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2025.05.29 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:5月21日企業説明会を実施

登壇してプレゼンを行った11選手(写真:アフロスポーツ)
登壇してプレゼンを行った11選手(写真:アフロスポーツ)

公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)は5月21日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで237社/団体427名(2025年5月21日時点)の採用が決まりました。今回の説明会は一般社団法人日本経済団体連合会の後援のもと、18社24名が参加しました。

水鳥寿思JOC理事(写真:アフロスポーツ)
水鳥寿思JOC理事(写真:アフロスポーツ)

最初に主催者を代表して水鳥寿思JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて自身が体操男子日本代表の監督として帯同したパリ2024大会について「アスリートの価値を再認識しました。オリンピックの価値である『エクセレンス(卓越)』『フレンドシップ(友情)』『リスペクト(敬意/尊重)』は、競技だけでなく、人としての成長や社会貢献にも繋がります。体操男子団体の金メダル獲得時の逆転劇や、橋本大輝選手がライバルをリスペクトする姿は、アスリートが持つ人間的な魅力とスポーツの力を象徴しています」とコメントすると共に、「JOCは、競技力だけでなく人間力も兼ね備えたトップアスリートの育成・支援に引き続き取り組みます。本日参加している11名のアスリートも、競技力と人間力を兼ね備えた選手たちです。ぜひ企業の皆様には、チームジャパンの一員としてアスリートへの支援をご検討いただき、共に応援していただければ幸いです」と参加企業にアスリート採用を呼びかけました。

柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:アフロスポーツ)
柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:アフロスポーツ)

 続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。

 その後、就職希望アスリート11名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。

渡邉愛蓮選手(写真:アフロスポーツ)
渡邉愛蓮選手(写真:アフロスポーツ)

■渡邉愛蓮選手(スキー/アルペン)

「私は雪国の長野戸隠に生まれ、気が付いた時にはスキーが生活の一部になっていました。公園で遊ぶようにスキー場で遊び、小学1年生で地元のレーシングチームに入り、難しい雪やコースを攻略するなど、アルペンスキーの魅力にのめり込んでいきました。小学生の頃から数々の大会で優勝し、その後もジュニアオリンピック、インターハイ、インカレ、国体、全日本選手権で優勝、そして世界ジュニア、ユニバーシアード、ワールドカップ、世界選手権など数々の国際大会にも出場してきました。私がスキー競技を通して培ってきた強みは2つあります。1つ目は、自分の軸を持ち、目標達成まで挑戦し続ける力です。私は12歳の時、初めて苗場でワールドカップを観戦し、大歓声の中をフルスピードで駆け抜ける選手たちに心を奪われました。私もあの舞台でスキーがしたいと強く思った日から、どうすれば速くなれるのかを常に考えるようになりました。その夢を信じて厳しい練習にも耐え、挑み続けました。その結果、昨シーズン初めて世界選手権に出場し、1万人を超える大歓声の中を滑り切ることができました。そして、次はワールドカップや世界選手権、オリンピックなどの大舞台で優勝するという新たな目標が生まれました。その夢に向かって、私は新たな挑戦を始めています。2つ目の強みは、限られた時間の中で優先順位を考え、効率的に行動する力です。私は日々のハードスケジュールの中で、道具の手入れやフィジカルトレーニング、セルフケア、食事の管理、そして大学の課題など、これらすべてをこなすために時間を無駄にせず、何を優先すべきかを常に考えながら行動してきました。この経験から目標に向かって効率的に努力し、確実に成果へと繋げる力を磨いてきました。私はこの2つの強みを生かし、部長を務めた高校3年生では、インターハイ、女子学校対抗で2位という快挙を成し遂げることができました。私が自分の目標と真剣に向き合い、本気で練習に取り組む姿勢が次第に周囲にも影響を与え、チーム全体の意識を大きく変えていきました。私はこの経験から、私の行動は周囲に良い変化をもたらすということを実感しました。ご採用いただけましたら、競技に向き合い続ける姿勢を通じて、社員の皆様に前向きな刺激を届け、一体感の醸成、会社の変革に貢献していきたいと考えています。私自身も競技を続けながら、皆様と共に成長していきたいと思います」

