FISUワールドユニバーシティゲームズ 過去の成績
■ パリ大会(1957) |
この大会では、陸上、水泳、水球、フェンシング、テニス、バスケットボール、バレーボールの7競技が実施されたが、日本は、村上国平団長以下32名が7競技に参加。 陸上440m障害の大串啓二選手の3位が最高の成績だった。 |
■ 第1回トリノ大会(1959) |
実施競技は、前回のパリ大会と同じ7競技。日本は、北沢清団長以下22名が、陸上競技、フェンシング、テニスの3競技に参加。 選手団の数は少なかったが、陸上棒高跳びの安田矩明選手とテニス男子ダブルスの長崎正雄・半那毅男選手が金メダルを獲得。 |
■ 第2回ソフィア大会(1961) |
実施競技は体操がふえて8競技。日本は、北沢清団長以下86名が、バレーボールを除く7競技に参加。 日本は水泳陣の大活躍で、金メダル9個、銀メダル5個、鋼メダル4個を獲得し、金メダル数ではソビエトの21個に次いで2位の成績を収めた。 |
■ 第3回ポルトアルグレ大会(1963) |
実施競技は前大会と同じ8競技。日本は、北沢清団長以下62名が、バスケットボール、バレーボールを除く6競技に参加。 成績は、金メダル9個、銀メダル4個、銅メダル6個。金メダルの多い順序は、ハンガリー19個、ソビエト18個、ドイツ10個、次いで日本の9個となっている。 |
■ 第4回ブタペスト大会(1965) |
実施競技は8競技。日本は、近藤天団長以下112名が全競技に参加。 成績の方は、金メダル5個、銅メダル2個。前大会および前々大会をはるかに下回ったが、陸上100mの飯島秀雄選手と、5,000mの沢木啓祐選手の金メダルは、それぞれ強敵を破っての快挙だった。 |
■ 第5回東京大会(1967) |
従来の8競技の他に柔道も加えて9競技を実施。日本は地元開催ということもあり、近藤天団長以下244名が全競技に参加。 成績の方も、金メダル21個、銀メダル17個、銅メダル26個を獲得し、ホスト・カントリーらしい活躍ぶりをみせた。各競技とも平均的に成績はよかったが、陸上5,000m、10,000mの両種目を制した沢木啓祐選手のラストスパートと、体操男子の活躍、バレーボール男女、フェンシング・男子フルーレ団体の健闘、さらに柔道の圧倒的な強さは、目をひいた。 |
■ 第6回トリノ大会(1970) |
実施競技は、前にもどって8競技。日本は、奥野良団長以下85名が水球を除く7競技に参加。 成績は、金メダル3個、銀メダル7個、銅メダル5個。金メダルの内訳は、体操男子団体、体操男子個人総合の岡村輝一選手、テニス男子ダブルスの坂井利郎・神和住純選手。 |
■ 第7回モスクワ大会(1973) |
実施競技は、新しくレスリングが加わり9競技。日本は、田島直人団長以下97名が8競技に参加。 日本選手団が獲得したメダルは、金メダル3個、銀メダル8個、鋼メダル1個。金メダルの内訳は・レスリング・フリースタイル52kg級の下田和弘、同57kg級の佐々木禎、同62kg級の宮原章の3選手。常勝の体操男子団体も、この大会では優勝できず2位。 |
■ 第8回ローマ大会(1975) |
陸上競技のみ実施。日本は不参加。 |
■ 第9回ソフィア大会(1977) |
実施競技は、モスクワ大会と同じ9競技(ただし現地では、飛込を別に数え、10競技としていた)日本は、古橋廣之進団長以下126名が実施全競技に参加。 金メダル5個、銀メダル5個、銅メダル1個を獲得し、ソ連、アメリカ、ブルガリア、ルーマニアに次いで5位の成績を収めた。 金メダル5個の内訳は、体操男子個人総合とゆか運動の梶山広司選手、同鉄棒の後藤清志選手、レスリング・フリースタイル48㎏級の藤沢信雄選手、同52㎏級の清水清人選手。 |
■ 第10回メキシコシティ大会(1979) |
実施競技は9競技。日本は、松井聡団長以下141名が実施全競技に参加。獲得したメダルは、金メダル1個、銀メダル3個、銅メダル7個の計11個。 メダル獲得の順位からいえば、12位の成績であった。金メダルは体操男子種目別の山脇恭二選手の1個にとどまったが、銀メダルは体操男子団体総合のほかに、陸上競技走幅跳びの臼井淳一選手・女子バレーボール、さらに銅メダルは競泳男子200m平泳ぎの新屋千城選手、男子バレーボールなどが獲得し、日本選手団は幅広い活躍を見せた。 |
■ 第11回ブカレスト大会(1981) |
