ドーハアジア大会
第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)
第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)展望
世界へとつながるアジアチャンピオンをめざして
多彩な競技がもう一つの楽しみ
カバディ 第15回アジア競技大会(2002/釜山)より (写真提供:アフロスポーツ) |
アジア競技大会のもうひとつの楽しみは、競技の多彩さといえる。1994年の広島大会で、セパタクローやカバディというなじみのない競技を実際に見た時の感動と迫力は新鮮だった。会場に来た観客たちも、微笑みと驚きの表情を交互に浮かべながら、興味深く競技を見守っていた。
南アジアで生まれたカバディが3500年の歴史を持つ競技であり、東南アジア生まれのセパタクローも1000年以上の歴史を持つスポーツだと知ったのもその時のことだ。アジア競技大会出場に向けてその競技を始めた選手たちだけでなく、その場で彼らの戦いを見ていた観客たちもまた、そのスポーツを生み出した国々の歴史や文化に触れていたのに違いない。
セパタクロー 第15回アジア競技大会(2002/釜山)より (写真提供:アフロスポーツ) |
ビリヤード 第15回アジア競技大会(2002/釜山)より (写真提供:アフロスポーツ) |
勝敗を競い合いながらも、ただ単に勝利だけを求めるのではなく、互いのそのスポーツを生み出した文化や歴史に対しての相互理解を深めていく。それがまた、多種多様な人種や生活が存在しているアジアを理解する上でも、貴重な空間、時間といえる。その意味でもカバディやセパタクローだけでなく、空手道や武術太極拳、テコンドーなど、アジアの国々で生まれたスポーツを正式競技として採用するこの大会は、オリンピックとはまたひと味違う、和やかさと奥行きを持っている大会だといえるのだ。
アジア競技大会は様々な可能性をもっている
さらにもうひとつ、アジア競技大会の特色であり、なおかつ貴重なのは、ボーリングやビリヤードなど、一般の人たちにもレジャースポーツとして普及している競技を採用していることだろう。
それらの競技にはプロ選手がいて、各種の大会も開催されているが、それは特殊な人たちのゲームであり、一般愛好者とは一線を画する面もあるだろう。しかし、アジア競技大会のような総合大会でその競技を採用することは、それが単なるゲームではなく、スポーツであると宣言していることだ。
高齢化社会が進む日本は今、生涯スポーツの重要性が高まっている。だが、欧米に比べてスポーツ文化の認識が遅れている日本では、まだスポーツは若者や特殊な人たちのものだという考え方か多いだろう。しかし、身近なスポーツが総合国際大会で行われていると知れば、スポーツに対しての認識はより広範囲なものに変わっていくはずだ。その点では、ドーハ大会で初めて正式競技となったチェスの存在も興味深いものといえる。
以前、取材で毛抜き作りの技術を伝える60歳代の職人さんと会ったことがある。仕事一筋で生きてきたその人は、ボーリングが趣味でいまだに続けているといった。そのベストスコアは298点 だと聞いて驚いた。そんな人たちがアジア競技大会の予選に出てくれるようなことになれば・・・。それほど面白いことはないだろうし、スポーツはより健全なものとして年齢に関係なく普及していくようになるだろう。
アジア競技大会は鍛え上げられた体と技術を競い合うだけでなく、より多様な可能性を含み持った大会だといえる。
「定年後の目標はアジア競技大会出場!」
そう宣言する人まで出てくるようになったら、痛快ではないか。
(2006.11.9)