三輪颯太選手(写真:アフロスポーツ)
三輪颯太選手(写真:アフロスポーツ)

■三輪颯太選手(陸上競技・100m 200m)

「私が取り組んできた100m走という競技は、わずか10秒前後で勝負が決まります。しかし、その一瞬の中に、長い年月の努力、試行錯誤、そして自分との対話が詰まっています。0.01秒の差が結果を分けるこの世界では、身体的な強さはもちろん、データや感覚、戦略のすべてを研ぎ澄ませなければなりません。私は競技において常にどうすれば速く走れるのかを考え続けてきました。その探究心から、現在は昨年度卒業した慶應義塾大学の臨時職員として、AICオフィスというところで働いています。主な活動例として、GPSを装着してリレーの走行データをAI分析し、走者同士の位置関係やスピードの変化がどのようにバトンタイムに影響を与えるのかを可視化しました。この分析は実際に2023年の日本選手権での4×100mリレーの優勝につながりました。競技の枠を越えて、最先端技術を自分の武器にすることは私の強みのひとつだと感じています。また、私は競技と社会のつながりを大切にしています。最近では、幼稚園に走り方を教えに行く活動を通して、未来の世代にスポーツの楽しさを伝えることにも力を入れています。私自身が幼い頃、憧れの選手に会って夢を描いたように、今度は私がそのきっかけになりたいと思っています。次世代の育成、地域やファンとのつながりを大切にし、これらの活動にも積極的に取り組んでいきながら、今後の目標であるロサンゼルス2028大会出場、そして100m9秒台を目指していきたいと考えています。もしご採用いただけましたら、競技力のさらなる向上を目指すとともに、これまで培ってきた探究心や最先端技術を取り入れる柔軟な発想力を活かし、社業にも真摯に取り組んでまいります。そして、私がここまで競技を続けてこられたのは、決して自分ひとりの力ではありません。応援してくださるファンの皆さん、目を輝かせてくれる子どもたち、そして何よりそばで支えてくれた家族や仲間たちとのつながりこそが、私の挑戦を支える原動力であり、苦しい時も前を向く理由でした。これからは、そのつながりからもらった力を自分の中だけに留めるのではなく、他社や地域との新たな関係づくり、そして社内外にポジティブな影響を与える力として還元していきたいと考えています。一人のアスリートとして、一人の社会人として、人と人とのつながりの中に新たな価値を生み出せる存在になることが私のもう一つの目標です。将来的には、競技で得た経験や人との関わりの中で育んだ想いを土台として、新たな価値を創造し、競技生活を支えてくださった会社に恩返しができる人材へと成長したいと強く考えております」

村下善乙選手(写真:アフロスポーツ)
村下善乙選手(写真:アフロスポーツ)

■村下善乙選手(スポーツクライミング)

「私がクライミングを始めたのは小学4年生の時です。自分の体一つで重力に逆らって壁を登っていく感覚や登り切ったときの達成感に魅了され、次第にクライミングに夢中になっていきました。昨年は、ワールドカップブリアンソン大会で初優勝を果たし、現在ではオリンピックでのメダル獲得を目標に日々練習に向き合っています。ここからは私がこれまでの人生で培ってきた3つの強みをお話します。1つ目は、分析力です。クライミングは、ただ登るだけの競技ではありません。特に私が取り組んでいるリードは、一度のミスで競技が終了してしまうため、限られた時間での課題分析とリスクを最小限に抑えた対応が求められます。例えば、壁の形状やホールドの位置を瞬時に読み取り、効率的な動きを素早く考える必要があります。そのため、私は日々の練習においてもどのような動きが最適か、どこで失敗のリスクが高まるかと常に課題分析を行ってきました。そして次の大会にどう活かすか、どのように改善していくかを考え行動してきました。このような積み重ねで分析力を培ってきました。2つ目は、課題解決力です。私は、競技だけでなく学業との両立にも力を注いできました。大学では所属するゼミでゼミ長を務め、組織の課題にも向き合いました。具体的には、意見が出にくい雰囲気を改善するために運営方法を見直し、他のゼミとの合同イベントを企画して交流の機会を増やすなど、ゼミ全体の活性化に取り組んできました。こうした経験を通して、組織の中で課題を発見し解決する力が培われたと思います。3つ目は、何事も楽しむ力です。これまでオリンピックを目指して競技に向き合ってこられたのは、何よりも登ること自体が好きだったからです。競技として結果を求めるには、苦しいトレーニングや基礎練習も避けては通れません。その中で、楽しいという気持ちと結果を追い求める姿勢との間で葛藤もありましたが、できなかったことができるようになる過程を楽しもうという気持ちを持ち続けてきました。今後も、挑戦の過程そのものを楽しむ姿勢を持ち続けたいと思っています。ご採用いただけましたら、これらの3つの強みを発揮して競技も仕事も必ず貢献できるよう精一杯頑張ります。大きな壁にぶつかる場面もあると思いますが、課題を冷静に分析し、競技も仕事も楽しむ気持ちを忘れずにチャレンジを続けてまいります」

