10対13で敗戦が確定した。
それでもアジア大会の女子エペ個人でのメダル獲得は日本史上初。「準々決勝の時は『これで負けたら夕方からはベンチで太田先輩を応援するだけになってしまう。それは嫌だ、一緒に同じ舞台へ上がりたい』と思って頑張りました。格上の選手と決勝、準決勝という舞台で戦えたというすごい経験は出来たけど、終わってみれば金メダルを獲れなかったことが悔しいですね」と爽やかな笑顔で答える。
中野選手がフェンシングを始めたのは高校へ入ってから。日本で盛んなフルーレだとジュニア時代からやっている選手が多くて勝てないからエペを選んだと、平気な顔をして言う。そんな彼女が、昨年のユニバーシアード銅メダル獲得に続き、今年は銀メダル獲得という快挙を果たしたのだ。「目標はもちろんオリンピックです。でも、日本のエペはまだ負けている時に点を取る力がないから、そこで取りにいける技を身につけなければいけないと思います」とこれからの課題も口にする。
その3日後、中野選手はまたもや殊勲をあげた。男子フルーレ団体が世界チャンピオンの中国に敗れて銀メダルとなった直後の試合。女子エペ団体決勝で中国を破って優勝を果たしたのだ。駱選手が最初の1ゲームだけで引っ込んだという幸運もあったが、ポイントゲッターとしてアンカーの前に登場すると、15対17だった得点差を21対21のタイにして、ベテランの池田めぐみ選手につなぎ、奇跡の勝利に貢献した。
前回の金メダル獲得で太田選手が世界へ飛び出したように、中野選手もこの2つのメダルを世界への飛躍のきっかけにしてほしい。