JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
田中 亮明(ボクシング)
男子フライ級 銀メダル
■メダルをとれて良かった
――今回、ボクシングの男子フライ級での銅メダル、ボクシング男子として今回の東京2020オリンピックでは初のメダル獲得となりました。現在の率直な感想をいただけますか。
銅メダルをとることができて素直にうれしいです。
――ボクシングの男子フライ級は61年ぶりのメダルとなりました。最難関の階級とも言われていますが、実際はどういう試合でしたか。
フライ級出場選手の中でおそらく僕が最も実績がなかったと思います。初戦からチャレンジ精神を持って、「番狂わせを起こしてやるぞ」と思って1試合1試合戦っていました。
――破った対戦相手全員がリオデジャネイロオリンピックのメダリストということになりました。戦ってみて、メダリストたちから何かプレッシャーを感じましたか。
初戦の相手がリオデジャネイロオリンピックフライ級の銀メダリスト(ヨエル・フィノルリバス選手)でした。緊張した面もあったのですが、気持ちをしっかり作って勝つことができたので、今まで自分がやってきたことに対してそこでもまた自信を持つことができました。その結果、2回戦でリオデジャネイロ大会フライ級の銅メダリスト(胡建関選手)を、準々決勝ではリオデジャネイロ大会ライトフライ級の銀メダリスト(ユベルヘンエルネイ・マルティネスリバス選手)を破って勝つことができたと思います。
―― 今回のメダルをとれた最大のポイントはどのように田中選手は考えていますか。
オリンピックというこれほど大きな舞台を初めて経験しましたが、たくさんの人に応援してもらったことが僕の中では大きかったです。今回は一歩も引かずに打ち合うスタイルで全試合戦いましたが、それもやはり、応援してくださっている人にかっこいいところを見せたいという思いが強くあったからです。引いて下がっている姿は見せたくなかったですし、そういう思いがあったからこそ最後の最後まで前に出て戦えたので、やはり応援してくださっている皆さんのおかげだと思います。
――大会1年前、その攻めるスタイルに変えました。それによってこの大会の結果にどのように影響したと思いますか。
この攻めるスタイルが今大会はハマったと思います。相手はみんな格上ですので、僕に対して様子を見て入ってくるわけですが、そこに対して僕はしっかり1ラウンド目から攻めることができたので、相手も動揺したと思います。とくに初戦の相手は、僕の映像を分析したとしても、以前は攻めのスタイルで戦ってきてはいなかったので、かなり面食らったのではないかと思います。その初戦の勝利が僕を勢いづけてくれて、おかげで準決勝まで進むことができたのかなと思っています。
――ボクシングをしているなかで、相手が油断しているとか、なめられていると感じるようなことはありましたか。
いや、なめられているとは感じないですけれど、やっぱり、余裕があるなっていう表情はしていました。逆にそこはもうチャンスだなと、僕は思っていました。
――メダルをとってから2夜明けたタイミングとなりますが、実感はいかがですか。
そうですね。こうやって取材を受けていると、「ああ、銅メダルをとったんだな」と思います。
――自分の試合や出演しているテレビなど、自分で自分の映像を見ることもあると思うのですが、そういう立場になって何か違うものはありますか。
正直なところ、僕は「絶対金メダルをとるぞ」と思って、試合に臨んだわけではありませんでした。一つひとつ、どれだけ自分の実力を出し切って、悔いがないように戦えるかだと思っていました。メダルをとっても別にどうということはない、と思っていたのですが、こうやって取材を受けたり、みんなにおめでとうと言ってもらったりすることで、「メダルとって良かったな」とあらためて思っています(笑)。
――攻め続けた準々決勝では、試合後に酸欠で医務室に運ばれました。
そうですね。あの試合は1ラウンド目に力を使って、ポイントもとりに行ったのですが、逆に相手の方にポイントが入ってしまいました。2ラウンド目から本当に意識ももうろうとしてきて、3ラウンド目になると、それまでは判定の時に勝ったら雄叫びを上げていたんですけど、あの時はもう立っているのも精いっぱいで、勝負の判断も頭の中ではできていませんでした。「とにかく早く座りたい」と思っていました。でも判定の結果で僕が勝っていたのがすごくうれしくて、気が抜けてしまったところもありました。ちょっと情けないところも見せてしまったと思います。
