/ 選手強化 / TEAM JAPAN DIARY
TEAM JAPAN DIARY

« 前の記事に | メイン | 次の記事に »

2009/11/20

JOCナショナルコーチアカデミーで竹田会長が講義

9月7日に開講した「JOCナショナルコーチアカデミー2009」。講義最終日となった18日、JOC竹田恆和会長が講義を行いました。

Photo_3
竹田会長とナショナルコーチアカデミー受講生で記念撮影

講義に先立ち、竹田会長は「日本スポーツ界の悲願である味の素ナショナルトレーニングセンターが立ち上がり、このセンターを効率良く、そして最大限の効果を出すためにはコーチのみなさんの役割が非常に重要です」と受講生を激励しました。



JOC竹田恆和会長による「オリンピック論」の講義の模様

そして開始した講義のテーマは、「オリンピック論」。
馬術の選手として1972年ミュンヘン、1976年モントリオール大会に出場している竹田会長は、自身が経験したエピソードを語りました。

小学5年生の時、当時の国語の教科書に掲載されていた木戸俊三さんのロサンゼルス大会での愛馬との物語(※)を読んだ竹田会長。その頃、クラスメイトの影響で馬術を始めたばかりということもあり、この内容にとても感動し、「将来、馬術でオリンピック」という夢を抱きました。これが竹田会長とオリンピックの最初の出会いでした。
世界の人々の心を捉えた愛馬物語 城戸俊三選手(JOC公式サイト オリンピック・メモリアルグッズより)

中学・高校・大学と馬術に没頭し、大学3年生で1972年ミュンヘン大会の代表候補選手に選出され、オリンピックの1年前からヨーロッパを拠点とし国際大会を転戦していました。そして、オリンピック開催1カ月半前、ドイツのアウグスブルグの城下町で行われた競技会での出来事が一生忘れられない思い出として残っているそうです。

「オリンピック本番で乗る馬ではなく、調教中の若い馬で競技に臨みましたが、水濠を越えようとした時に人馬転倒をしてしまいました。左足が約500kgの馬の下敷きになり、今までにない痛みを感じました。緊急搬送された病院で医師から『オリンピックは諦めた方がいい』と診断されて頭の中は真っ白に。近くの競技場からは音楽が流れてきました。『今ごろ仲間は頑張っているんだろうな。自分は一体何をやっているんだ…』と谷底に叩きつけられたような気持ちでした。すると、私の部屋に大会の責任者が訪れ、『オリンピック前の最後の調整でこんなことになって申し訳ない。窓のところまで来てもらえませんか』と言うのです。松葉杖を使いながら近づくと、そこには約50人の楽団が並んでいました。そして私のためだけに演奏を始めてくれたのです。想像もつかない人間愛を受け、涙を止めることができませんでした。そして、『オリンピックまでまだ1カ月半もあるじゃないか』と気持ちが切り替わったのです」

その後、しばらくは馬に乗れない日々が続き、選手村に入る時も松葉杖をついていましたが、痛み止めを打って本番を迎えた竹田会長。この出来事から、どんな境遇でも最後まで諦めてはいけないということを学ぶとともに生涯忘れることが出来ない経験をしたと語りました。

1976年モントリオール大会出場後、馬術チームの監督代行として1984年ロサンゼルスに挑んだ竹田会長は、以降、国際馬術連盟の総会にはすべて出席し、7年後にはアジア初の理事に就任。10年間理事を務め、最後の4年間は副会長を務めました。そこで学んだことは、選手たちのためにも監督やコーチはIF(国際競技連盟)の中に入って対等に発言していかなければならない、ということ。「IFの中に入るのは決して簡単ではありませんが、国際的な舞台で活躍していく人材を育てていかなければならない」と力説し、JOCナショナルコーチアカデミー受講者にもそのような存在になってほしいと激励しました。最後に、「これからナショナルコーチとして努力をしていただく皆さんには、日本の国際競技力向上に力添えをいただきたい」と、今後の活躍に期待を込めました。

講義の終了後、あらためてナショナルコーチに求める4つのポイントを聞きました。


また、2007年1月に始動した味の素ナショナルトレーニングセンターで合宿等を行うことによって、チームジャパンとしての意識が高まっているとも感じています。

CALENDAR

2011 / 03
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31