写真:フォート・キシモト
プロのトーナメント(ツアー)が中心のテニス界において、オリンピックのトーナメントは独特の位置付けであると言えます。プロツアーと比較すると「国ごとにエントリー数の制限が存在する」「3位決定戦(銅メダル決定戦)が存在する」「ダブルスは同国の選手としか組めない」といった点がオリンピック特有のルールです。また、リオデジャネイロ2016大会まではシングルスの決勝戦のみ5セットマッチで行われましたが、東京2020大会以降は全ての種目が3セットマッチで行われています。なお、ダブルス3種目(男女および混合)では、セットカウント1-1になった場合、第3セットとして10ポイント先取のマッチタイブレークが行われます。
4年に1度しか行われないオリンピックを制することはほとんどの選手にとって数少ないチャンスで、極めて難しいことです。プロツアーの4大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープン)を制することを「グランドスラム」と呼びますが、これに合わせてオリンピックで金メダルを獲得することは「ゴールデンスラム」と呼ばれます。この言葉はシュテフィ・グラフ選手(旧西ドイツ)が1988年に年間グランドスラム(1年のうちにグランドスラムを達成すること)を達成した後、ソウル1988大会で金メダルを獲得した際に造られた言葉です。キャリアの中でゴールデンスラムを達成した選手は男女及びシングルス・ダブルスを合わせて14人いますが、年間ゴールデンスラムを達成したのは現時点でグラフ選手のみとなっています。
日本人選手がオリンピックのテニス競技に初めて出場したのはアントワープ1920大会です。この大会で熊谷一弥選手が男子シングルスで、熊谷選手と柏尾誠一郎選手のペアが男子ダブルスでそれぞれ銀メダルを獲得しました。このメダルが、テニスのみならず全競技を通して日本におけるオリンピック初のメダルとなっています。その後長らくメダルからは遠ざかっていましたが、リオデジャネイロ2016大会にて錦織圭選手が男子シングルスにおいて銅メダルを獲得。テニス競技における96年ぶりのメダル獲得となりました。
錦織圭は北京2008、ロンドン2012、リオデジャネイロ2016、東京2020大会に続く出場。5大会出場は、テニスの日本人選手としては男女を通じて史上最多となります。またロンドン2012でベスト8、リオデジャネイロ2016で銅メダル、東京2020でベスト8と、3大会連続で男子シングルスでのベスト8入りを果たしています。2024年全仏オープンの2回戦では、世界ランキング15位のベン・シェルトン(米国)と対戦。セットカウント0-2となったところで、右肩痛で棄権しましたが、サーブを全力で打てない中でも、ラリーでは互角の戦いを見せました。
ダニエル太郎はリオデジャネイロ2016、東京2020大会に続く、3大会連続出場。リオデジャネイロ2016では3回戦で、銀メダルを獲得したフアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)に逆転で敗れました。東京2020では、1回戦でシード選手に惜敗。2024年全仏オープンでは1回戦で、世界ランキング6位のアンドレイ・ルブレフに食い下がったものの敗れました。
大坂なおみは最終聖火ランナーを務めた東京2020大会に続く、2度目の出場。第2シードだった東京2020では、3回戦で銀メダルを獲得したマルケタ・ボンドロウソバ(チェコ)に敗れました。全仏オープンでは、2回戦で世界ランキング1位のイガ・シフィオンテク(ポーランド)と対戦。マッチポイントを握り、逆転で敗れはしたものの、レッドクレーを得意とするシフィオンテクと互角に戦いました。優勝したシフィオンテクは戦った7試合で、セットを落とした相手は大坂だけでした。
内島萌夏はオリンピック初出場。2024年のツアー下部大会優勝5回のうち、3回がヨーロッパでのクレーコート大会でのものです。全仏オープンでも予選を勝ち上がり、1回戦では四大大会初勝利をマーク。2回戦では第2シード、ベラルーシ出身のアリーナ・サバレンカに敗れはしたものの、センターコートでの試合を経験することができました。
柴原瑛菜/青山修子組は、東京2020大会に続く2度目の出場。東京2020では、銀メダルを獲得したベリンダ・ベンチッチ/ビクトリヤ・ゴルビッチ(スイス)に1回戦で競り負けました。2人とも自己最高世界ランキングは4位で、8組しか出場することができないツアー最終戦、WTAファイナルにも2021、23年の2度、このペアで出場を果たしています。
競技初回実施大会 | アテネ1896大会 |
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TEAM JAPAN初出場大会 | アントワープ1920大会 |
競技別累計メダル数 |
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2024年1月1日時点
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