FISUワールドユニバーシティゲームズ 過去の成績
■ 1960年シャモニー大会 |
この大会には、日本からは選手団を派遣せず、在グルノーブルの西沢彰敏、中沢達夫の2名が参加したにとどまった。成績は不明。 |
■ 1962年ビラール大会 |
この大会では、スキー、フィギュアスケートの2競技が実施され、日本は宮下利三団長以下24名が参加、複合ジャンプで仁川原錬造選手、純ジャンプで若狭繁行選手、女子フィギュアで上野純子選手がいずれも優勝、選手団は少数であったが、金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル3個を獲得した。 |
■ 1964年スピンドリルフムリン大会 |
実施競技は、アイスホッケーがふえて3競技、日本は、木原均団長以下26名が、アイスホッケーを除くスキー、フィギュアスケートの2競技に参加、女子フィギュアで福原美和選手が日本選手として唯一の金メダルを獲得、メダル数は、金1個、銀4個、銅1個であった。 |
■ 1966年トリノ大会 |
実施競技は、スピードスケートが加わり、スキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの3競技。 日本は、竹田恒徳団長以下27名が、スキー、スケート(スピード、フィギュア)の2競技に参加、この大会では純ジャンプの笠谷幸生選手、男子フィギュアの佐藤信夫選手、女子フィギュアの福原美和選手がいずれも大活躍し、日本に3個の金メダルをもたらした。メダル数は、金3個、銀2個、銅2個であった。 |
■ 1968年インスブルック大会 |
実施競技は前回同様、スキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの3競技で、日本は竹田恒徳団長以下37名が、スキー、スケート(スピード、フィギュア)の2競技に参加。 この大会で、日本選手団は大活躍し、板垣宏選手が60m級純ジャンプと複合で優勝、女子フィギュアで大川久美子選手が優勝、メダル数は、金3個、銀4個、銅4個と、これまでの大会で最高の成績をおさめた。 |
■ 1970年ロバニエミ大会 |
実施競技は前回同様、スキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの3競技。日本は、中川新団長以下49名がスキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの全競技に参加。この大会での選手団の成績はふるわず、獲得メダル数は、銅3個のみであった。 |
■ 1972年レークプラシッド大会 |
実施競技は前回同様、スキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの3競技で、日本はこのうちスキー、スケート(スピード、フィギュア)の2競技に参加。日本選手団は両角政人団長以下25名であった。成績は、スキー70m級純ジャンプ中野秀樹選手が金メダルを獲得。メダル数は、金1個、銀3個であった。 |
■ 1981年ハカ大会 |
実施競技は前回同様、スキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケ-の3競技で、日本選手団(牧野呂団長以下49名)はスキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの全競技に参加。メダル数は、銀2個、銅2個であった。 |
■ 1983年ソフィア大会 |
実施競技は前回実施されたスキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスケーにバイアスロンが加わり4競技。日本選手団(矢野博一団長以下53名)はこのうちスキー、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケーの3競技に参加。成績はフィギュアスケート男子シングルで無良隆志選手が金メダルを獲得した。 |
■ 1985年ベルノ大会 |
ユニバーシアード冬季大会ではじめてスケートのショートトラックが実施された。 日本選手団(清野市治団長以下56名)は全競技(スキー:アルペン/クロスカントリー/ジャンプ/複合、スケート:フィギュア/ショートトラック、アイスホッケー)に参加。成績は、フィギュアスケート女子シングルで小沢樹里選手が金メダル、スキー複合で内田博喜選手が銅メダルを獲得したほか5位にフィギュアスケート男子シングル大島淳選手とアイスホッケー、6位にスキー複合成田収平選手、クロスカントリー(30km)佐々木一成選手、アイスダンス滝野賢治・滝野薫選手がそれぞれ入賞した。 |
■ 1987年ストラブスケ・プレソ大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、クロスカントリー、複合、ジャンプ)、スケート(フィギュア)、アイスホッケーの3競技で、日本選手団(河淵務団長以下59名)は全競技に参加した。成績は、スキー複合で児玉和興選手が銀メダルを獲得したほか、4位にスキー大回転押切敬司選手とフィギュアスケート男子シングル加納誠選手、女子シングル加藤雅子選手、5位にスキークロスカントリー男子リレーとアイスホッケー、6位にスキーアルペン複合秋庭将之選手と70m級ジャンプ団体がそれぞれ入賞した。 |
■ 1989年ソフィア大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、クロスカントリー、複合、ジャンプ)、スケート(フィギュア、ショートトラック、スピードスケート)、アイスホッケーの3競技で、日本選手団(高橋敏団長以下59名)は、全競技に参加した。成績は、スキー複合の荻原健司選手、フィギュア男子シングルの加納誠選手が大活躍し、2個の金メダルをもたらした。また、銀1個(スキー複合、河野孝典選手)、銅4個(ジャンプ70m級団体、ショートトラック女子1000m・3000m・総合)を獲得した。 |
