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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

(10)上野軸に4連覇 五輪復帰悲願のソフトボール
広州大会で3連覇達成の日本チーム

広州大会で3連覇達成の日本チーム

 ソフトボールがアジア大会に登場したのは1990年の北京大会だった。実施される競技の数が大幅に増えてきた時期で、男子のみの野球とともに女子の競技として正式種目に加わった。初代チャンピオンとなった地元・中国が3大会連続で優勝し、決勝で敗れ続けていた日本が初めて金メダルをつかんだのは2002年釜山大会だった。1次リーグを1位で通過すると、準決勝のチャイニーズ・タイペイ戦も上野由岐子、高山樹里の二枚看板の力投などで10―0の六回コールド勝ち。チャイニーズ・タイペイ、中国の勝者と顔を合わせるはずだった決勝は雨のために中止となり、先に決勝進出を決めていた日本の初制覇が決まった。

ドーハ大会で力投するエース上野由岐子

ドーハ大会で力投するエース上野由岐子

 2006年ドーハ大会はエースに成長した上野がチャイニーズ・タイペイとの決勝で快挙を達成した。上野が「狙っていた」というのは完全試合だった。持ち前の剛速球に、変化球を織り交ぜてチャイニーズ・タイペイ打線を手玉に取った。打線も奮起して五回までに7点を挙げ、五回コールド勝ち。上野は公約通り、一人のランナーも許すことなく投げきった。この勢いを2年後の北京五輪にも持ち込み、日本は悲願の五輪金メダルを手にした。2010年広州大会は中国と決勝で顔を合わせ、2―0で勝った。ここでも上野は1安打完封と好投した。

 ソフトボールは野球とともに北京大会を最後に五輪の実施競技から外れた。仁川アジア大会でも実施するかどうかで揺れたが、野球と合わせて1競技と見なすということで開催が決まった。上野は「優勝できるようにチーム一丸となって戦いたい。(2020年)東京五輪(での実施競技復帰)に向け、少しでもアピールできるように頑張る」と闘志を燃やし、決勝でチャイニーズ・タイペイに6―0と圧勝して4連覇を達成した。(共同)

 
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