稲木李菜子(写真:アフロスポーツ)
稲木李菜子(写真:アフロスポーツ)

■稲木李菜子選手(体操/新体操)

「私が新体操と出会ったのは6歳の時です。姉が習っていたことがきっかけで、リボンなどの手具を使いながら曲に合わせて楽しく踊る姿に惹かれ、新体操を始めました。小学1年生で全国チャイルドキッズコンテストに出場したことをきっかけに、最年少ながら小学2年生で選手コースに入り本格的に新体操競技を始めました。大きな転機となったのは、小学3年生で出場した全国大会で準優勝したことです。初めて大きな大会で結果を出せたことで、もっと上を目指したい、世界で活躍したいという思いが芽生え、本格的に練習に打ち込むようになりました。努力を重ね、中学1、2年生でジュニア団体の日本代表選手に選出され、2年連続でアジア選手権大会優勝という結果を残すことができました。この成功体験が、私の夢や目標をさらに具体的にし、フェアリージャパンPOLAという日本のトップを目指す大きなきっかけとなりました。中学3年生の冬にその夢を実現し、フェアリージャパンPOLAに合格しました。それ以来、ナショナルトレーニングセンターで合宿生活を行うなど、日々の練習に全力を注いでいます。今年4月にブルガリアで行われたワールドカップソフィア大会2025では銀メダルを2つ、銅メダルを1つ獲得し、アゼルバイジャンで行われたワールドカップバクー大会2025では、金メダルを獲得することができました。最終的には4年後の大舞台を見据えて努力を重ねていますが、直近の目標として、今年8月にブラジル・リオデジャネイロで行われる世界選手権でのメダル獲得に向け、日々チーム一丸となって取り組んでいます。その目標を達成するために、日々の練習の中でも常に課題を見つけ、どうすれば今より良くなるのかを考え続ける姿勢を大切にしています。競技人生の中で私が1番大切にしていることは、自分の良さを磨くということです。以前は弱点ばかりに目がいきがちでしたが、そうすると自信を失い、本来の自分の良さまで見えなくなってしまうことに気づきました。それ以来自分の長所に目を向け、それを伸ばすことこそが本来の自分らしさを活かす道だと考えるようになりました。また、私の強みは、計画性、問題解決力、分析力、忍耐力です。これらはすべて競技をやっていく中で身につけた力であり、競技だけでなく社会に出てからも必ず活かせる力だと考えています。もしご縁をいただき、企業様にご採用いただけましたら、競技だけでなく、企業の一員として会社の発展に貢献できるよう、これまでの経験を活かしつつ、新たな知識や技術を積極的に吸収し、常に自分自身を高め続ける姿勢で努めてまいります」

伊藤瑠耶選手(写真:アフロスポーツ)
伊藤瑠耶選手(写真:アフロスポーツ)

■伊藤瑠耶選手(スキー/フリースタイル)

