『未来のオリンピアン』
金メダルを取ってプロポーズしたい。
渡辺 一平(水泳・競泳)
第2回ユースオリンピック競技大会(2014/南京) 水泳・競泳 男子200m平泳ぎ 金メダル
1997年3月18日生まれ/大分県出身/早稲田大学1年
(取材日:2015年4月28日 text:中村 聡宏)
平泳ぎのスペシャリスト
小学2年の時に、3歳上の親戚に連れられてプールに行ったのがきっかけです。幼稚園に通っていた頃に、海で溺れた経験もあったそうなのですが、不思議と水への恐怖心はなかったです。
——いつから平泳ぎを。最初から「平泳ぎがいい」と言われたんです。個人メドレーを泳いでいた時期もありますので一応全種目泳げますが、ほぼ平泳ぎ専門で泳いできました。小学3年では県大会で優勝するようになり、小学5年の時にはジュニアオリンピックに出場することもできました。
——水泳をやめたいと思ったことは。小学生の時は地元のスイミングスクールに通っていたのですが、1日4、5時間泳ぐんですよね。この時の練習が人生で一番きつかったです。夏場になると、近所の高校にある屋外の50mプールを使って練習するのですが、夜になると照明が当たらない部分があって、怖い思いをしながら練習していました。毎日ゴーグルの中に涙をためてきつい練習に耐えていましたが、時には逃げ出したこともありました。
——身長はもともと高かったのですか。 中学入学時は158cmですから真ん中からちょっと後ろくらいという感じでした。それが高校に入った時には186cmで、大学に入学した最近では193cm。今でもまだ伸びている気がします(笑)。
タッチ差になった時は、この身長の高さや腕のリーチの長さは、僕自身有利に働くと思っています。
高校時代の飛躍
中学時代もあまり休みはなかったのですが、小学校の頃よりは楽になりました。九州大会で優勝して、中学2年の時には、またジュニアオリンピックにも出られるようになって。伸び悩んだというよりも、小学5年の時のレースでたまたま速いタイムが出てしまったという感じだったので、自分としては着々と記録が伸びてきたと思っていますし、九州大会で優勝できたことは、やる気につながっていました。
——高校に入って、さらに記録が伸びました。高校は、家から自転車と電車を使って40分ほどかかるのですが、自ら希望して佐伯鶴城高校に進学しました。日本オリンピック委員会(JOC)副会長兼専務理事(当時)で日本水泳連盟副会長(当時)を務める青木剛さんの母校で、水泳界では有名な伝統校。プール自体もすごくいい施設でしたし、いつも練習を工夫して楽しませてくれる下城智宏監督と出会えたことも大きかったです。練習中に音楽をかけたり、監督もその音楽に合わせてムーンウォークをしたり(笑)。僕たちを笑わせようと盛り上げてくれて、それに僕が応えて、みんなが笑う。笑顔の絶えない環境でした。
——下城監督の存在は大きいですね。そうですね。監督を見ていて、人を楽しませるための心理学を学びたいと思ったことも、早稲田大学に進学した理由のひとつです。
——大学生活はいかがですか。これまで実家暮らしだったのが寮生活に変わり、1年生なので雑用が多いこともあっていろいろ大変な面もありますが、同室のメンバーとゲームをするなどワイワイ楽しく過ごしています。でも、たまには母のご飯を食べたいなという気持ちもありますけど(笑)。