公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)は10月22日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで239社/団体437名(2025年10月22日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、7社12名が参加しました。
最初に主催者を代表して、岩渕健輔JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続いて、「アスリートは目標達成のため、自ら計画し、自分を律して向かう力や怪我や困難を乗り越え、成し遂げる力を兼ね備えています。皆さまの組織で働く機会をいただければ、間違いなく前向きな姿勢で貢献し、アスリートとしてだけでなく、社会人としても活躍してくれると思います。JOCはいろいろなサポート体制を各機関と協力しながら進めていますが、アスリートたちが不安に思うのは、競技継続のための経済的な支えです。この支えこそが安心感につながり、競技により打ち込めるようになると思います。これからさらに高い舞台を目指す選手たちを、TEAM JAPANの一員として共に支え、スポーツ界全体を前に進めるようお力添えをいただきたいと思っております。これから登壇するアスリートたちは本番に強いので、良い話をしてくれると信じています。皆さまからの温かいご支援をお願いいたします」と挨拶しました。
続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。
続いて、トリノ2006冬季大会に出場した廣瀬無線電機株式会社メディミックス事業部課長の長岡千里氏(ボブスレー/ボブスレー)によるオリンピアン講話が行われました。はじめに入社に至るまでの経緯を含めた自己紹介を行い、オリンピック出場を目指すうえで必要な資金調達に奮闘した過去のエピソードを紹介しました。続いて、採用するうえでのメリットについて「社内でアスリートの活動を発信することで社員の社会貢献に対する誇りが生まれ、会社の雰囲気が変わり、通常業務以外の一生懸命な姿を共有することで社員の意識がプラスに変化します。さらに、アスリートは計画性や自己管理能力が非常に高く、実務経験が浅くても素直で嘘をつかない人間性を兼ね備えているため、社内にアスリート採用について疑問を持つ社員がいたとしても、採用の意義を伝えることで必ず応援する立場に変えることができる力を持っています。採用後はトレーニング時間の確保のみしていただき、その他は新入社員と同様に指導をお願いします。引退後は、目標達成を支えてくれた会社に恩返しするため、仕事に全集中すると思います。アスナビでは仕事の意義などの社会人としての在り方をしっかりと教育したうえで紹介しています。アスリートが持つ確固たる目標という熱量を信じて、投資していただきたいと思っております」と述べ、参加企業へ採用を呼びかけました。
その後、就職希望アスリート7名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■村下善乙選手(スポーツクライミング)
「私がクライミングを始めたのは小学4年生の時です。自分の体一つで重力に逆らって壁を登っていく感覚や登り切ったときの達成感に魅了され、次第にクライミングに夢中になっていきました。昨年は、ワールドカップブリアンソン大会で初優勝を果たし、現在ではオリンピックでのメダル獲得を目標に日々練習に取り組んでいます。ここからは私がこれまでの人生で培ってきた3つの強みをお話します。1つ目は、分析力です。クライミングは、ただ登るだけの競技ではありません。特に私が取り組んでいるリード競技は、一度のミスで競技が終了してしまうため、限られた時間での課題分析とリスクを最小限に抑えた動きが求められます。例えば、壁の形状やホールドの位置を瞬時に読み取り、効率的な動きを素早く考える必要があります。そのため、私は日々の練習においてもどのような動きが最適か、どこで失敗のリスクが高まるかと常に課題分析を行ってきました。そして次の大会にどう活かすか、どのように改善していくかを考え行動してきました。