「私は、長野県白馬村で生まれ育ちました。白馬村はスキー文化が非常に盛んな地域であり、私は幼い頃からウィンタースポーツが身近にある環境で育ちました。小学3年生の時、地元のスノーパークで華麗な技を決める選手たちの姿に心を奪われ、私もこんなふうに技を決めたいと思い、フリースタイルスキーを始めました。その頃から私の心の中には、オリンピックに出場し、世界の舞台で活躍するというはっきりとした夢が芽生えました。この夢は、年齢を重ねるにつれて憧れから目標へと変わり、やがて自分の人生の軸となりました。地元には、オリンピックで何度も入賞を果たしたモーグルの上村愛子さんや、ノルディック複合で今も世界と戦う渡部暁斗選手、善斗選手が居ます。偉大な先輩方の背中を見て育った私は、私もこの白馬村から、世界に挑戦できる選手になりたいと強く思うようになりました。この夢を追い続ける中で、私は3つの力を身につけました。1つ目は、極限の状況でも発揮できる集中力です。大会では一瞬の判断ミスが結果に直結します。緊張や周囲のプレッシャーに負けず、自分のジャンプや滑りに集中することが求められます。この集中力を武器に、全日本スキー選手権ビッグエア種目では2年連続で優勝することができました。2つ目は、スケジュール管理能力です。限られた時間の中で、トレーニングとアルバイトを両立してきました。日常の合間にフィジカルトレーニングを行い、週末にはジャンプ練習のために埼玉まで通う生活を続けています。自ら課題を明確にし、計画を立てて取り組む姿勢は、業務を進めていく上でも大いに役立つと確信しています。3つ目は、学びの速さと応用力です。飲食店でのアルバイトでは、新しい業務をすぐに習得し、早い段階で新人指導やSNS運用といった業務も任されました。新しいことに柔軟に対応し、チームの中で信頼関係を築いていく力は、どんな環境でも活かせると考えています。ご採用いただけましたら、私が身につけた3つの力である目標に向かって努力を惜しまない姿勢、スケジュール管理、学びの速さと応用力を発揮し、目標に向かって挑戦し続ける姿勢を通して、社員の皆様の一体感醸成に寄与します。また、入社後はチームの一員として積極的な対話を心がけ、誰とでもオープンに意見を交換できる雰囲気づくりを推進したいと考えています」

大野史佳選手(写真:アフロスポーツ)
大野史佳選手(写真:アフロスポーツ)

■大野史佳選手(陸上競技・砲丸投)

「私の人生の目標は、人に夢と希望を届けることです。競技人生の目標は、オリンピックに出場することです。現在、日本女子・砲丸投の日本記録は、森千夏選手が出した18m22であり、この記録は20年間も更新されていません。私の自己ベストは16m37であり、あと2mの壁を超えて、オリンピックに出場したいです。この夢を追い続けて、今年で13年目になります。中学、高校、大学、大学院と競技を続ける中で、国内大会では入賞や優勝を経験し、U20アジア陸上競技選手権大会で日の丸を背負いました。一方で、大きな怪我により競技から離脱する時期もありました。実は現在も、3月に左膝の前十字靱帯を損傷し、復帰に向けてリハビリをしています。それでも私が前を向いて進み続けられるのは、森千夏選手が夢と希望を与えてくれたからです。今度は日本記録を超えてオリンピックへと挑み続ける姿を通して、後輩たちや応援してくださっている方々に、夢と希望を届けたいです。私は、競技人生を続ける中で身に付けた強みが2つあります。1つ目は、どんな状況でも前向きに捉えて前進する力です。全く上手くいかない練習や負けた大会、怪我をした瞬間など、そんな時にもこれには何か意味があると、考えを切り替え次の一歩を踏み出してきました。2つ目は、様々な角度から分析し、成功につなげる力です。試合では小さな感覚のズレが結果に大きく影響するため、感覚のズレの正体について、身体の使い方から直前に食べたもの、投げるとき考えていたことなど細かな点まで分析し、その積み重ねによって記録を伸ばしてきました。ご採用いただきました際には、これまで競技を通じて培ってきた前向きにとらえる力、分析から成功につなげる力を活かし、一人の社会人としても大きく成長していきたいと考えています。業務、競技共に、目の前の事を一つ一つ丁寧に真摯に取り組み、会社の発展に貢献したいです。そして社員の皆様に、夢と希望をお届けできる存在になれるように精進してまいります」

関麟太郎(写真:アフロスポーツ)
関麟太郎(写真:アフロスポーツ)

■関麟太郎選手(トライアスロン)

