仁川アジア大会
第17回アジア競技大会(2014/仁川)
男子ハンマー投げで5連覇を達成した「アジアの鉄人」
相撲部屋からスカウトがきたというほど体格に恵まれていた室伏重信は静岡・日大三島高校時代にハンマー投げでインターハイ2連覇し、3年生の時には砲丸投げ、円盤投げと合わせて投てき種目3冠を達成していた。五輪出場を目指して日大に進学後、1966年の第5回バンコク大会で初めてアジアの舞台に臨んだが、国際経験を積むという意味もあってハンマー投げのほか、砲丸投げ、円盤投げにも出場した。ハンマー投げは当時の第一人者、菅原武男に次いで銀メダルで、砲丸投げは4位、円盤投げは5位の成績だった。ハンマー投げを専門種目に据えたその後の競技人生では「アジアの鉄人」の称号にふさわしい活躍を見せることとなった。ビデオもない時代、室伏は8ミリカメラで自分のフォームを記録し、トップクラスの選手と比較しながら改善につなげた。アジア大会は社会人となって迎えた1970年バンコク大会で初めて金メダルを獲得すると、2大会連続で日本選手団の主将を任せられた1986年ソウル大会まで5連覇の偉業を達成した。五輪には1972年ミュンヘン五輪から3大会連続で出場、日本選手権でも10連覇と日本の陸上界に確かな足跡を残した。
長男・広治のアジア初挑戦は2位だった
父と同じ種目での挑戦の道を歩みだした長男の広治は、アジア大会初挑戦となった1994年広島大会は父と同じく2位だったが、1998年バンコク大会は78メートル57の大会新記録で制し、2002年釜山大会でも78メートル72に更新して2大会連続の優勝を遂げた。アジアでの活躍をステップにして、2004年アテネ五輪では投てき種目の日本選手として初めての金メダルを手にした。81メートル92の2位で競技を終了したが、優勝したアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピング違反で失格となり、繰り上がり優勝となった。08年北京五輪でも銅メダルを獲得した。(共同)