仁川アジア大会
第17回アジア競技大会(2014/仁川)
広島大会の女子シングルスで優勝し、沢松奈生子(右)と握手する伊達公子
2度目の日本開催となった1994年広島大会には、この年の全豪オープンで4強入りを果たすなど世界のトップクラスで戦える選手に成長した伊達公子が出場した。女子シングルスで順当に勝ち上がり、ジュニア時代からのライバル沢松奈生子と決勝で顔を合わせた。すでに日本勢の金、銀のメダル獲得は確定していたが、思いは大きく異なっていた。決勝を前に伊達は「試合はだれのためでもなく、自分のために戦うもの」と話した。日本テニス協会への不満などから一度は不参加を表明した。参加を決めた後も大会直前まで東京で練習を続けるなど独自路線を貫き、自らに優勝というノルマを課しての一戦だった。一方の沢松は「自分が勝てば日の丸が揚がるという思いは、ツアーとは価値が比べられない」と日本代表を強く意識していた。勝負は強烈なストロークを武器にした伊達が6―2、6―4のストレートで沢松に勝ち、第一人者としての貫禄を示した。ダブルスは伊達の後継者に成長していく杉山愛が長塚京子と組んで優勝し、女子は団体戦も含めて3種目を制した。
現役復帰し、4大会ぶりの出場だった広州大会は銅メダルだった
25歳をひとつの区切りと考えていたという伊達は「テニスは好きだが、すべてでない。ウィンブルドンのセンターコートまでいったし、やり残したことはない」と言い残して1996年に26歳の若さで一度引退した。2001年にレーサーのミヒャエル・クルム氏との結婚を経て、2008年に現役復帰した。競技から遠ざかっている間にアジアでは中国のほかチャイニーズ・タイペイ、インドなどが台頭し、日本の地位低下を危惧したクルム伊達公子は2010年広州大会に出場することを決意。40歳での出場はシングルス準決勝で敗れ銅メダルだった。(共同)