■ 1991年札幌大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、クロスカントリー、複合、ジャンプ)、スケート(フィギュア、ショートトラック、スピードスケート)、アイスホッケーの3競技で、日本選手団(久永勝一郎団長以下118名)は、全競技に参加した。成績は、金メダル14個、銀メダル9個、銅メダル9個を獲得した。金メダリストは次のとおり。 (スキー)渡邊博文(15kmクラシカル)、長浜一年(男子複合)、松浦・今井・渡邊・長浜(4×10kmリレー)、太田美和(10kmクラシカル、女子距離複合、女15km)、伊藤直人(ノーマルヒル、ラージヒル)、西方・小田・佐々木・伊藤(ジャンプ団体)、荻原健司(複合)、木村公宣(回転)(スピードスケート)黒岩敏幸(男子500m・1000m)、佐藤和弘(男子10000m) |
■ 1993年ザコパネ大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、クロスカントリー、複合、ジャンプ)、スケート(フィギュア、ショートトラック)、アイスホッケー、バイアスロンの4競技で、日本選手団(若尾金之丞団長以下83名)は、このうちスキー、スケート、アイスホッケーの3競技に参加した。成績は、金メダル6個、銀メダル8個、銅メダル4個を獲得、世界一の成績を収めた。金メダリストは次のとおり。 (クロスカントリー)長浜一年(男子30kmフリー)、星川直美(女子15kmフリー)、(ジャンプ)伊藤直人(ノーマルヒル)、吹田幸隆(ラージヒル)、(ノルディック複合)古川純一、(フィギュアスケート・女子)八木沼純子 |
■ 1995年ハカ大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、クロスカントリー、複合、ジャンプ)、スケート(フィギュア、ショートトラック)、アイスホッケーの3競技で、日本選手団(田名部匡省団長以下108名)は、全競技に参加した。また、この他にデモンストレーション競技として、スノーボードに1名が参加した。成績は、金メダル3個、銀メダル5個、銅メダル7個を獲得した。金メダリストは次のとおり。 (アルペン)川口城二(男子複合)、(クロスカントリー)神津正昭(男子30kmフリースタイル)、(ジャンプ)吹田幸隆(ノーマルヒル個人) |
■ 1997年ムジュ・チョンジュ大会 |
実施競技は、スキー(アルペン、ジャンプ、クロスカントリー、コンバインド)、スケート(フィギュアスケート、スピードスケート、ショートトラック)、アイスホッケーと今回から初めて参加するバイアスロンの4競技53種目だった。日本代表選手団はバイアスロン女子3×7.5kmリレー以外のすべての種目に参加した。遅塚研一団長以下158名の選手団は、長野オリンピックをにらんだ大活躍を見せ、金9、銀9、銅7、合計25個のメダルを獲得。全てのメダルで1位の成績を収めた。 |
■ 1999年ポプラド大会 |
実施競技は4競技、52種目。前大会と比べてスケート競技のスピードスケートが外れ、スキー競技のスノーボードが加わったほか、ノルディック複合の1種目、バイアスロン競技の2種目が増えた。日本代表選手団は池上三紀団長以下130名が参加。バイアスロン競技を除く3競技、44種目にエントリーして金メダル4個、銀メダル5個、銅メダル7個の計16個のメダルを獲得した。メダル獲得が確実のスピードスケートが実施されなかった中、スキージャンプ、ノルディック複合、スケートのショートトラックが活躍した。 |
■ 2001年ザコパネ大会 |
実施競技はスキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロンの4競技、52種目で、日本代表選手団は、金メダル3個、銀メダル2個、銅メダル5個の計10個を獲得した。これは参加41ヵ国・地域の中で、獲得金メダル数、メダル総数ともに第6位であった。また4位〜8位の入賞は26組となり、1位〜8位までの総入賞は36組となった。競技種目、派遣選手数などの違いはあるが、過去19大会においての金メダル獲得数と比較すると、札幌(14個、1991年)、ムジュ・チョンジュ(9個、1997年)、ザコパネ(6個、1993年)、そして前回のポプラド(4個、1999年)に次ぐ歴代5位の成績であった。 |
■ 2003年タルヴィジオ大会 |
実施競技は、スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロン、カーリングの5競技、57種目で、日本代表選手団は、金メダル5個、銀メダル3個、銅メダル6個の計14個を獲得した。これは参加46ヵ国・地域の中で、獲得金メダル数4位、獲得総メダル数14個は2位であった。また、4位〜8位の入賞は19組となり、1位〜8位までの総入賞は33組となった。種目ではノルディック複合の活躍が目立った。日本代表選手団は佐藤昭団長以下136名が参加。 |
■ 2005年インスブルック大会 |
実施競技は、スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロンの4競技、69種目で、日本代表選手団は、金メダル5個、銀メダル6個、銅メダル6個の計17個を獲得した。これは参加50ヵ国・地域の中で、獲得金メダル数は前大会同様4位、獲得総メダル数17個も4位であった。また4位〜8位の入賞は37組となり、1位〜8位までの総入賞は54組となった。競技種目数、派遣選手数などの違いはあるが、過去21大会における金メダル獲得数と比較すると、札幌(14個、1991年)、ムジュ・チョンジュ(9個、1997年)、ザコパネ(6個、1993年)に次ぎ、前回と同数で歴代4位の成績であった。またメダル獲得数では、札幌(32個、1991年)、ムジュ・チョンジュ(25個、1997年)に次ぐ歴代3位の成績を収めた。 |
■ 2007年トリノ大会 |
実施競技は、スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロン、カーリングの5競技70種目で、オプショナル競技としてスケート競技シンクロナイズドスケーティングが実施された。また、雪不足によりアルペン男女滑降が中止となった。日本代表選手団は早田卓次団長以下162名が参加し、金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル5個の計14個を獲得した。参加した48ヵ国・地域の中で獲得金メダル数9位、獲得総メダル数7位の成績であった。 |
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