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東京オリンピック開催へ

vol.2 悲願の東京オリンピック開催へ

悲願の東京オリンピック開催へ

 第二次世界大戦後、日本がIOCに復帰を果たしたのは1951年の第44次IOC総会でのことだった。1948年にロンドンで行なわれた第14回大会には、日本は参加を認められていなかった。それから3年の間、関係者の懸命な努力が続けられた。加えて当時のエドストロームIOC会長、ブランデージ同副会長の好意もあり、日本NOCは再びIOCの一員となり、1952年に行なわれた戦後2回目のオリンピック開催となったヘルシンキ(フィンランド)での第15回大会に、代表選手団103名を派遣することとなった。

 また同年5月には、1960年に開催される第17回大会を東京に招致する意向を表明。7月2日には正式招請状がIOCに提出された。1955年にはブランデージIOC会長が来日。その際、東京への招致に向けて多くのアドバイスが残された。

 日本は第17回大会の東京招致のための活動を積極的に行なった。しかしそれは時間的にIOC委員に理解を貰うための時間が少なすぎた。また欧州からの代表選手団の派遣について、「第16回大会がメルボルン(オーストラリア)で開催されるのに続いて、日本の開催ということに関しては、地理的な問題、派遣費用の問題で不可能と思われる。むしろ第18回大会に焦点を合わせ全ての招致活動をすべきであろう」という意見がブランデージIOC会長から伝えられた。

 第12回大会の招致に名乗りをあげていたのは、ローマ(イタリア)、バルセロナ(スペイン)、ヘルシンキ(フィンランド)、ブダペスト(ハンガリー)、アレキサンドリア(エジプト)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、リオデジャネイロ(ブラジル)、ダブリン(アイルランド)、トロント(カナダ)の9都市。これに東京が加わって、招致活動が行なわれた。

 1955年10月10日、東京都議会は決議案として出された第18回大会の招致を満場一致で決議。翌年11月には1958年に開催が予定された第54次IOC総会を東京で開催することにIOC総会で決定した。これは東京オリンピック開催に向けて、大きな布石となった。

 1958年5月13日、第54次IOC総会が、天皇陛下の開会宣言により開始された。総会のために再来日していたブランデージIOC会長に対し、第18回大会の正式招請状が手渡された。そしてその1年後、西ドイツ(現ドイツ)のミュンヘンで開催された第55次IOC総会において、日本は34票(全56票)を獲得し、招致合戦のライバルであったデトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)に大差をもって、開催地に決まった。

 ミュンヘンのIOC総会へは

東京都から
東 龍太郎 東京都知事・IOC委員(ともに当時)
安井誠一郎 元東京都知事
高石真五郎 IOC委員(当時)
平沢和重 都市代表

JOCから
竹田恒徳 JOC委員長(当時)
田畑政治 JOC総務主事(当時)

の6氏が派遣された。

 また1959年にはオリンピック憲章に基づき、組織委員会が設立された。設立総会は同年9月30日に東京・赤坂プリンスホテルで行われた。

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