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2024.10.03 オリンピック

【メダリスト会見】フェンシング競技男子フルーレ団体「誰一人逃げずに立ち向かったことが、今回の結果に繋がった」

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メダリスト会見で記念撮影する右から敷根崇裕選手、松山恭助選手、飯村一輝選手、永野雄大選手(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

 パリ2024大会のフェンシング競技男子団体フルーレで金メダルを獲得した敷根崇裕選手、松山恭助選手、飯村一輝選手、永野雄大選手が8月5日、記者会見を行い、競技終了から一夜明けての心境を語りました。

 会見の冒頭、選手の前に置かれた輪島塗のタンブラーの紹介がありました。石川県輪島漆器商工業組合よりご協力いただき、今年1月1日の能登半島地震をパリで戦っているメダリストも忘れず、被災された方々も一緒に頑張ろうというメッセージが発信できたらという思いで用意されました。


■敷根選手「自分が好きなことをやり続けたらその努力は必ず裏切らない」
――一夜明けた感想をお願いします。

敷根選手 獲得する自信はありましたが、改めて獲得したときはすごく嬉しかったです。直後から今日まで金メダリストになったという実感はそれほどなく、これから金メダリストの実感が芽生えてくるのではないかと思いますが、それを楽しみに生きていこうかなと思います。

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敷根崇裕選手(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

松山選手 僕も敷根選手と同じで、おそらく他の選手も一緒だと思いますが、実感がまだあまり湧いてないという状態です。成し遂げたことの大きさというのは非常に誇らしいものですが、それ以上に個人戦が終わってからの3日間、個人としてもチームとしてもメダル獲得を目指して戦っていましたが個人では届かず、連日日本チームが素晴らしいパフォーマンスでメダルを獲得することで、ものすごくプレッシャーがありました。そういった現実から誰一人逃げずに立ち向かったことが、今回の結果に繋がったと思います。結果もそうですが、そういった姿勢や立ち向かった勇敢さは、自分もチームも褒めたいなというふうに思っています。

飯村選手 本当に皆がおっしゃったように実感はまだ湧いていないのですが、徐々にこうやってメディアの対応をさせていただいている中で、やはり金メダルを獲得したのだなという実感が湧いてきています。そして日本で応援してくださった皆さんと、完全アウェイのフランス戦やイタリア戦も日本の方の声援が力になり、僕たちだけでは成し得なかった金メダルというものを歴史に刻むことができ、本当に嬉しく思っています。正直朝起きて枕元に金メダルを置いて寝ていましたが、起きた瞬間「本当にあるわ」と思ってしまい、それが今朝の良い思い出でした。今後も引き続き男子フルーレをよろしくお願いします。

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飯村一輝選手(写真:AP/アフロ)

永野選手 皆が言ったように実感がない状態でしたが、応援してくださる方々からたくさんのメッセージがきていて、その返信をしていく中で本当に獲得したのだなと少しずつ実感が湧いてきて、自分でも驚いています。応援ありがとうございました。


――試合が終わってからどのような夜を過ごされましたか?

敷根選手 本当に忙しくて、メダルを獲得してインタビューが終わりそのまま帰って、シャワーを浴びてすぐに寝ました。

松山選手 自分もほぼ同じで、選手村に帰った時間が12時半ぐらいだったので、疲れていましたし早くシャワーを浴びたいという気持ちが強かったので、ご飯も食べずに部屋に帰ってシャワーを浴びて寝ました。

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松山恭助選手(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

飯村選手 僕も同じような感じなのですが、メッセージをできるだけ多く返信させていただいたことで実感が湧いてくると同時に、アドレナリンも出てきて寝られなくなってしまいました。明日も早いし寝ようかと思い、睡眠導入剤を飲んで寝ようとしましたが、結局そんなに眠れずに朝起きてまた金メダルを見て「おお」となったという1日でした。

永野選手 自分も飯村選手とほとんど同じで、帰ってから少しずつメッセージを返信しているうちに眠れなくなってしまいました。自分は睡眠導入剤を持っていなかったので、3時半くらいまで全然眠れなかったです。

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永野雄大選手(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

――(松山選手への質問)フェンシング発祥の地で日本の強さを証明できたことについてどう思うか?

