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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

(14)体操男子は中国優位 日本はアジアで苦戦
1973年の国際大会で演技する堀出一夫。初代の個人総合金メダリストとなった

1973年の国際大会で演技する堀出一夫。初代の個人総合金メダリストとなった

 アジア大会に体操競技が登場したのは、中国が復帰した1974年テヘラン大会だった。日本の男子は五輪の個人総合を2連覇した加藤沢男や、五輪団体総合優勝メンバーの塚原光男、監物永三らを擁して黄金期が続いていたが、世界選手権と開催時期が近いなどの理由から最強布陣をアジア大会には派遣しなかった。このためは世界選手権で金メダルを獲得して、アジアでは敗れるという逆転現象が生じた。テヘラン大会では個人総合を堀出一夫が制したものの、団体総合の優勝は中国で2010年広州大会まで10連覇を達成している。

ドーハ大会の男子個人総合は中国の楊威が優勝、2位が水鳥寿思、3位は冨田洋之だった

ドーハ大会の男子個人総合は中国の楊威が優勝、2位が水鳥寿思、3位は冨田洋之だった

 世界トップクラスの実力を示すようになった中国と対戦する絶好の機会と捉えるようになってからは、日本もトップクラスを派遣する方針がとられた。だが中国の壁は厚く、個人総合、団体総合ともに優勝者は出ていない。1982年ニューデリー大会の鉄棒での具志堅幸司、1994年広島大会のあん馬での畠田好章、2002年釜山大会の鉄棒での冨田洋之、2006年ドーハ大会でのあん馬の富田、鉄棒での水鳥寿思らが種目別で獲得した金メダルにとどまっている。

 世界選手権と時期が近いとの理由で日本はロンドン五輪の個人総合金メダリスト、内村航平らトップ選手の仁川大会派遣を見送ったが、出場した選手は躍動した。団体総合で中国を抑えて初の金メダルを手にすると、個人総合では神本雄也が日本勢で10大会ぶりに優勝し、山本雅賢も2位に食い込んだ。種目別でも山本雅賢があん馬、神本が平行棒を制し、体操ニッポンの層の厚さを見せつける結果となった。(共同)

 
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