2010/11/14
トライアスロン女子、金・銀メダル! ロンドンオリンピックへの大きな弾みに
文・折山淑美
大会初日の11月13日の午前9時(現地時間)にスタートしたトライアスロン女子、足立真梨子選手はランに入って1.25㎞の最初の折り返しで、自分の勝利を確信した。バイクのラストとランへのトランジットで5秒だけ先行していた張充貞選手(韓国)を最初の上りであっさりと捕えて抜き去る。呼吸はきつかったが相手が離れていくのは分かった。
「このまま自分のペースでいけば勝てる」そう思ったのだ。大会前から足立選手は、優勝候補と注目されていた。世界ランキングは昨季の31位から大きく上げた9位。出場11選手中でそれに続くのは30位の土橋茜子選手で外国勢は韓国の張選手が101位という状況だった。
「正直、広州へ入ってからは期待されていることも感じて不安にもなりました。でも自分がやるべきことはここでメダルを取ることだと考えていたので…。最後に飯島監督から『大丈夫だ。いける!』と背中を叩いてもらった時に、普段通りのレースをすればいいと覚悟を決めました」
スイムでは最初からトップに立ったが、1周目のトランジットで2位に付けた土橋選手との差が開いていると見て2周目からはペースを押さえ目にしたという。バイクをひとりで走るより、ふたりで協力しながらローテーションをしていった方がランには楽に入れると考えたからだ。バイクの3周目で後ろのふたりが追いつき、6周目には7人のトップ集団になったのも想定通りだった。
飯島監督も「4通りくらいのパターンも考え、最初からふたりで飛び出していくという選択肢もあった。だがスイムで余裕を持って上がり、バイクでも集団でパックを作っていってランに持ち込んだ方が一番硬い勝負に持っていけると思った。狙いどおりにいけたのが勝因だった」と話す。
日本チームの目標は金、銀の独占だった。それを確実にするために、ふたりがスイムをそのあとのトランジットで少しミスをしてもいいくらいの余裕を持ったタイム差で上がり、他の国の選手にバイクで追わせて自信のあるランでの勝負をもくろんだのだ。それはピタリとあたり、ランにはトップと4秒差で入った土橋選手も、2周目に入ったところで帳選手を抜いて2位に上がった。「バイクからランのトランジットで少しもたついたけど、状態は良かったしランでは勝負できると思っていたので不安はありませんでした。勝利を確信してからのラスト2周は本当に気持ちよくて。今まで支えてくれた人たちの顔を思い浮かべながら走っていました」
こう話す足立選手はかつては競泳の選手だった。だが飯島監督に誘われて大学2年からトライアスロンに転向。04年には大会中にバイクで転倒して左手首を骨折し、恐怖心を抑えられなくなったこともある。大学を卒業した06年から上京してトーシンパートナーズ・チームケンズに所属して競技に打ち込み始めた。08年北京オリンピックでチームメイトの井出樹里選手が5位入賞を果たしたのを見て、「このままでは終わりたくない。そのためにも自分が変わらなくてはいけない」と思うようになった。それが今季の成長にもつながっているのだ。
「競泳ではなかなか勝てなかったけど、自分は遠回りをする人間だと思うから。その中でいろんな勉強をさせてもらって、ようやくつかんだ日本代表で金を取れたのは大きな一歩だと思います。海外の選手と比べるとまだバイクが弱いから強化していかなくてはいけないが、プレッシャーの懸かる大会でしっかりと狙って結果を出せたことは。ロンドンへもつながる大きな金メダルだったと思います」
2年後のロンドン大会の出場枠は最大3。世界ランキング50位以内に6人の選手がいる日本の女子選手たちはは、代表になるために厳しい戦いを強いられることになる。
2位になった土橋選手も「金メダルを狙っていたから正直悔しい。途中でどんな展開になっても最後のランでは足立さんとの対決になると思っていたので。1周目で離されてしまったのは悔しいが、最後まで諦めずに走れたのは良かったと思います」
こう言いながらも「今回は世界一のチームということを証明したかったので、この結果をきっかけにこれからは、アジアではなく世界を目指したいと思います」と、強いプライドを覗かせた。
これから始まるオリンピック代表の座をかけた激しい競り合いこそが、日本女子を世界で戦えるアスリートに育てていくのだろう。今回の金、銀独占は、そこへ向けての大きな弾みになる結果だった。
金・銀のメダルを獲得した足立選手(左)と土橋選手(AP/アフロ)
ゴール後笑顔を見せた土橋選手(左)と足立選手(AP/アフロ)