このような積み重ねで分析力を培ってきました。2つ目は、課題解決力です。私は、競技だけでなく学業との両立にも力を注いできました。大学では所属するゼミでゼミ長を務め、組織の課題にも向き合いました。具体的には、意見が出にくい雰囲気を改善するために運営方法を見直し、他のゼミとの合同イベントを企画して交流の機会を増やすなど、ゼミ全体の活性化に取り組んできました。こうした経験を通して、組織の中で課題を発見し解決する力が培われたと思います。3つ目は、何事も楽しむ力です。これまでオリンピックを目指して競技に向き合ってこられたのは、何よりも登ること自体が好きだったからです。競技として結果を求めるには、苦しいトレーニングや基礎練習も避けては通れません。その中で、楽しいという気持ちと結果を追い求める姿勢との間で葛藤もありましたが、できなかったことができるようになる過程を楽しもうという気持ちを持ち続けてきました。今後も、挑戦の過程そのものを楽しむ姿勢を持ち続けたいと思っています。ご採用いただけましたら、これらの3つの強みを発揮して競技も仕事も必ず貢献できるよう精一杯取り組みます。大きな壁にぶつかる場面もあると思いますが、課題を冷静に分析し、競技も仕事も楽しむ気持ちを忘れずにチャレンジを続けてまいります」
■千葉大輝選手(スキー/ノルディック複合)
「私は北海道札幌市出身で、物心つく前からスキーをしていました。小学1年時に兄の影響で札幌ジャンプ少年団に入団してスキージャンプを始め、練習を重ねるごとに遠くへ飛べるようになり、大変楽しく夢中で飛んでいました。その後クロスカントリースキーもはじめ、複合の選手となりました。ソチ2014冬季大会でメダルを獲得した葛西紀明選手と渡部暁斗選手を見て小学生ながら大変感動し、自分も世界の舞台で戦いたいと思うようになりました。中学で全国優勝を経験し、高校ではJOC主催のジュニアオリンピックを2連覇することもできました。高校2年時に全日本の強化指定選手に選ばれ、高校3年時、大学1年時にはジュニア世界選手権に出場するチャンスがあったにもかかわらず、調整不足により出場ができず、挫折を経験しました。その後、全日本選手権で入賞し、これからもっと上を目指していくと意気込んでいた時に腰の怪我をしてしまい、シーズンを終えました。怪我の影響で次の年も成績が振るわず、もう全日本には戻れないかもしれないと思いましたが、葛西紀明選手の『不屈の翼』という本を読み、諦めないことの大切さを学び、まだ世界を目指したいという思いからトレーニングや考え方を見直しました。その結果、宮様国際スキー大会で2位、全日本A級公認伊藤杯コンバインド大会で優勝という成績を収めることができ、今年度再び全日本に戻る事ができました。この出来事が私の挑戦心を燃やし、一度諦めかけた世界をもう一度本気で目指したいと思いました。私はまだ国際大会の経験はありませんが、これまでの挫折の経験や悔しさを糧に這い上がっていきます。今年のシーズンで必ず国際大会に出場して活躍するという目標があり、最終的にはフランスアルプス2030冬季大会でのメダル獲得を目標としています。私が競技を通じて得たものは、諦めずに目標へ進み続ける力と、課題の発見とそれを解決する力です。そしてスキージャンプとクロスカントリーという2つの競技を極め、学業にも取り組んでいくための時間管理能力とストイックさも身につける事ができました。特に2つの競技と学業を両立してきたことは社業と競技の両立をしていくにあたっての強みだと自負しております。ご縁をいただき入社した際には、これらを社会人として最大限に発揮していき、時間管理能力や課題発見、解決力を社業に応用していくことで、会社の一員として貢献をしていきたいと考えています。目標に対し努力し、挑戦していく姿を皆さんに見てもらい、勇気や希望を与えられるような存在となっていきたいです」
■中村優里(フェンシング)
