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TEAM JAPAN DIARY

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2010/02/18

4年後にリベンジを〜クロスカントリー 男女スプリント

文:折山淑美

数日前の雨が嘘のように晴れ渡ったウィスラー・オリンピック・パーク。放射冷却で冷え込んだ朝の空気も昼を過ぎると一気に温かくなり、コース上の雪も緩んでくる。

午前10時半過ぎから始まったクロスカントリー男女スプリントの予選。固い雪の条件で日本勢は、危な気ない滑りで午後の準々決勝へ駒を進めた。

「前半の入りが遅れたので、午後はそこを修正しようと思います。後半はトップとも変わらないペースでいけたから、前半さえ遅れなければ何とかなると思います」と、言う夏見円は22位通過。「1.6㎞の長丁場だから。徐々に上げていけばいいかなと思った」と言う恩田祐一は、競技場へ入ってからの400mで前との差を詰め、11位通過を果たした。「いい位置につけておけば、後々になってそれが活きてくることがあるから全力でいった」という気持ちで取った順位だった。

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ソルトレークシティー、トリノに続き、3回目の出場を果たした夏見選手(写真提供:アフロスポーツ)

だが、午後1時30分から始まった準々決勝は、2人にとって厳しいものとなった。

女子の第4組でスタートした夏見は、前目に位置取りしようと頑張ったが、あと半歩足らず最初のカーブでは4番手に。続く長い上りでは5番手に順位を落としてしまう。

「気持ちの高ぶりと体の状態をマッチさせる事ができなくて。予選から準々決勝へ向けてうまく修正していかなければいけないところだったけど、いまいち噛み合っていないままスタートしてしまったんです」

体はそれなりに動いていたというが、上り坂では「メダルを狙いたい」という気持ちが空回りしてしまった。その後の下りで最下位の6番手に落ちてからは、順位を上げる事ができず。スタジアムへ入ってからの平地で少しだけ追い上げたが、結局はトップに2秒4差の6位。各組2位までと、記録上位2名が進める準決勝進出を逃してしまった。
 
2007年2月のノルディックスキー世界選手権札幌大会で5位になってから、夏見はバンクーバーでのメダル獲得に照準を合わせた。2007-2008年シーズンには3月にワールドカップ初表彰台となる3位(第15戦ストックホルム大会)につけ期待は高まった。今季はワールドカップを調整試合として位置づけ、得意なクラシカル走法で行われるこの日のレースに、ピンポイントで照準を合わせていた。昨年末は夏場のトレーニングの疲労を引きずっている状態だったが、年明けからはスピード練習もしっかり入れられるようになり、順調に仕上がっていたのだ。

だが順調にきた故の自分への期待は、違う方向に出てしまった。試合前日の昼まではリラックスして余裕もあったが、夜になるとなかなか寝つけなくなったのだ。競技人生で初めての経験だった。

ウォーミングアップでその不安を解消して滑った予選ではそれなりの手応えを得たが、準々決勝へ向かう前には再び、その不安が頭をもたげ出したという。それに加え、軟らかくなった雪も、それを後押しした。

「予選と同じ状態のスキーでは、上り坂を全然上がっていけないくらいに雪の状態が変わっていたんです。自分の体としても120%の状態ではなかったし、スキーの状態も120%ではなかった。本来ならそれを自分の滑りでカバーしていかなくてはいけないけど、今回はそれができなかったんです」

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この悔しい思いを残りの競技にぶつけたい(写真提供:共同通信)

今季はバンクーバーだけに照準を合わせたこともあり、ワールドカップではなかなか結果を出せなかった。それが不安材料になり、集中力も以前のようにオフからオンへ、パッと切り換える事ができなくなっていたという。「メダルを狙える位置にきた。オリンピックでメダルを獲りたい」という思いが、知らず知らずのうちに心の中にプレッシャーを溜めさせていたのだろう。

「やっぱり気負っていた部分もあったと思います。自分の走りをできずに悔しい思いをしたから、それと同じ過ちを繰り返さないようにしたいと思います」

夏見はこのあとに残る、チームスプリントと4×5kmリレーへ向けて気持ちを引き締めた。

男子準々決勝第1組の恩田は、準決勝進出を目指し思い切った勝負に出た。

「最後の平地で渡り合える力はまだついていないから、逃げるしかなかったんです」という恩田は、スタートから約250mほどの長い上り坂の途中で勝負をかけ、一気に前に出た。昨季のワールドカップ第15戦トロンハイム大会で自己最高位タイの4位になった時のような、大逃げをしようとしたのだ。

「前に出た方が自分のリズムで滑れるから、人の後ろを滑る時ほどストレスはないんです。ただ、後ろから追われている怖さもあるから、自分でもわからないうちにオーバーペースになっていたかもしれない。結局2つ目の大きな坂を上りきった時点で、脚に疲れがきてしまって。最後の平地でも力を伝えられない、ただ押しているだけのような滑りになってしまいましたね」

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一気に勝負をかけて先頭に立った恩田選手(写真提供:AP/アフロ)

約1kmほど先頭に立っていたが、恩田がイメージしていたほどには後続は離れてくれなかった。ワールドカップとは違うオリンピックという大舞台。同じ意識で逃げているつもりでも、後続の選手から受けるプレッシャーは大きいだろう。さらに追う選手の意識も段違いなもののはずだ。

予選1位通過のパンジンスキー(ロシア/銀メダル獲得)にスタジアム内へ入ってから交わされた後、最後の直線でも2選手に抜かれて4位に落ちてしまった。結局、タイム上位で準決勝進出となるラッキールーザーにもなれず、夏見と同じように準々決勝で敗退した。

「なんとしても一発引っかけてメダルを、という気持ちで狙ったから、レースとしては良かったと思います。でも4年に1回のオリンピックは、レース内容ではなく結果を求められる大会だと思っているので。その点では自分の力不足だったと思います。予選の時の固い雪だとまだ余裕はあったが、軟らかい雪になると体力勝負になりますから。あの雪でまだ、1.6kmを滑りきる体力がなかったということです」

夏見と同じように、オリンピックへ照準を合わせた今季は、ワールドカップでは予選落ちが多かった。そのために、6人1組で走るヒートの感覚を、今いちつかみきれていなかったのではないかという。

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トリノでは26位だった同種目で、今回は17位(写真提供:共同通信)

「4年前のトリノもすごく悔しかったけど、今回の負け方には何ともいえない悔しさがありますね。その悔しさがある限りはまだまだ競技を続けて、上を目指そうと思います」

メダルを目指したこの4年間は、思ったような成績がでない時でも我慢し練習に打ち込むことができた。前回のように地に足がついていない状態ではなく、しっかりと地に足をつけて競技に取り組めたという実感もある。それをさらに継続することを決意する恩田は、4年後のメダルに視線を向けようとしている。

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