『未来のオリンピアン』
東京2020、陸上競技で金メダルを。
小野川 稔(陸上競技)
第2回ユースオリンピック競技大会(2014/南京) 陸上競技 男子10000m競歩 金メダル
1997年6月21日生まれ/神奈川県出身/東京実業高等学校3年
(取材日:2015年4月27日 text:岩本 勝暁)
競歩に挑む理由
小学校まではサッカーをやっていたのですが、中学に入って顧問の先生からお誘いを受けたこともあって陸上部に入りました。中学では長距離が専門で、「全国高校駅伝を走りたい」というのが理由で東京実業高校に入ったのですが、入学してすぐに競歩をする時間があって、指導してくださっている児島大祐先生から「競歩に向いている」と勧められたのがきっかけで、競歩を始めました。
——スカウトされたわけですね。 中学時代からウォーミングアップで競歩をやることがあったので、なんとなく動きは知っていたんですけど。
一番の決め手は、2020年の東京オリンピックでした。児島先生からも「競歩ならば世界で戦える力がある」と言っていただき、それなら少しでも可能性があるこの競技で東京オリンピックを目指そうと思いました。
決断するまで、4カ月くらい悩みました。まず家族に相談したのですが、中学に入って陸上を始める時も、高校で競歩に転向する時も、家族全員が賛同してくれました。また、中学の顧問などお世話になった方にも相談して、最終的に自分で決めました。
——長距離とは練習メニューも違いますか。長距離と競歩では、使う筋肉が全く違います。学校によっては“走り”を取り入れた上で競歩の練習をするところがあるのですが、うちの高校では“歩き”のみに特化しています。だから、今ではちょっと走っただけで筋肉痛になることがあるんですよ(笑)。
——競歩のルールは複雑ですね。ひざを曲げてはいけませんし、どちらかの足を必ず地面に着けていなければいけません。突き詰めれば突き詰めるほど、多くのルールがあって複雑ですが、そこも競歩の魅力の一つだと感じています。
——今は競歩にどっぷりという感じですが、競技から離れてリラックスする時間はありますか。週に一度、休日があるんですが、そういう時はサイクリングに行って気分転換したり、友達とスーパー銭湯に行ってリラックスしたりしています(笑)。
ユースオリンピックで得た自信
これまでの試合や合宿は長くても国内で3泊4日程度。でも、ユースオリンピックの時は、3週間弱もの間日本を離れて、開催地の中国・南京で生活することになりました。そうした今までと違う環境の中、一人で練習メニューを組み、ベストな状態に持っていけたことはすごく自信になりました。また、陸上だけでなくさまざまな競技の選手と同じ部屋で生活をしていたので、違う視点からいろいろな話を聞くことができ、とてもプラスになりました。
——ホームシックになりませんでしたか。日本を離れる時は絶対になると思っていたんです。でも、仲のいい陸上競技の選手もいたのでとても楽しかったです。食事面も自分の好き勝手にできる環境でしたが、あえて自分でセーブしながら生活することが大事だと思っていたので、日本でのリズムを崩さず、メリハリのある生活を意識していました。
——レース前から金メダルの自信はあったのでしょうか。もちろん狙っていましたが、「メダルが取れたらいいな」という気持ちでした。レース自体、スタートからハイペースで入ったので楽な場面が一度もなく、何度も先頭集団から離れかけたんですが、そのたびに追いつくことができて。自分でペースを上げてもなかなか後ろの選手が離れてくれなかったですし、かなり苦しいレースでした。ラスト250mでスパートをかけて、残り200mを切った時に電光掲示板を見たら後続のロシアの選手が離れていたので、そこでようやく「勝てる」と思いました。
——大会を通して苦労したことは。一番苦労したのが食事面でした。バイキング形式でいろいろな食べ物があったんですけど、なかなか口に合わず、その中でもなんとかおいしいものを見つけて食べるようにしていました。どういう環境でもしっかり考えながら食べて、本番でベストの状態に持っていかなければいけません。日本と違う環境だったので、食事面では本当に勉強になりました。