JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
屋比久 翔平(レスリング)
グレコローマンスタイル男子77㎏級 銅メダル
■沖縄県民としての誇りを胸に
――メダル獲得、本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
――昨日銅メダルをとられましたが、3位決定戦に進んだところで、試合前にいろいろな人からメッセージが来ましたか。
3位決定戦が決まってから、また多くの人からメッセージがもらえました。
――メダルをとった後はどうでしたか。
朝起きたらすごい件数のメッセージでびっくりしました。まだ全部読み切れていないです。
――メダル獲得を目指してきたと思いますが、メダリストとなった今、どのような気持ちですか。
試合に関しては緊張もせずにすごくリラックスした状態で試合に臨めましたが、メダルをとってから「オリンピックってすごいな!」と思いました。次の日から人が変わってしまったような感じになって、自分でも驚いています。
――昔の友達から連絡が来たり、親戚が増えたりという話もよく聞きますね(笑)。
いろいろな人から連絡をもらっています。何年も会っていないような人からも連絡が来ます。でも、それもすごくうれしくてありがたいです。
――オリンピックは出場自体がお父様の成し得なかった夢だったと伺っています。それを成し遂げるばかりか、メダリストとなりました。お父様とはどのようなお話をされたのでしょうか。
沖縄県から初めてレスリングでオリンピックに出場することについてはすごく意識していました。沖縄出身の選手として、ウエイトリフティングの糸数陽一選手や宮本昌典選手などとはよくお話しさせてもらっているのですが、オリンピックが始まり、個人競技では県勢がメダルになかなか届かないのを苦しい思いで見ていました。親父ともそういう話になって「お前がとらないといけないぞ」と言われました。試合後は、親父と30秒ぐらいしか話はできていないのですが、「とりあえず、とったよ」「やったな、お疲れさん」という感じの会話をしました。沖縄県の関係者にもすごく喜ばれましたし、祝福していただきました。
――言葉から沖縄愛を感じますね。
そうですね、やはり沖縄が大好きですし、沖縄生まれということに誇りを持っています。自分自身沖縄のためにやっているという気持ちもあるので、今回メダルをとれて本当にうれしいですね。
――今大会は無観客ということになってしまいました。本当はご家族にも見てもらいたかったと思います。しかも、息子さんが明日お誕生日だと伺いました。一緒に駆けつけて見られたら良かったですね。
家族、関係者、地元の友達もみんな見たいと言っていましたし、同級生もチケットを予約してくれていました。無観客になってしまったことは、正直なところ残念です。でも、みんな自宅のテレビで見て応援してくれて、試合前もLINEでメッセージをもらったので、すごく励みになりました。
――無観客の会場は、寂しさを感じましたか。それとも、集中するとそこには気にならなかったのでしょうか。
観客が入っていないと盛り上がりに欠けるので、無観客は残念に思ったのですが、いざ試合となれば自分のことをやるだけですし、それは全然気になりませんでした。セコンドの声もすごく通ってやりやすかったと思います。
――歓声がない分、指示の声は聞こえやすいという良い面もあったのですね。
はい、そうですね。でも、声援は力になります。ボランティアスタッフの皆さんもすごく応援してくださって、そこからもすごく力をもらって励みになりました。
――オリンピックは、レスリング以外のいろいろな競技の選手がいて、他競技の情報も見聞きできることが特徴の一つだと思います。オリンピックならではの喜びや楽しみや驚きなどはありましたか。
女子レスリングのワールドカップは日本でも時々あるのですが、男子レスリングの国際大会は日本でほとんど開催されたことがないんですよ。ですから、国内で国際大会をやるということ自体がもう不思議な感覚でした。また、他競技の選手たちが頑張っている姿や、すごく悔しい思いをしている様子を見たりして「僕も頑張ろう」と思えましたし、いい意味で刺激の強い大会になったと感じましたね。
――この後、選手村に行かれるのですよね。
これまでは違う施設に宿泊していて、今日から選手村です。めちゃくちゃ楽しみです。
――会いたいと思っている選手はいますか。
今、すぐそこにいますが、メダルを3つとった橋本大輝選手(体操/体操競技)です。テレビで取材されているのを見ましたが、メダルを3つかけていてすごいと思いますね。
――同じ日に記者会見や取材が重なったのも運命じゃないですか。
僕、ちょっと人見知りなので、話しかけるのは緊張します(笑)。
――ちなみに、落ち着いたら楽しみたいことはありますか。
僕、釣りが好きなんですよ。釣り系YouTuberの番組などで一緒に釣りを楽しみたいです(笑)。
■読みどおりの試合展開
――3位決定戦の話を聞かせてください。後半になって、レスリングを知らない人でも分かるくらい気持ちの良い豪快な投げ技が決まって、見ていてもスカッとする勝ち方でした。ただ、序盤はポイントをリードされる展開でした。ご自身は戦っていてどのように感じていたのでしょうか。
僕のレスリングスタイルは、スタミナを活かして後半にポイントをとるという形です。前半にパッシブ(消極的な姿勢に与えられる注意)をとられて一つ返され、2点とられました。ただとられはしたものの、極力1点で抑えようと考えていて、結果的には最小点数に抑えることができました。後半になってからは、僕の方に全く焦りもなかったですし、後半の中盤に相手のパッシブがとられて僕が上になるところで決めようと考えていたので、そのプラン通りになって良かったです。
――読みどおりの試合展開でしたね。最後に相手選手が飛んでくるのも読んでいたとか。