松山選手 僕たちの強さというのは、東京2020オリンピックが終わってからの3年間で一つ一つの試合で自信を得たことで、自信を持ってプレイしたことが昨日の結果に繋がったと思っています。だからこそいつも通り自分たちのプレイをして、何が何でも勝つという気持ちで戦ったことが結果に繋がったのだと思うのですが、無我夢中でそこに集中していたので、まだあまりメダルの実感が湧いてないのだと思います。


――(敷根選手への質問)東京2020オリンピックからの3年間、どのような3年間でしたか?

敷根選手 まだまだ完璧ではないと思いますし、今回メダルを獲得できてラッキーだなと思うので、次はしっかりとした実力を持って、個人・団体ともに金メダルを目指したいと思います。


――(永野選手への質問)準備しているときの心境と、役割を終えてからの心境を教えてください。

永野選手 準備しているときは頭が真っ白というか、本当に出るのかというような気持ちでした。終わった後はとりあえず仕事はしたかなというような、ほっとした感じでした。


――(永野選手への質問)何か周りの選手から声をかけられましたか?

永野選手 皆気を遣って温かい言葉をかけてくれましたが、本当に頭が真っ白で覚えてないです。


――(飯村選手への質問)アンカーとしての心境を教えてください。

飯村選手 メンバーに入った頃は先輩たちの足を引っ張らないようにという思いでいっぱいでしたが、これ以上ないバトンが僕に回ってきて、ここで最後にフィニッシャーとして日本の金メダルに直接影響を与えるとなったときに、非常に日本の重みを感じました。その日本チームを僕に任してくれた思いと期待に応えなければならないというプレッシャーをうまく楽しみながら試合をすることができました。決勝戦の最後の一戦だけではなくてずっと楽しめてはいましたが、最後の試合は特に楽しみながら試合をすることができたので、グラン・パレという舞台を非常に楽しめたなと思います。


――(松山選手への質問)今後、日本のフェンシングでどのような姿を見せていきたいか?

松山選手 僕たちに限って言えば、今回これ以上ない結果が出たと思いますが、これはフェンシング界にとってあくまでも始まりであり、フェンシングがこれから何十年もずっと日本のお家芸だという競技になるための一歩だったと思うので、とにかく大事なことは継続して勝ち続けること。これができるようになると、次の大会でもこのような成果が得られるかなと思います。


――(飯村選手以外の3名へ質問)最年少の飯村選手はどのような存在か?

敷根選手 一番若いながらもしっかり実力があって安定性もあり、見ていて不安だという印象が全くなく、日本のチームとして任せられる大きな存在だと思います。

松山選手 彼が隣にいないと思って話しますが、とてつもなく素晴らしい選手です。素晴らしい才能とメンタルを持った選手で、決勝戦直前のチームミーティングで一輝をアンカーにするとなったときに、敷根選手同様に全く不安はなく、20歳ですけど本当に頼もしいチームの一員でした。彼とイタリアとの相性が良かったこともありますが、全く怖さはなく、素晴らしい優勝へのストーリーだなと考えていました。あとはチーム全員が、オーダーが変わったからといって何か変わったわけではなく、カナダ戦、フランス戦同様に一戦一戦集中したこと、それがこの結果に繋がったと思います。

永野選手 飯村選手ならやってくれるだろうなと思っていました。飯村選手が無理なら誰がやっても恐らく難しいだろうと思っていたので、良かったなと思いました。


――支えてくれた方への思いを教えてください。

敷根選手 僕は結構感情が出にくいタイプなのですが言葉にすることはよくあるので、「本当にありがとうございます。嬉しいです」ということを伝えたいです。それを言っても「本当に思っているの?」と思われたりしますが、本当に思っています。

松山選手 苦しいときに支えてくれた家族や、コーチ、チームメイトそしてスポンサーの方々に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。昨日もたくさんのメッセージをいただいたのですが、まずは苦しいときに支えてくれた人に最初に連絡を返しました。敷根選手同様、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

飯村選手 僕も家族8人が団体戦では応援に来てくれて、個人戦のときは京都でパブリックビューイングをしていただきました。太田雄貴さんの頃から僕もパブリックビューイングで応援させていただいて、今度は僕がこのオリンピックに出る立場になり、それを心から応援してくれる家族がいるというのはすごく頼もしいですし、僕たちが苦しいときに一番支えになってくれたので、一番感謝を伝えたいと思います。

永野選手 家族も含まれるのですが、サポートしていただいた全ての皆さんに感謝しかないです。サポートがなかったらこの場所には自分は立ててないなと思っているので、とにかく感謝しかないです。

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表彰台にのぼり喜ぶ選手たち(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

――決勝の階段を降りてくるときにどのように気持ちだったか?(特になければ)今回の大会を振り返って一番印象に残っているシーンは?