「私はロサンゼルス2028大会出場、そしてブリスベン2032大会でのメダル獲得を目標に、日々競技に取り組んでいます。中学3年時にフェンシングを始め、それまでは陸上競技に打ち込んでいました。陸上競技と並行して、小学6年生から地元である福岡県のタレント発掘事業に参加し、自分の適性を見極めるために約5年間さまざまな競技に挑戦しました。その中で『君ならフェンシングで世界を目指せる』というお言葉をいただき、中学3年時に種目転向を行い、人生を懸けてフェンシングに挑戦する覚悟を固めました。高校進学を機に上京し、競技を始めて約1年半で全国4位に入賞し、目標であった国際大会への出場も果たしましたが、それ以降は思うように結果が出ず、高校、大学時代は挫折の連続でした。陸上では、練習で積み重ねたことが結果に直結するシンプルさと再現性に魅力を感じ、努力を積み重ねることの大切さを学びました。一方、対人競技であるフェンシングは相手との駆け引きや瞬時の判断が求められ、陸上競技とは異なる難しさに直面しました。努力が思うように結果に結びつかない中で、やみくもに練習するのではなく、自分を深く理解したうえで課題に真摯に向き合うことの大切さに気付きました。大学卒業後は勝負勘を掴むために、滋賀県の方々からご支援を受けながら副業で海外遠征費を捻出し、実践経験を多く積みました。海外でさまざまなスタイルの選手と戦う中で、強みであるスピードや瞬発力、フィジカルの強さを突き詰めた戦い方こそ自分らしさを発揮できる道だと再認識しました。そこから課題を絞り、1つを徹底的に突き詰める練習法に切り替え、身体が覚えるまで徹底的に繰り返すことで、持ち味であるスピードや瞬発力を生かしたプレーができるようになり、着実に成長していることを実感しました。その結果、昨年の全日本選手権大会では自身初の3位入賞を果たし、国内ランキングも大学卒業時の22位から現時点で5位まで上げることができました。そして今月、開催県である滋賀県代表として臨んだ国民スポーツ大会では、優勝することができました。滋賀県代表で戦った2年半は、自分のためだけでなく、応援してくださる方々に恩返しをしたいという強い思いが原動力となりました。この経験を通じて、競技力の向上だけでなく、人との繋がりや感謝することの大切さを改めて実感しました。フェンシングを通して、勝つためだけでなく、自分がどう在るべきかを考えるきっかけになりました。信頼される人であることが応援につながり、その応援が新たな挑戦への原動力になると感じています。技術や成果だけでなく、誠実に努力を重ね、挑戦し続ける姿勢で周囲の方に勇気を与えられる存在でありたいと思います。ご縁をいただけた際には、競技だけでなく、一社員としても何事にも真摯に向き合い、最善を尽くすことで貢献してまいります。そして、競技と誠実な行動を通して、会社の魅力や信頼を広められる存在を目指します」
■笹岡蒼空選手(スキー/フリースタイル)
「私は長野県野沢温泉村に生まれ育ち、物心つく前からスキーを始めていました。それ以来スキーが生活の一部であり、挑戦し続ける原動力になっています。中学、高校時代には、アルペンスキー競技で成績を積み重ね、全国大会で数々のタイトルを獲得しました。自分の限界に挑戦することに魅力を感じ、何度も挑戦し乗り越えてきました。大学2年からスキークロスに転向し、国内外のレースに出場しました。スキークロスは、スキーの技術だけでなくスピードや戦略、さらには他の選手との競り合いも重要な競技です。1シーズン目からその楽しさと厳しさに魅了され、世界ランキング二桁台に入ることができ、世界との差を身近に感じ、頂点を狙えるという自信につながりました。世界ジュニア選手権では17位という成績を収めましたが、自分にはまだまだ成長できる余地があると強く感じています。世界の舞台で戦う経験を積みながら、次の目標を見据えてさらに努力を続けています。2年目の昨シーズンには、FISUワールドユニバーシティゲームズで銀メダルを獲得し、世界選手権やワールドカップにも出場することが出来ました。世界選手権ではチーム戦で15位という結果を残すことができましたが、世界の大舞台でワールドカップ優勝者や表彰台常連者と戦ったことで課題が明確になり、次の目標に向けて今まで以上に燃えるような思いが湧いてきました。私の目標はワールドカップ優勝、そしてオリンピックに出場して優勝することです。スキークロス競技は非常に競争が激しく、接触のある競技のため、個人の技術力だけでなく瞬時の判断力、状況に応じた戦略、そして強いメンタルが求められる競技です。私はこの競技を通して、どんな場面でも冷静に対応する力、目標に向かって努力し続ける継続力、そしてチームの中で自分の役割を果たす責任感を学びました。