仁川アジア大会
第17回アジア競技大会(2014/仁川)
広島大会で優勝したバレーボール男子
チームで争うボールゲームではサッカー、バスケットボール、水球が第1回大会から男子が実施されている。第3回からはバレーボール、ホッケーが導入され、女子種目も次第に実施されるようになった。日本の優勝回数が最も多いのはバレーボール男子の8度で、1958年の第3回東京大会からは5大会連続の優勝を果たしている。この間、クイック攻撃など独創的な戦術を編み出して、72年ミュンヘン五輪では世界の頂点に立った。その後は韓国、中国、イランなどが台頭し群雄割拠の時代に入ったが、1994年広島大会では地元優勝を果たし、前回の広州大会では4大会ぶりの優勝を手にした。
仁川大会は決勝まで駒を進めたものの、イランに敗れて銀メダルにとどまった。1962年の第4回ジャカルタ大会から5大会連続優勝の女子も1964年東京五輪、1976年モントリオール五輪で金メダルを獲得した時期とアジアでの躍動の時期が重なる。しかし、中国の台頭でその後は優勝から遠ざかっている。
金メダルを胸に喜ぶ日本イレブン。広州大会が初のアジア大会制覇だった
サッカーは苦戦が続いてきた。第1回、第5回で銅メダルを獲得したものの、予選リーグや準々決勝での敗退が続き、Jリーグ発足翌年の1994年広島大会でも三浦知良ら、発足したてのJリーグで活躍する主力選手で臨みながらも、準々決勝で韓国に敗れてメダルには届かなかった。98年バンコク大会からは五輪を目指す若手世代を中心とした編成で臨むようになり、参加資格が原則的に23歳以下となった2002年釜山大会では大久保嘉人、松井大輔らを擁して初めて決勝進出を果たしたが、イランに1―2で敗れて銀メダルだった。前回の2010年広州大会はJリーグで出場機会の少ない選手や大学生主体の編成にもかかわらず、勢いに乗ったチームは決勝でアラブ首長国連邦(UAE)を1―0で退けて初の栄冠を手にした。
佐々木則夫監督が指揮を執った女子は、翌年のワールドカップ(W杯)制覇の中心メンバーとなる澤穂希、宮間あや、川澄奈穂美らが出場し、準決勝で中国、決勝では北朝鮮を退けて初優勝し、アベック優勝を果たした。
仁川大会は男子が準々決勝で韓国に0―1で惜敗し、2大会連続のメダルはならなかった。女子は決勝に進んだものの、北朝鮮の速さ、強さに屈して1―3で敗れた。(共同)