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オリンピアンズトーク

柔道女子72kg級において、1992年のバルセロナ大会と1996年のアトランタ大会で銀メダルをオリンピック2大会連続で獲得した田辺陽子さん。また女子柔道がオリンピック公開競技として行われた1988年のソウル大会にも出場し、銅メダルを獲得しています。

1966年生まれの田辺さんは、都立駒場高校在学中は陸上競技部に所属し、やり投げの選手として活躍しました。その実力はインターハイ・ベスト8。同時に高校での体育の授業の一貫としてスポーツ選択で柔道を選びました。

「女子でも柔道があるのか、という印象でした。1週間に1回の授業でしたが、やってみるととても面白く、基本がどんどん体に吸収されていくのが判りました」柔道に魅せられた田辺さんは、高校3年生の頃には東京・文京区の講道館へ通う日が続いたそうです。

インターハイでの活躍が評価され、推薦で東京女子体育大学へ進んだ田辺さんは、陸上競技部に席を置き、やり投の選手として活動をはじめました。しかし柔道への思いを断ち切ることができなかったのです。もともと小学生の時からオリンピックへの出場が夢でもあり、その夢を自らかなえるために、柔道を選択。大学も日本大学へと移ることになりました。

得意とする技は大内刈、大外刈、そして内股。これらは柔道を始めてから次々と体が覚えていったそうです。「女子柔道がオリンピックに正式種目として採用されたバルセロナ大会の時、私の年齢は26歳になっていました。もともと柔道を始めたのが遅かったわけですが、それでも心・技・体のいずれも充実して大会に臨めました。敢えて言うと体が心を引っ張っていってくれたという印象があります」

1987年から1992年の全日本選手権、さらに1986年から1992年までの全日本選抜体重別選手権を制しました。まさに絶好調の時でした。加えてメンタルトレーニングも欠かさなかったそうです。「イメージトレーニングには、まずリラクゼーションから入るわけですが、トレーニングしていくうちに技をかける自分が立体的に見えてきました。3D映像のように、あらゆる角度から見ることができるのです。さらに続けると客観的に技をかけている自分が見えるようになりました」 

イメージトレーニングと同時に、カウンセリングも受けました。その内容は、競技者としてのみならず日常生活面にまで及んだそうです。
集中力、気持ちの切り替えなど、精神力をより強くするためのカウンセリングだったのです。

田辺さんはバルセロナ大会で銀メダルを獲得後、引退を表明。
「引退を決意した時は、心も体も疲れ切ってしまった、というのが本音です」
引退を決意して表明できて、すっきりしたと当時を振り返ります。

しかし田辺さんの心の底にはバルセロナでの決勝戦での判定負けの悔しさがありました。悔しさは「記憶が飛ぶくらい」強烈だったそうです。
その気持ちが4年後のアトランタ大会へ再度出場を果たす大きな力となったことは言うまでもありません。

「引退しようと思っても、悔しさが残っていると中々できることではないのです」もう一度オリンピックに挑戦してみたいという気持ちが高まる一方で、年齢的なことも含め、チャレンジは止めた方が良いのでは・・・・・・、と大きく心は揺れました。悩み抜いた末、1996年の全日本選抜体重別選手権に出場。72kg級で優勝。3月にはアトランタ大会への代表選手に内定したのです。

1996年4月。田辺選手は練習中にひざを痛めてしまいました。続く5月、さらに患部を悪化させてしまい、結果、オリンピック本番まで練習らしい練習も行えなかったそうです。
「それでも畳の上に上がれば体が動いてくれるという自信がありました」

アトランタの試合中、高まっているはずの気持ちが萎えそうになった2回戦のことを鮮明に記憶している田辺さん。対戦相手はイギリスの選手。勝つ自信はあった。「絶対に勝てるという自信はありました。その反面、膝の故障が急に気になり始めたのです。対戦直前、普通ならば相手を凝視するのですが、視線を外して会場を一瞬眺めました。これが気持ちの切り替えに結びつきました」
一瞬視線を外すこと。これが5分間の戦いを制する大きなポイントとなったわけです。

アトランタ大会を回顧する田辺さんは、バルセロナ大会とは全く違った印象を感じているそうです。バルセロナでは体が心を引っ張ってくれ、一方のアトランタ大会では故障を抱える体を心がサポートし、そして引っ張ってくれたと語ってくれました。

アトランタ大会の決勝戦の朝を清々しく、感謝の気持ちで迎えられたという田辺さんは、72kg級における決勝戦で銀メダルが確定した時、悔しさは一片も無かったそうです。自らの心と体を制することから始まり、2度目のオリンピックを戦い終え、晴れやかな気持ちに包まれた。まさに明鏡止水の中、田辺さんのオリンピックは終わったのです。

田辺陽子(たなべ ようこ)
1966年(昭和41年)東京都出身。日本大学卒業。1992年バルセロナ大会の柔道女子72kg級に出場し銀メダルを獲得。続く1996年アトランタ大会でも同級において銀メダルを手にした。 現在日本大学法学部講師。日本大学柔道部 女子監督。
日本オリンピアンズ協会理事
日本アンチドーピング機構理事
世界アンチ・ドーピング機構・選手委員会委員