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オリンピアンズトーク

今回のオリンピアンズトークは、バルセロナ大会、アトランタ大会にテニスで日本代表選手として出場された沢松奈生子さんにお話を伺いました。沢松さんは現在JOCで事業・広報専門委員として活躍されると同時に、母校の神戸松蔭女学院大学で講師を務められるほか、多くのテレビ、ラジオ番組にも出演されています。
また「お世話になったテニスへの恩返し」という主旨で“いちご会”というボランティア団体を、沢松さんと同じくテニスプレーヤーとして活躍された雉子牟田明子さん、遠藤愛さん、神尾米さん、雉子牟田直子さん、長塚京子さんらとともに発足させ、子供たちへの指導や、車椅子テニスプレーヤーへのアドバイス、さらにラケットを持ったことのない方々への普及活動を全国で行っています。

アテネ大会を観て・・・

沢松奈生子さんは、今年8月のアテネ大会は仕事のスケジュールの都合などで現地へ行くことはできなかったそうですが、時間の許す限りテレビの前で応援をしたということです。
「今年は驚くほどの素晴らしい成績だったと思います。私が参加したバルセロナ大会、アトランタ大会の頃を振り返ってみますと、『根性だ、忍耐だ』と言われてきた時代がひと段落して、オリンピックを楽しもうよ、という雰囲気が生まれてきていました。そして今年のアテネ大会では、『楽しんで、なおかつ勝利する』という貪欲さが選手たちにあったのだと思います。同じ楽しむのにも『勝ち』がないと、いまひとつ面白くないわけです。例えば北島康介選手が勝った後に、『気持ちいい!』と言ったことは、まさにそうです。より速く泳ぐために、スピードを追求してオリンピックに臨み、競技も楽しめたし、勝利もあったわけです。それは気持ち良いですよね。そういうタイプの選手が増えたと思います」

さらに沢松さんは、選手たちはトレーニングには何が必要か考え、練習メニューを自分たちで組み立てるようになってきたとも言います。「選手としてのオリジナリティを大事にするようになってきました。競技団体によって違いはあるとは思いますが、自らが必要性を感じて組み立てた練習メニューに、トレーナーさんや栄養士さんなど、それぞれの専門分野の方々がスタッフとして加わり、記録を伸ばし金メダルを獲得するための手助けをするわけです」

アテネ大会中、沢松さんに執筆いただいたコラム「アテネ・スペシャルコラム:女子マラソンを観て」の中に、激しいトレーニングを積んできた選手たちの力の差は紙一重。その中で大事なことは「自分を信じること」とあります。このひと言こそが選手が自らを励まし、僅差を勝ち抜く精神力にも繋がるわけです。
沢松さんは2度のオリンピック出場という経験の中で、ご自身もこのことを体験し学んできたと同コラムにはあります。

重要なのは、ジュニア時代の環境作り

沢松さんは、お祖父様、ご両親など家族の皆さんがテニスを楽しまれる中で、気がついたらラケットを持っていたそうです。そして小学校1年生から5年生までの間、ドイツのデュッセルドルフで過ごしました。デュッセルドルフでは多くの外国人に混じってテニスを楽しみ基礎を学びました。

小学生といえども海外で試合をすると、絶対に日本人にタイトルを渡してなるものか、と対戦相手は全力でぶつかってくることも多く経験。自然と「負けず嫌い」になったそうです。これは日本国内だけで試合をしていても、なかなか学べないことだと言います。同時に外国人選手に混じって競技することを小さい頃から経験したことにより、その後、海外の大舞台での試合に挑んでも気後れすることもなく、競技に集中することができたのだそうです。
「同じ人間が戦っているという意識で育ってきたので、外国選手との対戦は自然体で臨めました。でも敢えて言うと、日本の選手と戦う方が緊張したりしました」

「今、各競技団体はジュニアの頃から、海外の大会に出させるということを行っています。これは凄く良い影響があると思っています」
ボランティア活動で子供たちへの指導を積極的に行う沢松さんは、
「子供たちがいかに競技に集中できる環境を作ってあげられるか、また選手としてピークをいかにオリンピックに合わせていくことができるか、もっとも大事なことは環境です。オリンピックは4年に一度ですから、その時に実力のピークで迎えられる選手というのは、本当にひと握りしかいないわけです。だからこそ選手のための環境、教育が重要だと考えています」と力説します。

試合に合わせ、リラクゼーション

バルセロナ大会、アトランタ大会とオリンピックに出場した沢松さんは、試合前、緊張を解きほぐすために様々なリラクゼーションの方法を試みました。例えばバルセロナ大会では選手村にビーチがあり、そこで本を読みながら日光浴することが、もっともリラクゼーションに繋がったと言います。

「私の場合、選手村には試合の10日くらい前に入っていましたので、気持ちを落ち着かせるというコントロールが必要でした。選手村にいてもそこには選手しかいないわけですから、どうしても頭の中は試合の事を考えてしまいます。リラックスするために、軽くランニングをしてみても体を動かすことが試合をイメージさせて精神的には落ち着きません。そのために現実からちょっと離れて、ビーチで寛ぐというのが私の選んだ方法です。リラックスできました」

勝利を目指してトレーニングしてきたことが、試合で出せないままに終わってしまうことは、選手にとって一番辛いことだと沢松さんは言います。そのために選手村に滞在しつつ高まる気持ちのピークを試合に合わせることが、もっとも重要なことになります。沢松さんの場合、3日くらい前から試合に向けて気持ちを高めていくのが良いということです。

「難しいことなのです。私の場合、試合に合わせ気持ちを高めるコントロールがうまくいかなかった時もあって、ピークを過ぎて気持ちがダウンしたまま試合に臨んだこともあります」

「テニスプレーヤーとして考えれば、その目標はウインブルドン。でもアスリートとして最大の目標はオリンピックでした」という沢松さん。テニスは年間のランキングでオリンピックへの出場が決まります。初出場のバルセロナ大会の時、その1年前には自分のランキングと出場枠とを見比べ、ドキドキした毎日を過ごしたそうです。「初めてオリンピックへの出場が決まった時、それは物凄く嬉しかっですね」
しかし思うような結果がバルセロナ大会で出せずに終わり、再挑戦できることになったアトランタ大会の方が、その喜びはさらに大きかったのだそうです。アスリートとしてオリンピックに出場したこと。それは自らの生き方の中に大きな自信となったことは言うまでもありません。

沢松奈生子
1973年兵庫県西宮市生まれ。夙川学院高1年のとき、全日本テニス選手権に優勝、大学卒業後、プロ登録。'98年に引退するまで、ツアー優勝4回。オリンピック出場2回。現在は母校、神戸松蔭女学院大講師を務めるほかテレビ・ラジオでも活躍。JOC事業・広報専門委員