「私は小学4年生の時にトライアスロンを始め、オリンピック出場を目標に競技を続けてきました。大学進学の際には、スポーツバイオメカニクスを学び、競技に活かしたいと考え、その研究で有名な新潟大学に進学しました。しかし、新潟大学にはトライアスロン部はなく、周りに同じ目標を掲げて練習ができる選手もいませんでした。しかし、そのような環境だからこそ培えた強みがあります。それは主体的な行動力です。私は新潟大学進学の際に一人暮らしを始め、練習や生活の環境も一変しました。そこで、よい練習環境を作るため、知り合いのつてを頼って水泳や自転車のチームに入ったり、大学の水泳部と自転車競技部を兼部したり、県の競技連盟の方に直接指導をお願いしたりするなどして質の高い練習ができるように行動してきました。また、トライアスロンのレースに出た際には、参加選手に声をかけ、多くの方と縁を作ることができました。さらに、長期休みの際には知り合った選手に連絡を入れ、様々なチームや選手のもとへ泊まり込みで練習に行きました。学業の面では、スポーツバイオメカニクスはもちろんのこと、スポーツ心理学や生体医工学、栄養学などを主体的に受講し、競技に活かすことができる多くの知識を得ることができました。中でもスポーツ心理学で学んだ『動機づけ』については、自分だけでなく競技部の部長として部員やチームメイトたちと共有することで、チーム全体の士気が向上しました。大学での勉学を通じて、スポーツ、強いてはトライアスロンの奥深さに気付くこともできました。そしてより一層トライアスロンが好きになりました。このように競技活動と学業を通じて、主体的な行動力を培うことができ、昨年は日本学生トライアスロン選手権で優勝を手にすることもできました。私の夢の1つはオリンピック出場とメダル獲得ですが、競技で得たことを一社会人・関麟太郎として社会に還元すること、それが2つ目の夢です。就職後は、この2つの夢を叶えるためにギアを一段階上げて努力を続けます。ご採用いただけましたら、主体的な行動力を活かして、成果をもたらすことができるまで諦めずに努力し、業務を遂行していきます。また、社員の皆さまともコミュニケーションを密に取り、職場環境の士気向上に貢献したいとも考えています。また、選手として競技で結果を出すだけでなく、レースや私生活での礼儀や態度からも企業の知名度アップに貢献できるよう努めていきます。社員アスリートとして会社や地域の方々に勇気を与え、応援される選手を目指しています」

浅野志織選手(写真:アフロスポーツ)
浅野志織選手(写真:アフロスポーツ)

■浅野志織選手(スキー/フリースタイル)

「私は現在、スポーツ科学部で身体やスポーツ全般について学んでいます。怪我はどうして起こるのかという発生メカニズムを知り、怪我をしないためのトレーニングを取り入れています。私には2つの強みがあります。1つ目は、行動力です。私は、練習場所やトレーニング内容を自ら考え、自分には何が必要かを常に意識しながら競技に取り組むことで、主体的に行動する力を身につけてきました。オリンピックでのメダル獲得を目標に、シーズン初めに1年の目標、大会ごとの目標、そして1ヶ月ごとの目標を紙に書き出し、自らの意見をもとにコーチやトレーナーと相談し、練習を積み重ねています。私は、自分で考えるということを大切にすることで、自分らしさを出し、自分の強みを伸ばすことができていると考えています。2つ目の強みは協調性です。モーグルは個人競技ですが、人との関わりはなくてはならないものです。合宿や遠征などで仲間や先輩、コーチと深く関わり、集団生活を多く経験してコミュニケーション能力や協調性を高めることができました。私は相手の意見をよく聞くとともに自分の意見をしっかりと持ち、発言する事を心がけています。自分の意見を周りに伝える事で、より良い人間関係や環境を作ることができていると感じています。私が今競技を続けられているのは自分だけの力ではなく、共に切磋琢磨する仲間や支えてくれる家族、コーチ、応援してくださる皆様のおかげです。常に感謝し続ける事を大切にし、態度でも言葉でも感謝が伝わるように日々努めています。これらの2つの強みは、私が競技や今までの学校生活と日常生活で身につけてきたもので、社会人となり働くようになってからも大切にしていきたいと思います。私の競技における目標は、オリンピックの舞台でメダルを獲得することです。私がモーグルを始めたきっかけは、テレビで見たバンクーバー2010冬季大会です。テレビで見たオリンピックはとてもキラキラと輝いた世界で、見ている私を一瞬で虜にした素敵な舞台でした。スポーツには人の心を動かす力があります。私はモーグル競技を通して、人の心を動かすことができる選手になります。私が幼い時に憧れを抱いたように、少しでも多くの人にスポーツは素敵なものだと伝えていきたいです。ご採用いただけましたら、行動力、協調性という強みを活かし、社員の皆様との交流を通じてスポーツの楽しさを伝え、会社を盛り上げていきたいと思っています」