――いえいえ。次の試合までには体調の方は戻られたのでしょうか。
はい、そうですね。体調は戻りました。中1日あって次の日は前日のダメージを考えるとあまり動きたくはなかったんですけど、当日計量のため体重が戻ってしまっていることもあって、再度落として準決勝に臨みました。
――1日で体重はどのくらい戻るのでしょうか。
僕は2kgちょっとですね。
――その2kgをまた1日で落とすのですね。
はい。1日というか4時間ですけどね(笑)。
――どのように戻すのでしょうか。
僕の場合はリミットが52kgですけど普段の体重が61kgぐらいあるので、9kg落としています。最後の方は水分を抜いて減量している形になるので、軽量が終わると大概水分だけで 2kgくらい戻ってしまうのです。
――なるほど。準決勝のカルロ・パーラム選手(フィリピン)との戦いでは1ラウンド、2ラウンドと惜しくもポイントをとられてしまいました。最後の3ラウンド目はどのようなことを考えていたのでしょうか。
小山田裕二監督からは、ラウンド間に「最後まで諦めずに精いっぱい戦ってこい」と言われました。正直なところ、僕はその時点では諦めていなかったので、1発でも多く相手に打ち込んでやろうと思っていたのですが、3ラウンド目が終わった時点で倒せなかったことで負けたと分かり、その瞬間に「ああ、これでオリンピックが終わったんだな」と思いました。小山田監督をはじめ日本代表選手団としてサポートしてくれた方々と、応援してくださった方々と、そして、全ての対戦相手が素晴らしい選手だったから良い試合ができたと思いました。そういう人たち全てに、感謝の気持ちがあふれてきました。
■弟の言葉に奮起して
――今回こうしてメダルをとってみて、5年前のリオデジャネイロオリンピックの最終予選で残念な思いをした時のことを思い出しますか。
いや、もうあまり記憶にないです。あの時は確かに悔しかったのですが、その時の自分はまだまだ未熟でした。国際大会を何度も経験しているわけでもありませんでした。やっぱり相手が強い選手だったので、その時はもちろん悔しかったですが、今思い出すようなことはないですね。
――田中選手は普段教師をされているので、普段とは違う自分を生徒の皆さんに見せられたと思います。どのような形で生徒の皆さんは送り出してくれましたか。
生徒は僕がやられているところが想像できないと言っているので、今までそんなこと全然なかったのに「絶対に金メダルとってきてください」とか「メダルが見たいです」とか言って送り出してくれました。
――今後、プロへの転向などは考えられるのでしょうか。
今後については本当に何も決めてなくて、この数日間も、今後の自分のことについては全く考えてないですね。ボクシング競技を始めてずっとこのオリンピックを目指してやってきたので、次のオリンピックをまた目指すのか、今度は違うプロの舞台で戦うのかについては、少し休んでみないと本当にやりたいものが見えてこないかなと思っています。今はこの銅メダルをとった喜びの余韻を楽しみながら、ゆっくり休みたいと思います。
――ボクシングは過去にメダリストが少なくて、過去のメダリスト4人は全てプロに転向しているので、期待されている方も多いと思います。
駒澤大学の先輩で、ロンドンオリンピック銅メダリストの清水聡選手も、今プロで世界チャンピオンを目指して頑張られています。僕も清水選手のように途中でプロ転向する可能性もないわけではないですね。
――プロとして世界チャンピオンにもなった田中恒成選手が弟さんです。そんなご兄弟を育てたお父様は何か言っていらっしゃいましたか。
試合期間中は僕に気を遣って何もメッセージを送ってこなかったです。ただ、岐阜から東京に来る時は、「勝ち負けなんか気にしなくていいから、力を出し切ることに集中してこい」と送り出してくれました。
――弟さんからは、大会前に厳しいコメントが書かれたメモを何枚ももらったと聞きました。
はい。メモをもらったのは2020年の3月、僕がオリンピックに内定した時でした。オリンピックのアジア予選1回戦でとくに実績もない選手に負けた試合を弟が見ていまして。ライブ中継があったので、それをもう一度見てもらい、「俺にアドバイスをください」とお願いしたら本当にチラシのあいたスペース……メモ用紙でもない本当にゴミみたいなやつにボールペンで書いてくれたんですよ。表裏3枚くらいでしたかね、まあダメ出しばっかりで(笑)。とくにスタミナとか足腰の強化の必要性と、どういうボクシングがしたいのかが分からないという感じで言われました。かつて「オリンピックで戦いたい」と言ったら、「向いてないからやめたほうがいいよ」と言われたこともありました。でもそう言われたからこそ、僕はなおさら「やってやろう」と思ってトレーニングに精が出たというところはあります。
