仁川アジア大会
第17回アジア競技大会(2014/仁川)
アジア大会前の日本水泳選手権で力泳する西側よしみ
日本の競泳陣がアジアを席巻していた1970年代に万能女子スイマーといわれた西側よしみは出場したすべての種目に優勝し、2大会で計10個の金メダルを手にした。
1964年の東京五輪で思ったような成績を残せなかった日本の競泳陣の立て直し策として、優秀な選手を集めて集中強化するスイミングクラブが出現した。西側も有望選手の一人として、大阪の山田スイミングクラブで将来の五輪選手を目指して練習に励んでいた。もっとも得意な種目はバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の順番で4種目を泳ぐ個人メドレーだったが、自由形、平泳ぎ、背泳ぎのそれぞれのレースでもでも日本のトップを争う実力を持つ選手だった。急成長を遂げた西側は中学3年で1968年メキシコ五輪の切符を手にし、200㍍個人メドレーで5位に入賞した。
4年に1度の開催という巡り合わせもあって、アジア大会出場は高校2年生だった1970年のバンコク大会が初めてだった。個人種目は100メートル自由形、200メートル自由形と200メートル個人メドレーを制し、アンカーとして自由形を泳いだ400メートルリレー、400メートルメドレーリレーにも勝った。すべて日本新記録という快進撃だった。ミュンヘン五輪を挟んでの1974年テヘラン大会では競技初日の200メートル自由形を日本記録で制すると、前回と同様に出場した5種目すべてで金メダルを手にした。モントリオール五輪後に引退し、ボートの五輪選手だった村山隆志さんと結婚。現在は日本水泳連盟で理事を務めている。
陸上では1982年ニューデリー大会に出場した神奈川・山北高3年の磯崎公美が4個の金メダルを獲得した。200メートル、400メートルの個人種目と400メートルリレー、1600メートルリレーと、出場したすべての種目で1位となった。(共同)