敷根選手 僕ら皆同じだと思うのですが、非常にかっこいいという印象で、試合に向けて気持ちが高まる感じがしました。今大会の印象に残っているシーンで言うと、準決勝のフランス戦の最後のポイントは突かれたら負けだったのですが、僕のダイナミックさというものを出せたのかなと思うので、フェンシングを知らない人に、フェンシングが面白いなと思ってもらえるような技を決められたのかなと思います。

松山選手 僕はまず2010年の世界選手権で、太田雄貴さんとそのチームが個人・団体で銅メダルを獲得するのを動画で見ていて、そのときにグラン・パレを初めて見て、非常に素晴らしい会場だなという印象を持ちました。このオリンピックが決まり、そこで試合が開催されるとなったときに、本当に夢のような気持ちでした。フェンシング発祥の地フランスでもし勝つことができたら、どれだけ幸せなことだろう、と思って本大会に臨みましたが、いざ会場に入るとやはり素晴らしい会場でしたし、中でもフランスの方々の応援力がものすごく、初めて会場に入ったときは緊張しました。最後に決勝の入場するときも緊張したのですが、自分が今そこにいると考えれば考えるほど緊張というか、やらなくてはけないところから少し離れてしまう感じがして、自分がやるべきことを試合の中で集中したかったので、あのときはもう考えないようにしていました。

飯村選手 階段を降りるシーンでは、絶対に転ばないようにしようと思って、一度、一段踏み外したもののなんとか大丈夫だったというときがありました。下を見ながら降りると格好がつかないので、なるべく正面を見て堂々としながら、足元にも全ての神経を巡らせて転ばないように降りていて、グラン・パレという地でやることができて本当に嬉しかったです。

永野選手 最初グラン・パレが何のことなのか分かっていなかったのですが、会場に行ったときにここのことを言っているのかと思いました。選手紹介のときは、オリンピックは演出が凝っているなと思っていました。


――これからフェンシングを始める子供たちに向けて、一歩踏み出すことの大事さを教えてください。

敷根選手 僕はフェンシングで自分のやりたい技、フェンシングが楽しくてやり続けてきたので、今回一番の夢であった金メダルを獲得することができて非常に嬉しいですし、フェンシングを今からやり始める人だけでなく、全ての人に言えることなのですが、自分が好きなことをやり続けたらある程度の結果はついてくるなと思いますし、その努力は必ず裏切らないと思うので、自分のできること、好きなことをやり続けてくださいということを伝えたいです。

松山選手 今回の僕たちの優勝をきっかけに、少しでも多くの子供たちがフェンシングを始めたり、フェンシングをやっている子は夢だったものが目標に変わったりしてほしいなと思っています。敷根選手と同じになってしまうのですが、ここにいる僕たち4人の何が共通しているかというと、フェンシングを心から大好きで、好きだからこそ苦しさも乗り越えられるし、勝とうという気持ちも常に持ち続けられるのだと思います。幸い僕たちはフェンシングという好きなものを見つけることができたので、スポーツに限らず何の分野でもいいのですが、それが好きという気持ちが全ての原動力になると思うので、そういったものを見つけてほしいなと思います。

飯村選手 何も言うことが残っていないですが、僕たちが幼い頃から夢のオリンピックという場所を憧れて、太田雄貴さんをはじめ、全てのメダリストの方々に憧れてきたように、今度は僕たちが憧れられる存在となった立場として、自覚して行動していかないといけないなと思います。僕たちがこの夢、感動を届ける立場となって、僕たちの行動をきっかけに新しく子供たちが何かに挑戦する糧となれば嬉しく思います。

永野選手 言うことが残っていないのですが、チームの皆の頑張りを見て何か新しいこと、フェンシングでもフェンシング以外のことでも、何か新しいことをするきっかけになってもらえたらいいなと思います。

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