田中沙季選手(写真:アフロスポーツ)
田中沙季選手(写真:アフロスポーツ)

■田中沙季選手(体操/トランポリン)

「私がトランポリンに出会ったのは4歳の頃、兄が習っていた教室について行ったことがきっかけです。跳んでいる兄の姿がとても楽しそうで、私もやりたいと両親にお願いしたそうです。当時のことははっきりと覚えていませんが、空を飛んでいるようなあの感覚がただただ楽しくて仕方なかったことは今でも記憶に残っています。小学1年生のとき、先生から選手コースに来てみないかと声をかけていただいたことで、本格的に練習を始めました。練習を始めてすぐに左ひじを骨折してしまいましたが、ギプスをしたまま跳んで怒られるほど、私はトランポリンが大好きでした。昔も今も楽しいという気持ちは変わらず、日々の練習に向き合っています。大会に出場し始めた頃はなかなか結果が出ませんでしたが、小学3年生から徐々に表彰台に上がれるようになり、成績も安定してきました。小学6年生で初めて世界年齢別選手権に出場しましたが、納得のいく演技ができたにも関わらず、決勝に残ることができませんでした。この時、もっと世界と戦える強い選手になりたい、オリンピックに出場したいという想いが芽生えました。高校では、インターハイで2年連続、個人・シンクロ・団体すべてで優勝を達成し、世界大会でも入賞を果たしました。そして、念願だった世界選手権の出場権も獲得することができました。競技人生の中で最も自分の成長を実感できた瞬間でした。しかし、その大会直前に足首を負傷してしまい、出場は叶いませんでした。努力を重ねて掴んだチャンスを目前で逃し、大きなショックを受け、もう競技をやめたいと思うほどでした。それでも私は、この挫折を乗り越えられたらもっと強くなれると考え、前を向くことを選びました。マイナスをプラスにという言葉を胸に、跳べない期間もできることを見つけ、毎日トレーニングに励みました。その結果、復帰戦で優勝を果たし、再びスタートを切ることができました。こうした経験を通して、私はどんな困難にも立ち向かい、成長を続ける力を身につけました。結果が出ても満足せず、常に新たな目標に挑戦し続ける姿勢も養われたと感じています。現在の目標は、日本を引っ張る存在となり、ロサンゼルス2028大会に出場することです。ご採用いただけた際には、これまでの競技生活で培った粘り強さ、前向きな思考、目標に向かって努力を続ける力を活かし、業務にも競技にも全力で取り組みます。企業の一員として自覚を持ち、会社の発展に貢献していきます」

飛田和真選手(写真:アフロスポーツ)
飛田和真選手(写真:アフロスポーツ)

■飛田和真選手(アーチェリー)

