2010/11/19
自転車は海外勢が成長、金メダルゼロからの奮起誓う
文・折山淑美
開会式翌日から始まった自転車トラック競技。日本チームは獲得したメダルが男子チームスプリントの銀のみという状態で、競技最終日の11月17日を迎えた。日本勢が出場したのは、男子スプリントと男子ポイントレース、男子ケイリン3種目の決勝と3位決定戦。その中でも期待は日本がこれまで負け知らずの種目で、前回のドーハ大会で北津留翼選手が制し、今回もその北津留選手が決勝に進出したスプリントだった。
相手は中国男子スプリントチームのエース・張磊選手。アウトコーススタートだった1回目、北津留選手は1周目の第4コーナーの出口で加速して前に出ると、残り2周を逃げきる作戦に出た。「張選手のギア比が重かったのと、同等のスピードやダッシュ力の選手なら、そのままで勝負が決まるから」という理由だった。だが張選手は最後の直線で北津留選手を捕らえて先にゴール。先勝されてしまったのだ。
2回目、インスタートの北津留選手は、先頭義務がある半周のライン上でスタンディングで止まり、相手を前にいかせる作戦を試みた。だが、そのラインの手前でスピードを落としたのをスタンディング状態に入ったと判定されて再スタートに。その後のレースでは、静かに後ろの張選手をみながら進めたが、2周目に入ったばかりのコーナーでバンクの上から加速した張選手への反応が遅れ、一気につけられた大差を維持されたままレースを終えて敗戦が決定した。
「1回目のミスが大きかったですね。力が同等な選手ならと思ったが、相手の方が自分よりコンマ1秒くらい実力がある選手だったので追いつかれる形になってしまいました」こう話す北津留選手は、北京オリンピックのあとは競輪に専念していて、競技のための練習はなかなか出来ていなかったという。この大会へも競輪の試合を終えてからすぐに来たような状態で、まともな調整もできずダッシュ力を磨けなかった。3位に入った新田祐大選手とともに表彰台へ上がったが、その表情は冷静だった。
続くポイントレースでは、盛一大選手と西谷泰治選手がうまく走って前半は上位に付けたが、後半は逃げを上手く使いながらポイントを獲得する香港やイラン、ウズベキスタン選手に後れをとり、盛選手が6位、西谷選手が8位という結果に終わった。
そして最後にケイリンの渡邉一成選手もマレーシアと3位の中国選手に次ぐ4位で終わり、金メダル無しという結果になったのだ。「中国とマレーシアが2人ずつ決勝に勝ち上がって組んでやっていたのに対し、日本はひとりだけだったからきつかった。マレーシア勢のスパートに合わせていけばメダルも見えたと思うが、中国の仕掛けに対してワンテンポ対応が遅れたのが敗因でした」と渡邉選手は反省する。
自転車トラック競技のスプリント種目は、かつては日本がアジアをリードしていた。金メダルゼロという結果に、班目秀雄監督はライバルの成長を口にする。中国チームはフランス人監督を招聘して北京で常に強化合宿をしているという。また今回活躍が目立ったイランはイギリス人とドイツ人のコーチと契約して強化を始め、マレーシアもオーストラリアを拠点にして練習をしているというのだ。日本の場合は練習拠点がない上に、競輪選手に頼っている状況。彼らの本業であるレースとの兼ね合いも難しい状態だ。
レース後、選手達が口をそろえるように言ったのは、そんな強化体制の遅れだ。世界がどんなことをやっているかということを知り、それを取り入れながら一から強化計画を考えていかなければいけないと真剣な表情で言う。「チームとして金メダルを獲れなかったけど、今の日本のレベルはこう言うものだということを自覚し、その悔しさをバネにして頑張っていくしかないと思います」と渡邉選手。
トラック勢はこのアジア大会で、世界から遅れ始めているという危機感をヒシヒシと感じ取った。その状況をしっかりと認め、これから何をしていかなければいけないかを考え始めことが、日本復活への第一歩となるだろう。ただ、選手自信がそんな自覚を持っていることはひとつの救いであり、可能性を持っているということでもある。