仁川アジア大会
第17回アジア競技大会(2014/仁川)
野球が正式採用された広島大会で金メダルを獲得し、場内を1周する日本代表
野球がアジア大会に正式競技として採用されたのは1994年広島大会だった。五輪ではすでに1992年バルセロナ五輪で実施されていたが、プロ選手の参加は認められておらず、社会人代表で出場した。広島大会も社会人、大学生のチームで臨み、決勝で韓国を6―5で退けて金メダルを獲得した。ソフトバンクの松中信彦(新日鉄君津)、巨人などで活躍して引退した仁志敏久(日本生命)らがメンバーだった。
構図ががらりと変わったのは1998年バンコク大会だった。この年に国際野球連盟(IBAF)が国際大会へのプロ選手の出場を解禁し、韓国やチャイニーズ・タイペイはプロ主体のチームを送り込んできた。アマチュア選手で編成した日本は巨人の主力に成長する阿部慎之助(中大)らで臨んだ。乱打戦となった準決勝のチャイニーズ・タイペイ戦は何とか9―8で競り勝ったものの、韓国相手の決勝は大リーグのドジャースで先発を務める朴賛浩の前に沈黙し、1―13の七回コールド負けを喫した。
プロ選手の参加が叫ばれた2002年釜山大会は9月開催で、シーズン中のプロ野球から主力選手を派遣することはできなかった。社会人、大学生との混成チームにプロからは若手選手を折衷案が取られ、栗原健太(広島)、平野恵一(オリックス)らが送り込まれた。だが、延長戦となった準決勝のチャイニーズ・タイペイ戦に敗れ、3位決定戦で中国を下しての銅メダルにとどまった。2006年ドーハ大会は再びプロ選手抜きの布陣に戻った。社会人を経て巨人に進む長野久義(日大)、楽天からドラフト1位指名の長谷部康平(愛知工大)らが出場したものの、決勝でチャイニーズ・タイペイに敗れた。
プロ主体の最強チームで広州大会を制した韓国ナイン(ロイター=共同)
2010年広州大会は楽天入りする美馬学、阪神1位指名の榎田大樹(ともに東京ガス)の投手陣を擁したが、準決勝でチャイニーズ・タイペイに競り負け銅メダルに終わった。優勝した韓国は米メジャーのインディアンスで22本塁打を放ったアジア屈指の長距離砲・秋信守、日本シリーズを終えたばかりの強行日程を押して代表チームに合流したロッテの金泰均、この年の8月に「世界記録」となる9試合連続本塁打を放ち、自身2度目の三冠王に輝くなど韓国リーグで大活躍した李大浩のプロ3人が主軸を打つ破壊力抜群の打線だった。
社会人チームで臨んだ仁川大会は準決勝でチャイニーズ・タイペイに敗れ、5大会ぶりの金メダルはならなかった。(共同)