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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

(5)スプリントはお家芸 自転車ニッポン
男子スプリントを制し、ウイニングランする神山雄一郎

男子スプリントを制し、ウイニングランする神山雄一郎

 自転車の個人スプリントはトラックを2周する1対1の戦いで、中盤までの駆け引きを経ながら最後を全速力で勝負する。文字通り終盤のスプリント力が問われる種目だ。アジア大会ではこの種目が実施された大会で日本勢が11連覇を達成した。

 1982年の第9回ニューデリー大会では日大在学中の坂本勉が優勝し、2年後のロサンゼルス五輪では自転車競技の日本選手初となる銅メダルにつなげた。1990年代に五輪、アジア大会へのプロ選手の出場が解禁になると、プロの競輪選手がアジアの王座を決める大会に名乗りを上げた。1998年のバンコク大会には賞金王にも輝いている競輪界のスター選手、神山雄一郎が出場した。栃木・作新学院高在学中の1986年にはアマチュアとしてソウル大会に出場し、ポイントレースで銀メダルを手にしていた。「仕事としてだけで自転車に乗るのではなく、世界を舞台にして戦いたい」と勝負の楽しさを追求する神山は、決勝で馬渕紀明との競輪選手対決を制してアジアの頂点に立った。

北津留翼は決勝で敗れ、日本の連勝記録が途切れた

北津留翼は決勝で敗れ、日本の連勝記録が途切れた

 2002年釜山大会は金子貴志、2006年ドーハ大会は北津留翼が優勝し、アジアの舞台では競輪選手が地位を築いた。しかし、前回の2010年広州大会では2連覇を狙った北津留が決勝で中国の張磊に敗れて日本の連勝記録が途切れた。雪辱を期した仁川大会では中川誠一郎、河端朋之の2人の競輪選手が決勝に勝ち上がって日本の金メダル奪回が決定。ロンドン五輪では9位だった35歳のベテラン中川が王座に就いた。

 日本の競輪が発祥のケイリンは釜山大会から採用された。初代王者には競輪選手の太田真一が就いたが、その後の2大会は韓国、マレーシアの選手に屈している。日本勢は3大会ぶりの優勝を狙ったが、決勝では渡辺一成がイラン選手にあと一歩及ばず銀メダルにとどまった。(共同)

 
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