特に世界ジュニア選手権と世界選手権で2度出場したチーム戦では、結果以上に仲間のために滑る責任感と達成感を学びました。そんな私ですが、怪我により6か月余りのリハビリを強いられた期間や怪我の影響と後遺症で、思い通りに身体が動かずパフォーマンスが低下してしまったことなど、数多くの困難に直面してきました。しかし、サポートや応援してくださる多くの方々のために、必ず大舞台で活躍している姿を見せたいと強く感じ、何事にも全力で向き合ってきました。この経験が、現在の自分にとって非常に大きな財産となり、競技以外の場でも必ず活かせると確信しています。例えば、変化の激しいビジネス環境でも柔軟に対応する力、逆境に打ち勝つメンタル、そして組織の中で信頼関係を築きながら成果を出すチームワーク力には自信があります。また、私は社会人として結果を出すことだけでなく、チームや組織の中で良い空気をつくること、応援される存在になることも大切にしています。競技を続けながら、企業の皆様との交流を通じて、社内の一体感醸成にも寄与していきたいと考えております」
■平田悠翔(フェンシング)
「昨年のパリ2024大会では、フェンシング競技で日本代表が過去最多となる5つのメダルを獲得しました。しかし、私の競技種目である男子サーブルでは、これまで一度もオリンピックでメダルを獲得したことがありません。私の将来の夢は、男子サーブル種目で日本人初のオリンピックメダリストとなり、フルーレやエペだけでなく、男子サーブルでも世界のトップレベルで戦えることを証明し、その先駆者となることです。私は中学2年時にフェンシングを始めました。地元の福岡県では、福岡県スポーツ協会と福岡県スポーツ振興センターが主催する福岡県タレント発掘事業があり、この取り組みを通じてフェンシングに出会いました。この事業は、子どもたちに体力測定の結果をもとに発達や適性スポーツに関する情報を提供し、選ばれた子どもには能力開発プログラムを実施して、多様な競技体験を通じて自分の可能性を探る機会をつくるというものです。私は体力測定の結果からフェンシングに適性があると言われ、興味を持ったことがきっかけで競技を始めました。フェンシングを始めてから、私の競技人生は決して順調なものではありませんでした。輝かしい成績を収めることができず、あと一歩届かない結果が続きました。しかし、私はこれまでどの世代においても、前年より日本ランキングを落としたことが一度もありません。これは私の強みの一つです。私は急に成績が伸びるタイプではありませんが、地道な努力を重ね、着実に実力と成績を積み上げてきました。何度も悔しい経験をし、競技をやめようかと悩んだこともありましたが、持ち前の負けず嫌いな性格と粘り強い忍耐力で、将来オリンピックでメダルを獲得する自分の姿を思い描き、何度も立ち上がってきました。その結果、U20ワールドカップでは団体で2度の優勝を果たし、昨年の全日本学生選手権では個人3位、団体2位という成績を収めることができました。現在は経済的な理由から国際試合への出場機会が限られていますが、今後はより競技に集中して国際大会での経験を積み、これまで以上の成長スピードで実力を高めていけると確信しています。そして、ロサンゼルス2028大会、ブリスベン2032大会で、男子サーブル種目における日本人初のオリンピックメダリストになるという夢を必ず実現します。ご縁をいただき、ご採用いただいた際には、何度挫折しても立ち上がり挑戦し続ける姿や試合の結果を通して、社員の皆さまの一体感醸成やモチベーション向上に貢献したいと考えております。業務においても、どのような仕事にも全力で取り組み、競技と同じようにたゆまぬ努力で確実に実力を磨き、必ず成果を出します。アスリート社員として、スポーツの力で会社、そして社会を盛り上げていける人材になります」
■壹岐元太(陸上競技)
