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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

「限りなき前進 アジア大会」
(4)首都以外で初開催 1994年広島大会
広島大会の開会式で入場行進する日本選手団

広島大会の開会式で入場行進する日本選手団

 平和都市宣言をした広島市で国際的なスポーツイベントの開催を望む声は、1970年代後半から徐々に湧き上がっていた。アジア大会をターゲットにして招致に本格的に乗り出したのは1980年代に入ってからだった。1984年のアジア・オリンピック評議会(OCA)総会で1990年大会の広島招致を表明したが、スポーツ界での躍進が目覚ましかった中国も北京での開催を提案していた。OCAは「どちらの都市も開催能力は十分にある」とし、1990年を北京、1994年を広島と2大会連続で開催都市を決定した。首都以外でのアジア大会は初めてで、その後、2002年の釜山大会(韓国)、2010年広州大会(中国)、2014年仁川大会(韓国)が首都を離れての開催となっている。

 広島大会には史上最多の42カ国・地域が参加した。ソ連崩壊によって独立した中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン(現キルギス)、タジキスタン、トルクメニスタンが初めてアジアの舞台に登場、内戦からの復興途上にあったカンボジアも20年ぶりに選手団を派遣した。一方で、政府間の関係悪化や入国を巡る措置などで態度を硬化させた北朝鮮や、1990年のクェート侵攻で資格停止処分となったイラクは不参加となり、OCA加盟のすべての国・地域の参加は実現しなかった。

閉会式で国旗を掲げて行進する中国選手団。大会終了後に大量のドーピング違反が明らかになった

閉会式で国旗を掲げて行進する中国選手団。大会終了後に大量のドーピング違反が明らかになった

 1994年10月2日に新設された広島広域公園陸上競技場で開会式が行われ、天皇陛下が開会宣言を行った。史上最多の34競技337種目に、ホスト国の日本は唯一全種目エントリーし、日本、中国、韓国の三強対決の図式に変化をもたらそうとしたが、陸上、水泳のほか、射撃、体操、重量挙げ、ボートなど多くの個人競技で二けたの金メダルを荒稼ぎした中国が圧倒し、金メダル争いを独走した。

 しかし、大会期間中に実施されたドーピング検査の分析結果から、複数の中国選手から検出が困難とされていた禁止薬物が見つかり、一大スキャンダルに発展した。水泳7人、カヌー2人、陸上、自転車各1人の計11選手から筋肉増強効果のあるジヒドロテストステロンが検出され、獲得したメダルが剥奪された。中国の金メダルは137個から12個減って125個となり、日本は5個増の64個で、韓国の63個を抜いて2位が確定した。(共同)
 
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