トップアスリートインタビュー
東京オリンピック大会の練習中に国会議員数名が視察に来られ、なにか欲しいものは?と問われて、子供の面倒を見てくれる人を是非にと答えました。でも下の子は預かってくれる施設があったのですが、いざその日がやってくると、施設まで行ったにもかかわらず切なくて、連れて帰ってきてしまいました。長女は3歳になりものが分かる歳でしたから、合宿で出かけるたびに恨めしそうな顔をして泣かれて辛かったですね。育児日記に毎度合宿に出掛ける時は、今日もお別れって書いていました。
体操競技は最終予選に勝たなければ、前の大会で優勝者であっても代表に選ばれないという当然厳しい規則がありました。私は出産後初の試合で2次予選が終った段階では9位でしたが、6位までに入らなければ出場できません。2次予選から最終予選までの1カ月は、神経が研ぎすまされて、身体が透けていくような思いをしました。
競技本番では、自分の出番の2人前までの選手の演技はしっかり見て参考にし、気をつけるべき点を確認し、直前の選手の番になると演技台に背を向けて自分の演技を自分の中でコントロールして、カプセルに入ったような世界を作って練習と同じ気持ちで臨み、ほとんどノーミスで演技を終えることができました。
体操競技の場合、器具に慣れるということはとても大切なことですし、環境に身体が慣れるまで時間もかかるのです。海外で行われたモスクワ世界選手権に出場した時には1m20cmの演技台の上に1m20cmの平均台が置かれていたり、ゆか運動の床に絨毯が敷かれていていたり、規定演技の訳し方が違っていて現地に到着して練習し直したりという大変な経験をしています。どんな条件でも負けは負けなのです。
東京大会では男性のコーチの他、舞踊の先生にも指導して頂いたり、音楽は東京芸術大の宅孝二先生と山本直純先生にお願いして私は「桜」の編曲を作曲して頂きました。東京大会は移動の時間、器具の問題については恵まれていましたが、練習が十分できた分、身体への負担が過大となりそれが怪我への原因にもなりました。
大会中は練習で疲れ果てて選手村に帰ってくるので、横になってばかりいて世界の青年との交流はとてもできませんでした。その時感じたことは、楽しむことが全く出来ない人生なんて、なんと寂しいことだろうという思いでした。人生を謳歌するためには基本的体力がなければならないということにその時改めて気がつきました。その思いが池上本門寺の近くのお寺の庫裡を借りて始めた「池上スポーツ普及クラブ」すべての人々にスポーツを通した健康づくりの出発だったのです。
ローマ大会はわずか0.7差で団体4位でした。終ってからみんなで「日の丸を揚げたかったね」と残念がったものです。そこで失敗なく落ち着いて演技をしようと4年間全員で努力した結果が東京大会の銅メダルが獲得出来たのです。冷静に準備してがんばったから、メダルが獲得できた、来るべきものが来たという感じで、表彰台ではとても爽やかで清々しい思いでした。
開会式は競技場に入ると、大観衆がウォー!と山が唸るような歓声で迎えてくれました。行進しているのですが、足がどう歩いているのか分からない状態で、涙で前が何も見えなくなるほどの感激の極みでした。私は、総べての子供たちが何の世界で生きるにしても、こういう言葉に表しようがないような感動を一瞬でもいいから是非味わわせたいと思いました。選手宣誓の後、鳩が飛び出し、この鳩から糞の贈り物をもらい緊張感の中で心和むひと時で、大笑いでした(笑)。
試合会場には早く他界した父代わりの伯父が秋田から来て見てくれましたが、よく見えない席だったので、東京体育館の館長さんに娘が出ていると話すと、いい席にご案内下さり有難いお心遣いに感謝でした。
大会終了後は慶應義塾大学の仕事に戻りましたが、頭を小さく、手足を長く見せるために、体操の女子選手はみんなショートカットにしていましたから髪をのばしたり久々に気分転換もしました。
私は最初のモスクワの世界選手権大会が個人総合15位、次のローマオリンピックも15位、プラハの世界選手権が11位、最後の東京オリンピックが9位と、子どもを産んで万全な身体状態ではなかったのにも関わらず世界で個人総合で10位以内に入れました事は、年齢とともに順位を上げていくことができたということで私の誇りです。東京大会の銅メダルは皆で協力し合った素晴らしい結晶でありそれは、私にとっても金メダルに値するものだと自負しております。
1936年2月4日生まれ 秋田北高から東京教育大(現・筑波大)へ進み、体操でローマ・東京と2大会連続オリンピック出場し、東京大会では団体で銅メダルを獲得。その後、参院議員を務めるなど国政でも活躍。
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