実施競技は9競技、福山信義団長以下144名が実施全競技に参加。獲得したメダルは、金メダル3個、銀メダル2個、銅メダル2個の計7個。 金メダルは体操男子平行棒の外村康二選手およびレスリング・フリースタイル48kg級の石川利明選手、同52kg級の佐藤満選手、また銀メダルはレスリングと男子バレーボールであり、レスリングの活躍が目立った大会であった。 |
■ 第12回エドモントン大会(1983) |
実施競技は9競技。古橋廣之進団長以下181名が実施全競技に参加。成績は、陸上10,000mで米重修一選手、水泳100m平泳ぎで高橋繁浩選手が金メダルを獲得したほか銀メダル3個、銅メダル6個の成績を収めた。 ロサンゼルス・オリンピック大会の前年ということもあって、世界各国の強豪が数多く参加し、ハイレベルの大会であった。 |
■ 第13回神戸大会(1985) |
実施競技は10競技。ホスト・カントリーとして、帖佐寛章団長以下291名というユニバーシアード大会史上最大の選手団が全競技に参加。 強豪米ソを含む史上最大の106カ国の参加、2つの世界記録の樹立とまさに世界大会と呼ぶにふさわしい中にあって、日本の成績は金メダル6個、銀メダル3個、銅メダル7個のメダルを獲得した。 金メダルは、柔道の団体、個人71㎏の吉鷹幸春選手、無差別の正木嘉美選手、陸上・女子マラソンの深尾真美選手、バレーボールは男女共に金メダルと大活躍をし、大会を盛り上げた。 |
■ 第14回ザグレブ大会(1987) |
実施競技は11競技。長沼健団長以下199名が、実施全競技に参加。 成績の内訳は、水泳・背泳ぎ100mと200mで鈴木大地選手が、また陸上競技マラソンで泉宣廣選手が金メダルを獲得したほか、銀メダル3個、銅メダル6個の計12個を獲得した。また、6位までの入賞数は、32種目となる好成績を収めた。 |
■ 第15回デュースブルグ大会(1989) |
実施競技は4競技。佐野雅之団長以下67名が実施全競技に参加。当初サンパウロ(ブラジル)での開催予定が、返上により1989年3月に急拠変更。日本の成績は陸上の女子マラソンの高山明美選手、女子10,000mの石坂雅美選手が銀メダルを獲得した。 |
■ 第16回シェフィールド大会(1991) |
実施競技は10競技。上田宗良団長以下239名が実施全競技に参加。陸上・女子マラソンで岩井都選手、水泳・男子400m個人メドレーで藤本隆宏選手、テニス・女子シングルスで遠藤愛選手、体操・種目別・女子跳馬で瀬尾恭子選手が金メダルを獲得。 銀メダルは陸上、水泳、テニス、体操で合計16個。銅メダルは水泳と体操で8個、金・銀・銅メダルの合計28個は東京大会(1967)に次ぐ史上2位。海外での夏のユニバーシアードでは最多のメダル数となった。また6位までに55種目、8位までには74種目に入賞するという健闘を果たした。 |
■ 第17回バッファロー大会(1993) |
実施競技は11競技。小掛照二団長以下249名が参加。 日本の5個の金メダルは、陸上女子マラソンの川口紀子選手、水泳女子100mおよび200mバタフライで2個の金メダルを獲得した漢人陽子選手、テニス混合ダブルスの平木理化選手・原田夏希選手および男子バレーボールが獲得したもので、金メダリスト16人を輩出した。 銀メダルを獲得した競技は陸上・4、水泳・5、テニス・2、体操・2の4競技で13個。銅メダルは陸上・2、水泳・9、体操・1の3競技で12個であった。 30個のメダルは前回シェフィールド大会の28個を上まわり、1967年の東京大会(64個)に次ぐメダル数で、海外で行われた大会では史上最高となった。 今大会のメダル総数順位でも、アメリカ、カナダに次いで3位となる好成績であった。 |
■ 第18回福岡大会(1995) |
実施競技は10競技。バッファロー大会で行われた漕艇が外れ、新たに柔道が加わった。日本選手団は、笹原正三団長以下372名という過去最大の規模で臨み、選手が力を出し切ったことにより、獲得したメダル数は、64個(金24、銀16、銅24)にも上った。また、惜しくもメダルには届かなかったが、自己記録を更新する選手が続出した。 メダル総数順位は、アメリカの69個に次ぐ2位であった。 |
■ 第19回シチリア大会(1997) |
実施競技は8競技。福岡大会で実施された野球と柔道が外れた。日本選手団は笹原正三団長以下234名が参加。127種目のうち91種目にエントリーして、メダル数33個(金14、銀8、銅11)を獲得した。また72種目に入賞を果たし、メダル総数順位でも、アメリカ、ウクライナに次いで3位となる好成績であった。 |
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