「アーチェリーは、70m先の的に向かって矢を放ち得点を競う競技です。的の中心10点の領域はCDとほぼ同じサイズの直径12.2cmで、極限の集中力とメンタルコントロールが求められます。私は、高校生でアーチェリーを始めました。きっかけは楽しそうという思いでしたが、極限の緊張下で的の中心を射抜くことが非常に魅力的で、競技を継続する原動力となっています。このような競技特性を持つアーチェリーを通じて、私は課題解決力と精神力を培ってきました。私が競技を始めた高校時代は、専任の指導者がおらず、練習方法から技術的な習得に至るまで自分で調べ、考えることが求められる環境でした。そこで私は、日々の練習や試合で気づいた自身の課題について、トップ選手の試合や資料などから改善のための仮説を立て、それを練習や試合で実践し、結果を分析して新たに仮設を立てるというサイクルを回していきました。課題分析と試行錯誤を繰り返し、自分のプレーを最適化していった結果、高校2年生でインターハイに出場できるまでになりました。こうして私は課題解決力を養い、競技スタイルの基礎も確立していきました。大学生になってからも成長を続け、大学3年次の選考会で初めてナショナルチームに入りましたが、その後、長期のスランプに陥りました。ナショナルチームは常に結果を出さなくてはいけないとの気負いから、どれだけ練習しても結果が出なくなってしまったのです。大学4年6月の最後の王座戦でも復調できず、目標達成も叶いませんでした。それでも私は諦めず、これを機に自分を一から見つめなおすことにしました。自分一人の視点に固執せず、コーチや同期、そして後輩にもためらわず相談し、客観的な視点を取り入れました。その結果、徐々に復調し、この年の選考会では再びナショナルチーム入りを果たしました。このような経験から、苦しい中でも諦めない精神力を培うことができました。私の現在の目標は、オリンピックでのメダル獲得です。当初は雲の上の存在であったオリンピックに、もう少しで手が届くところにきました。ロサンゼルス2028大会まであと3年、更なる成長を果たし、必ず目標を達成します。また、私は競技だけでなく勉学にも励みたいと考え、慶應義塾大学、慶応義塾大学大学院に進学し、競技と学業を両立してきました。社会人になっても、オリンピックを目指しつつ、仕事も両立したいと考えております。ご採用いただけましたら、課題解決力と精神力を併せ持つ唯一無二のアスリート社員に成長し、社員の皆様に勇気と感動をもたらすとともに、業務においても戦力となって貢献いたします」

丸山紗季選手(写真:アフロスポーツ)
丸山紗季選手(写真:アフロスポーツ)

■丸山紗季選手(バレーボール/ビーチバレーボール)

「ロサンゼルス2028大会で金メダルを獲ることが、私の目標です。私がオリンピックを目指そうと決意したきっかけは、両親の影響でした。母は元バレーボール全日本主将の江上由美です。母はロサンゼルス1984大会の銅メダリストで、父はそのコーチとして出場し、2人でメダルを獲得したと知ったことがきっかけでした。私は中学1年生から競技を始め、学生時代はバレーボールに打ち込みました。大学卒業後は、富山県のV1リーグのチームに入団し、チームの勝利とともにオリンピック出場を目指しながら7年間練習に励みました。後半の4年間はチームのキャプテンを担いました。学生時代とは違い、メンバーの年齢幅が広くチームをまとめ上げる大変さを痛感しましたが、コミュニケーションを取りながら全員の士気を高めて勝利を掴んでいきました。私は身長169cmでバレーボール選手の中ではあまり大きくないため、日本代表としてオリンピックに出場するのはとても程遠い道のりだと感じ、29歳で引退を決意しました。選手として挫折を味わった瞬間でもありました。その後は指導者の道へと進みました。指導者として働きながら趣味でビーチバレーを始めたことをきっかけに、私はもう一度オリンピックを目指したいと強く思いました。ビーチバレーも身長が大きい方が有利ではありますが、東京オリンピックに出場した村上めぐみ選手は165cmと私よりも身長が低く、夢と希望を与えてくれました。ビーチバレーと村上めぐみ選手との出会いが、私を奮い立たせてくれました。私はビーチバレーに出会ってからまだ4年ではありますが、昨年からビーチバレー日本代表として活動しており、現在のペアは東京2020大会、パリ2024大会の2大会に出場した石井美樹選手です。両親が出場したロサンゼルスで開催されるオリンピックに私も出場し、母の銅メダルを超えたいと強く思っています。私は3月で前職を退職することになり、アスナビに登録しました。今後競技を続けていくためにも、ぜひ皆様のご支援・ご協力をお願いいたします。ご採用いただけましたら、スポーツの力で企業を盛り上げ、関わる多くの方々に夢や希望を届けられる存在になりたいと考えています。また、私の挑戦を間近で見ていただく事で、誰かの心を奮い立たせ、私も頑張ろうと明日への活力にしていただけたら大変嬉しく思います。一緒に勝利を喜び合える日を心から楽しみにしております」

 説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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