MENU ─ オリンピックを知る

市川崑総監督が語る名作「東京オリンピック」

平和と友情をテーマに制作された映画「東京オリンピック」

 オリンピック東京大会組織委員会は、社団法人東京オリンピック映画協会(1963年にニュース映画7社により設立)に対し東京オリンピックの記録映画制作を依頼。
 1964年1月、当時大映株式会社と契約を結んでいた市川崑監督がその総監督を務めることに決定。

 シナリオは市川総監督に加え、和田夏十、谷川俊太郎、白坂依志夫の各氏が担当。オリンピック実施競技の各種目の撮影計画を練り、さらにスポーツの撮影に慣れることを主眼として各競技大会を見学、テスト撮影を行った。

 1964年5月26日には記録映画制作の基本方針、制作経費、配給などの諸問題を検討するため、組織委員会事務総長の諮問機関として「オリンピック記録映画委員会」を設置。

 映画のタイトルは一般公募とした。8万通を超える応募の中からオリンピック記録映画委員会により「東京オリンピック」(Tokyo Olympiad)に決定。

 オリンピック前、期間中を通して、映画制作に携わったスタッフ数は、265人にもおよび、撮影フィルムは32万2933フィート(9万7858m)に達した。使用機材も、当時としては本数の少なかった超望遠レンズなどが中心に取り揃えられた。
 大会期間中は、旧赤坂離宮に特設した試写室で、前日の撮影分を総監督以下がラッシュでチェック。翌日の撮影プランについて細かい指示が出された。

 本格的な編集は1964年11月初旬より、麻布のアオイスタジオに編集室と試写室を設けて開始された。記録では32万フィートを超えるフィルムを10万フィートに、さらに3万フィートに順次編集を行ったとされる。

 仕上がり予定のフィート数は1万6,000だが、3万フィートまでに編集を行うために約2カ月を要した。
 1965年1月20日には、第1回オールラッシュが行われ、その後市川総監督と組織委員会との間で、意見の最終調整が行われた。


 3月10日、東京宝塚劇場において、天皇、皇后両陛下のご臨席のもとに完成披露特別試写会が開催された。さらに国立教育虎の門ホールにおいて、オリンピック関係者約9,000人を招いて試写会が行われた。

 完成した試写版(国内版)は、さらに市川総監督により追加編集が行われ、3月20日より、全国東宝系映画館260館で一般公開。当時の最終版は上映時間2時間50分であった。

 同時に英語による海外版も編集作業が進められ、1965年4月上旬に完成。国内版よりも短い2時間10分の作品となった。

オリンピック記録映画委員会

竹田恒徳(OOC副会長) * JOC委員長(当時)
田畑政治(OOC委員)
青木半治(OOC委員) * 日本陸上競技連盟理事長(当時)
与謝野 秀(OOC事務総長)
今 日出海(学識経験者)
南部圭之助(学識経験者) * 映画評論家
市川崑(総監督)
田口助太郎(プロデューサー)
碧川道夫(技術監督)

※OOC(オリンピック大会組織委員会)

使用機材一覧
キャメラ 台数
アリフレックス35 42
アイモ 27
ミッチェル 6 うち高速度キャメラ兼用機2台
エクレール35 3 高速度キャメラ
カメフレックス35 5
アイモ用レンズ 本数
35mm 1
50mm 34
75mm 2
85mm 24
100mm 9
105mm 1
アリフレックス用レンズ 本数
40mm 3
50mm 12
75mm 5
85mm 4
100mm 7
135mm 1
200mm 8
200mmズーム 7
210mm 1
300mm 1
400mm 3
400mmズーム 9
420mm 2
500mmズーム 9
600mm 9
800mm 3
1000mm 2
1200mm 3
1600mm 2
2000mm 1
※上記以外に携行機材も用意された

東京オリンピック1964

Ω