日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念シンポジウム、第3回目を広島で開催
日本体育協会と日本オリンピック委員会(JOC)は、創立100周年記念シンポジウムの第3回目を2月26日、広島会場となる広島国際会議場で開催しました。全4回にわたり行われるシンポジウムでは、「日本のスポーツ100年~ これまでとこれから~」を共通テーマに、これまでスポーツ振興に果たしてきた役割や実績を総括するとともに、これからの歩むべき方向性や取り組むべき方策について考えます。広島会場では『スポーツが築く「平和と友好」に満ちた世界』をテーマに、スポーツによる平和構築の可能性と戦略について考えました。
100周年を祝いシンポジウムが開かれた
まず冒頭で、日本のスポーツ100年 の歩みを紹介するビデオを上映。市原則之JOC専務理事が主催者を代表して「1911年に嘉納治五郎先生が日本体育協会とJOCの前身となる大日本体育協会を創立してから、7月には創立100周年を迎えます。今回は、その記念事業として全国4会場で行うシンポジウムの1つです。ここ広島は尊い犠牲の上に世界平和の実現を目指している町。未来に向けた新たな一歩を踏み出すためにも、私たちが取り組むべき方策を考えることができればと思います」とあいさつしました。続いて、広島県体育協会の加藤義明会長が来賓を代表して登壇。「日本体育協会とJOCでは、国民の健康増進、スポーツ振興、アスリートの育成強化など多大な業績を残されてきました。今日はここ広島で、平和をテーマにこれからの100年を考える機会にできればと思います」と話しました。
市原JOC専務理事
加藤・広島県体育協会会長
その後、全シンポジウムのトータル・コーディネーターを務める佐伯年詩雄氏から、シンポジウムの趣旨説明がありました。佐伯氏は「一人でも多くの人がスポーツの価値に気づき、その恩恵に浴せるようにすることが、私達のミッションです」と話しました。
■基調講演「スポーツと平和」 明石康・元国連事務次長、国際オリンピック休戦財団理事
第一部は、元国連事務次長の明石康・国際オリンピック休戦財団理事が「スポーツと平和」と題して基調講演を行いました。
明石氏はスポーツの価値について「孤立しがちな現代において、スポーツを通じて海外の色々な人に出会うことが、お互いの尊厳に気づくことになります」と紹介。オリンピックが平和と結びついた事例として、オリンピック停戦について言及しました。「国連では2年ごとにオリンピック停戦を決議しています。1998年長野冬季オリンピックでは、イラクへの空爆を準備していたアメリカが、オリンピック停戦の決議を受け、空爆の時期をずらした例がありました。2000年には、ジャック・ロゲIOC会長が中心となりギリシャ政府に働きかけ、国際オリンピック休戦財団を創立しました」。明石氏は、国際オリンピック休戦財団の理事として、今でも平和活動に尽力しています。
また今後のオリンピックについて提言しました。「オリンピックという大会とオリンピック運動(オリンピックムーブメント)は、はっきり分けて考える必要があります。オリンピック運動は、古代ギリシャで始まった平和運動としっかり結びついているもの。古代ギリシャでは、オリンピック休戦は1200年に渡り守られてきたのです。一方、現代(近代)のオリンピックは、色々な要素が入ってきています。今、オリンピックの運営経費は2000億円とも言われています。オリンピックのような全人類の祭典は、一部の国のみが開催できる祭典となってはなりません。喜ばしいことに、2016年には初のラテンアメリカ(リオデジャネイロ)でのオリンピックが行われます。ゆくゆくアフリカでも開催される日が来ると信じています。スポーツは個々の人を結ぶ大事な絆。人類の友情の輪を大きくする道具としてオリンピックを育成していく、そんな大きなビジョンでスポーツ関係者の皆様には行動をしていただきたいと思います」とまとめました。
明石・国際オリンピック休戦財団理事
■パネルディスカッション『スポーツが築く「平和と友好」に満ちた世界』
第2部はパネルディスカッション『スポーツが築く「平和と友好」に満ちた世界』。衣笠祥雄・元広島カープ選手・プロ野球解説者、真田久・筑波大学教授、曾根幹子・モントリオールオリンピック陸上競技日本代表、野上義二・元駐英大使・JOC理事、山下泰裕・ロサンゼルスオリンピック柔道金メダリストの5人が登壇し、清水諭・筑波大学教授がコーディネーターを務めました。