相手選手は前にあの試合展開で逆転勝ちしていたんですよ。負けている状況であれば絶対やってくるだろうと予想していて、コーチ陣からも「絶対来るから、流しちゃえばいい」と言われていました。高いところから落ちているので、うまく受け流してしまえば絶対点が入るんですよね。あの飛び技が来た瞬間、「よし、来た!」という感じでした。相手もバテてきているので冷静さを欠いていたと思いますし、僕の方はかなり余裕がありました。あれは良かったですね。
――スタミナに自信がある屋比久選手だからこそ、余裕を持って冷静に試合が運べていたのですね。
そうですね。もちろん自分もきついのですが、「自分がきついのだから、相手はもっときついはず」と思うようにしています。相手を追い込んでやっていくのが自分のスタイルで。僕が頑張れば相手はつぶれてくれる感じになりますし、そこは冷静でいられましたね。
――銅メダル獲得という結果について、そしてまた、今後の課題についても教えていただけますか。
相手に対して、終始僕が前に対する圧力をかけて、少しずつ相手の体力を削っていったところ、そして自分が上になった時に決め切ったところが良かったと思う点です。一方で、課題となる部分としては、はじめに1回返されてしまったのですが、あれさえ返されなければ上になった時点で僕が勝ったようなものでしたので、もっと楽な試合展開にできたのかなって思います。しかも、それがもし1回戦だったら、先の試合に向けて体力が温存できたわけですからね。グラウンドのディフェンスで全て失点しているので、その部分を改善できれば決勝にもいけたのではないかと思いますし、同じ勝ちでも確実なものにできるようになるんじゃないかと思います。
――大学の後輩に当たる文田健一郎選手(レスリング男子グレコローマンスタイル60kg級で銀メダル)にもお話をお伺いしました。
健一郎とは学生時代に相部屋でした。
――その部屋からオリンピックのメダルが2個誕生したということですね。
一つ下の後輩になりますが、部屋で指導をしていました。すごく仲良いですよ。
――そうなんですね。思いもひとしおですね。
健一郎が負けた時はすごく悔しい気持ちになりましたし、自分が頑張ろうって思いました。僕が勝った時は健一郎がすごく大喜びしてくれてうれしかったですね。
――銀メダルは唯一負けてもらうメダル。逆に屋比久選手は勝ってつかんだ銅メダルだから喜びがすごく伝わってきて、見ているこちらも幸せな気持ちになりました。
最後勝って終われるというのは、すごく気持ちがいいものですね。
――準決勝で負けてから3位決定戦に向けて、どのように気持ちを切り替えたのでしょうか。
準決勝で負けた日(8月2日)は、健一郎も決勝で負けました。二人ともすごく悔しい思いをしましたが、もう1試合最後に勝てるのは僕だけでしたし、チャンスをもらえたわけですから絶対に勝とうと決めました。その切り替えは難しくなかったです。
――新型コロナウイルス感染症拡大の影響で1年延期となりました。屋比久選手はどう向き合ってきたのでしょうか。
もちろん1年延期にならない方が良かったです。でも1年前だと僕はメダルをとっていないんじゃないかなとも思います。この1年があったから、トレーニングができない期間や施設が利用できない時期に「どうやって自主トレーニングをするのか」と考える時間ができました。そのことはすごくプラスになったと思います。
――いろいろ工夫されたのですね。
公園でレスリングをしたり、自転車で江の島まで行ってみたり、そういうトレーニングも取り入れました。リフレッシュも加えながら楽しくトレーニングをすることに加え、レスリングもできました。順調だったらやらなかったことにもチャレンジできた部分もあったので、ある意味有意義な時間になったと思います。
――延期から1年が経ってもなかなか新型コロナウイルス感染症拡大は収まらず、開催についても疑問視する声もありました。そうした意見はどのように見ていらっしゃいましたか。
いち選手としては絶対開催してほしいという気持ちがありましたが、選手の一存で決められることではないですよね。なかなかコロナ禍も収束しないなかでしたが、このように試合をさせてもらってすごく幸せな時間を過ごせることについては、感謝しなくてはいけないと思っています。
――今後、オリンピックメダリストとして、どのようにスポーツの価値を伝えていきたいと思いますか。
もちろんスポーツを見ない方もいらっしゃると思いますが、それでも僕らが必死に頑張っている姿を見せていきたいと思います。元気が伝染して、ポジティブな気持ちがつながっていけばいいなと思います。
――第1回オリンピックから続いている歴史的な競技だということもあるのでしょうが、レスリングの選手たちは戦った後にお互いをたたえ合います。試合中は本気で戦っていますが、試合が終わればレスリングを愛する仲間たちに戻るところがすごく素敵だと感じています。
もちろん「勝ちにいく」という気持ちでやっているのですが、顔見知りの選手が多いですし、試合が終われば「よっ!」といって握手をするような仲でもあります。一戦交えた相手も、勝ち負けを抜きにして「おめでとう」と言ってくれます。そういうところはレスリングをやっている人や子どもたちだけじゃなくて、多くの皆さんにも見てもらいたいです。
(取材日:2021年8月4日)
■プロフィール
屋比久 翔平(やびく・しょうへい)
1995年1月4日生まれ。沖縄県出身。全日本チャンピオンだった父の影響で、小学4年生からレスリングを始める。日本体育大学3年だった2015年、全日本レスリング選手権初優勝。以後5回の優勝を誇る。21年東京2020オリンピックでオリンピック初出場を果たし、男子グレコローマン77㎏で銅メダルを獲得。綜合警備保障(株)所属。
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