「現在の目標は、ロサンゼルス2028大会、ブリスベン2032大会に出場し、何度も世界の舞台で戦える選手になることです。私が陸上競技に出会ったのは小学6年生のときです。それまでは野球や水泳をしていましたが、兄弟が陸上競技を取り組んでいたことをきっかけに始めました。小学校では足が速い方でしたのでもっと速くなれると思っていましたが、実際はそんなに簡単ではありませんでした。チームの中でも目立つ選手ではなく、中学に進学してからも結果を残すことはできませんでした。高校に入学し県大会では活躍できましたが、近畿インターハイで敗れ、その悔しさを胸に京都産業大学へ進学しました。大学は設備も整い、練習には最適な環境でした。入学当初は関西大会に出場できる程度でしたが、努力を重ねた結果、大学4年生で200m日本一となり、夢だった日本代表の座をつかむことができました。7月にドイツで行われたFISUワールドユニバーシティゲームズでは、ケガの影響で実力を十分に発揮できませんでしたが、それでも準決勝まで進むことができました。こうした経験を通じて、私には2つの強みが培われました。1つ目は、目標達成に向けた行動計画力です。大学入学時に日本代表になるという目標を掲げ、現状と課題を分析しながら、仮説→実行→計測→改善というサイクルを繰り返しました。その積み重ねにより、2025日本学生陸上競技個人選手権大会で優勝を果たし、日本代表に選ばれることができました。2つ目は、主将としての矜持と責任感です。京都産業大学陸上競技部は100人を超える大所帯ですが、主将に就任してからは自分の競技でチームを引っ張るという思いを持ち続けました。努力や結果で背中を見せることを意識し、縦横のつながりを大切にしてコミュニケーションを図り、良い雰囲気づくりにも努めました。その結果、チーム全体の底上げにつながり、リレー種目では大学記録を更新することができました。もしご縁をいただき、ご採用いただけた際には、目標達成のための行動計画力、責任感、そしてコミュニケーション能力をいかし、競技者としての成長はもちろんのこと、企業の一員としても貢献してまいります」
■西岡隆成選手(体操/トランポリン)
「私は小学1年生の頃にトランポリンを始めました。2歳の頃から家の近くのスポーツクラブでマット運動を行っていましたが、そこでトランポリンを教えているのを見て、率直に楽しそうだなと思い取り組み始めました。家の近くだった事もあり、2歳の頃から週6日通っていました。ジュニアの全日本大会で優勝したのをきっかけに、中学3年時にジュニアの日本記録を出し、高校2年時には初の全日本選手権を優勝、高校3年時には世界選手権準優勝とワールドレコードを獲得、そこから大学3年時にオリンピックに出場しました。このように、オリンピックまでは順当に結果を残し、オリンピックのメダル候補としてメディアにも取り上げていただきました。しかし、出場したオリンピックで最下位となり、人生のどん底を味わいます。今まで試合でほとんど失敗することがありませんでしたが、オリンピックで予選から大失敗をし選手村を後にします。今でもオリンピックの記憶がないほど人生のどん底に落ちました。しかし、この失敗を踏まえて学んだ事があります。それは仲間やチーム、組織の助け合いは時に個人の力を上回るという事です。オリンピックに出場するまで、私自身1人が強ければいいのだと思っていましたが、オリンピック出場を通して、個人だけでできる事には限りがあることを身に染みて感じました。今では良い意味で周りを巻き込み、チーム一丸となって物事を遂行する楽しさややりがいを感じています。それに加え、自分の強みである小さい頃から培ってきた目標に対する強い意識とそれに対する計画力は誰にも負けないと思っています。今の目標はロサンゼルス2028大会でトランポリン史上初となるメダルを獲得することです。これまでは、学校・クラブ・協会・サポート企業・友人・両親など、様々な方に頼ってばかりでした。皆さんのサポートは本当にありがたく、これからも必要となってきます。しかしこれから社会人になるにあたり、社会や会社という組織の中で自分の役割を果たせる存在になっていかなければならないと感じています。もしご採用頂けましたら、今までの経験と自分の強みを活かして競技だけでなく企業の一員として必ず貢献出来るように、そしてこれから先壁にぶつかる時もあると思いますが、トランポリンのように飛び越えるつもりで頑張ります」
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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