――今回大会が1年延期されたことは、プラスに働いたかもしれませんね。
本当にそうですね。僕はあの時オリンピックに出ていたら、結局アジアの何も実績もない選手に1回戦で負けているような選手でしたから。この1年で多分一番成長したと思います。僕以上に、こんな番狂わせを起こした選手はいますかと聞きたいです(笑)。
■負けがオリンピックの勝利に結びついた
――この大会は無観客という形になりました。それは何か影響がありましたか。
影響はありましたね。僕、ファイタースタイルに変えようと思ったのも、東京ですから地元の応援がありますし、攻めている方が会場も盛り上がりますし、盛り上がるシーンが作りたいと思ったからなんですね。実際は無観客になってしまいました。
ただ、無観客でも応援はすごく力になるなと思いました。準々決勝からは地上波で放送してもらえたことも大きかったですね。観客がいたら僕は目立ちたくて力を発揮するタイプだと信じ込んでいたので、観客がいたら金メダルをとっていたかもしれないですけどね(笑)。ただ、無観客でも本当に楽しいオリンピックでした。
――ボクシングの面白さを伝えたいともおっしゃっていました。
100%伝えられたかどうかは分かりませんが、僕は100%の力を出し切ったのでこれ以上は伝えられないです。
――ボクシングやスポーツの素晴らしさは、どのように感じていますか。
3ラウンド殴り合った後に、笑顔でハグできるというのがボクシングの魅力の一つだと思います。あんなに倒したかった相手でも、3ラウンドが終わると勝ち負け関係なくたたえたいという気持ちが湧いてきます。全部の競技に言えることだと思いますが、スポーツの素晴らしいところだと思いますし、ボクシングは本当に最高だなって思います。
――今回ボクシングは女子でもメダルをとりました。とくに女子の選手たちは「ボクシングの裾野を広げたい」というようなお話もされていました。これから先、ボクシングをしたいと思っている人たちに向けてメッセージをいただけますか。
やったら絶対ハマると思います。僕は女子のことは分からないですけど、男子だったら絶対にやった方がいいとオススメします。強いか弱いかは関係なく、戦っている選手はかっこいいですよね。ボクシングだったらなおさら、僕はその子を応援したくなるのでぜひ挑戦してほしいと思います。
――アマチュアとプロとではグローブも違いますよね。
あまり関係ないですよ。プロもアマも今はヘッドギアをつけないですし、オンスも2オンス(約57g)変わりますが、ちょっと大きい程度です。高校生以下はヘッドギアもありますから、カットしたりケガをしたりということもあまりないのですが。危険なスポーツであることはもちろんですが、でも本当にいいスポーツだと思うのでみんなに体験してほしいです。
――ライバルの存在はどのように感じていますか。
ライバルが、その時その時に僕にはいました。僕が勝手にライバルと呼んでいるだけで、向こうはどう思っているかも分からないですが。でも、僕にとって壁である存在がいたからこそここまで続けてこられたかなと思いますし、感謝しています。負けも多くて、戦績もあまり良くないですが、僕はその戦績を誇りに思っています。いっぱい負けたからこそ、このオリンピックの勝利に結びついたと思っています。ライバルにも本当に感謝しています。
――最後に、田中選手にとってオリンピックとはどんな大会でしたか。
オリンピックは、僕にとって最高の舞台でした。そんな舞台を用意して、開催していただき、本当にありがとうという感謝の気持ちしかないです。
(取材日:2021年8月8日)
■プロフィール
田中 亮明(たなか・りょうめい)
1993年10月13日生まれ。岐阜県出身。弟はプロボクシングで3階級制覇した元世界チャンピオンの田中恒成選手。幼い頃から空手を経験し、中学生からボクシングを始める。全日本選手権はフライ級で2015年、16年、19年と優勝経験は3回。母校の中京高校で教員をしながら、東京2020オリンピックを目指す。21年東京2020オリンピックでは、ボクシング男子フライ級で銅メダルを獲得。この階級でのメダルは、1960年のローマ大会以来61年ぶりの快挙となった。中京高等学校所属。
関連リンク
CATEGORIES & TAGS