アテネ2004
代表選手選考会・出場権獲得レポート
苦境を乗り越え、3大会連続でオリンピック出場を決めた男子サッカー
3月18日、サッカー男子(U-23日本代表)が史上初3大会連続のオリンピック出場を決めた。
今回は本当に苦しみ抜いてのオリンピック切符獲得だっただけに、選手をはじめ関係者の喜びも格別であったろう。
昨年5月にアジア1次予選を突破した日本は、最終予選でUAE、バーレーン、レバノンと同じグループに入った。戦前は、世界ランキングや、他の2つのグループの顔ぶれと比較して「御し易い」という声も聞かれたが、蓋を開けてみれば非常に厳しい戦いが待っていたのである。
ダブルセントラル方式となったUAEラウンドを、対バーレーン 0-0、対レバノン 4-0、対UAE 2-0として乗り切り、勝ち点7の首位という最高の形で折り返したかに見えたが、「チームとして最も苦しかった」(山本昌邦監督)のが、このUAE戦であった。実は、ほとんどの選手が2日前から体調不良に襲われ、90分間戦い切ることが難しい状態にあったのだ。そんな中、後半40分を回ってからの2ゴールで勝利。まさに、「勝ちたい」という気持ちだけで勝利を手にした選手たちの頑張りには、山本監督も思わず目頭を熱くした。
一方で、このアクシデントが、日本サッカー界の層の厚さを知らしめることにもなった。というのは、UAEにおける体調不良の影響で2人がチームを離れ、さらに戦術的に2人の選手を入れ替えて日本ラウンドに臨むことになったが、その日本ラウンドから召集された選手たちが大活躍したからだ。
バーレーンに0-1と敗れて窮地に追い込まれたものの、続くレバノン戦では阿部勇樹(ジェフユナイテッド市原)と大久保嘉人(セレッソ大阪)がゴールを決めて2-1の逆転勝ち。
絶対に負けられない最終戦でも、阿部の攻守にわたる活躍と大久保の2ゴールで、UAEを3-0で下し、見事アテネ行きを決めた。
誰が出てもチームコンセプトを理解し、それを遂行して高いパフォーマンスを発揮できるというのは、すなわち、普段のJリーグの中でいかに選手一人一人が高い意識を持ちながらプレイしているかを証明している。
また、当初は昨年8月に行われる予定であった最終予選がSARSなどの影響で半年以上延期になったことも、日本の追い風になった。その間のJリーグや国際大会で経験を積み、飛躍的に成長した21歳以下、19歳以下の選手をチームに加えることが可能となったからだ。
最終予選6試合全てにチームでただ一人フル出場し、山本監督からMVPに値すると評価された今野泰幸(FC東京)は21歳以下、ポストプレーヤーとして攻撃の軸となった平山相太(国見高3年)は19歳以下の選手であった。さらには、田中マルクス闘莉王(浦和レッズ)の帰化申請も、もし、当初の予定通りの開催であれば間に合っていなかっただろう。
日本サッカー協会会長の川渕三郎キャプテンは、出場を決めた選手を誇らしげな表情で見つめながら、こう言った。
「このチームは、オリンピックでも表彰台を狙えるだけの力を持っている」1968年メキシコシティー大会以来36年ぶりのメダルも、決して夢ではない。
Text:中川和彦 Photo:Jリーグフォト