真田氏は「嘉納治五郎が果たした国際貢献について」として、嘉納氏の業績について紹介。「1896年以降、中国からの留学生を8000人以上受け入れました。留学生を受け入れるための学校、宏文学院を創立し、留学生に対して『教育による人格の形成が国や社会を変革させる』という理念を伝えました。また東京高等師範学校(現・筑波大学)を創立し、陸上運動会や水泳実習、課外活動などスポーツを盛んに行いました。嘉納氏が1909年にIOC委員に就任したとき、彼ほどスポーツ教育を実践しているIOC委員はいませんでした」。また留学生を通じて、中国教育の基礎にも影響を与えたことを話しました。「教え子だった留学生の1人は、幼い頃の毛沢東を指導。毛沢東が嘉納氏の教えを高く評価している文書も残されています。IOC関係者からは、教育者としての評価が高い人物でした」と話しました。
真田氏
続いて野上氏は「国際関係におけるスポーツの果たす役割」について話しました。まず、「オリンピックが、ナショナリズムや自己の力を誇示するための場にしてはなりません。しかしベルリンオリンピック(1936年)は、当時のナチスの威信を世界に見せつけるための道具に使われたに過ぎない。北京オリンピックも同様の感がありました」と警鐘を鳴らしました。「私達が平和のために目指すものはソフトパワーです。軍事力ではありません。スポーツ大会を誘致して国際交流を図るときに示すべきものは、たとえば日本の電車の時刻の正確さやホスピタリティなどの成熟した国家の姿です。大きなスタジアムを見せるようなことではないのです。日本ができる平和への貢献は、そういった皆が『素晴らしいな』と思えるものを提示していくことでしょう」と提言しました。
野上氏
山下氏は「世界を結ぶ武道の文化」について、柔道を通じて経験した国際交流の話をしました。「1984年のロサンゼルスオリンピックで、決勝の相手モハメド・ラシュワン(エジプト)は、ケガをしていた私の右足を攻めずに銀メダルとなり『アラブ人として、柔道家として誇りがある。卑怯な戦いは出来なかった』と話しました。彼はユネスコのフェアプレー賞に選ばれました。柔道の最も大切なことは、戦う相手がいるのだから自分を高めることが出来るのだと考える、相手への敬意です。今、ラシュワン氏と一緒にエジプトで子供達に柔道教室を開くなど活動をしていて、彼は僕の人生の財産になりました」と、ラシュワン氏との関係を話しました。またロシアのプーチン元大統領が柔道家であることからロシアに招かれ柔道教室を開催したことや、中国の男子柔道強化のためにODA(政府開発援助)を使って柔道場を作り指導に当たったことなどを紹介。「日本の心を海外に伝えたい」と話しました。
山下氏
衣笠氏は「スポーツと平和の意味」について、「私は昭和39(1964)年の春と夏の甲子園に出場し、大変幸せな経験をさせていただきましたが、昭和16(1941)年から5年間は戦争で甲子園大会が中止され、練習の成果を発揮する場がない先輩方がいました。自分は平和な時代に生まれて良かったと思ったのを記憶しています」と述べました。さらに広島カープ時代の思い出を話しました。「広島は、(原爆の)大きな被害を受けた町ですが、僅か5年後の昭和25(1950)年、プロ野球発足に手を挙げました。大変な時代だからこそ、市民の方々は熱心に応援してくれました。そして昭和50(1975)年の優勝パレードの時に感動的なことがありました。広島市民60万人のうち30万人が沿道に駆けつけ、『おめでとう』ではなく『ありがとう』という言葉をかけてくれたのです。ファンの方は選手と一緒になった気持ちで26年間応援していたのだと分かり、平和を手に入れた広島がカープを作って良かったなと思えた瞬間でした」。
衣笠氏
曾根氏は「広島における平和運動と草の根の交流」について、「広島市は1994年にアジア競技大会が開かれました。各公民館で『1館1国運動』という、1つの地域を応援する運動を行いました。これがモデルとなり、長野冬季オリンピックでは『1校1国運動』が展開されました。(当時『1館1国運動』に参加した)広島市安東公民館は、いまでもオマーンと留学など国際交流を続けています」と事例を紹介しました。他にも、日米元軍人ソフトボール大会や、広島とハワイのリトルリーグ同士の練習試合、広島カープの球場での平和貢献イベントなどを紹介しました。「国際交流活動は小さくても積み重ねが大切。それは広い意味での平和につながっていくものです」と結論しました。
曾根氏
最後にコーディネーターの清水氏は「今日のディスカッションを通して、スポーツが築く『平和と友好』は、レベルを分けて考えると良いことが分かりました。世界平和、人権、国家間、国家と国民、いろいろなレベルがあります。スポーツの特徴は、フェアプレーを通じた相互理解です。それを伝えることで、皆さんから『ありがとう』と言われるようなスポーツ関係者になりたいと思います」とまとめました。約4時間にわたり、様々な意見や提言が報告され、充実したシンポジウムとなりました。
清水氏
(写真提供:出版文化社)