第1回アテネ大会
国際競技団体も統一ルールも無い時代
第1回大会で実施されたのは陸上、水泳、テニス、体操(ウエイトリフティングが含まれていました)、レスリング、自転車、フェンシング、射撃の8競技、43種目で、これに14ヵ国から241選手が参加しました。
選手はすべて男性で、陸上のトラックは今と逆の時計回り。水泳は競泳のみで、海上(ゼーア湾)で行なわれました。
体操には今と違い、綱上りがあり、レスリング(グレコローマンだけ)は体重制限なし、射撃はライフルだけでした。
ウエイトリフティングは当時、体操の一部として行なわれたのですが、最近になってIOCはこれを独立した競技として認め、実施競技数をひとつ増やし『9』としました。やはり体重制限はなく、試合方法はわかりませんが、片手挙げ、両手挙げがありました。
第28回アテネ大会では28競技301種目が行なわれる予定で、202の国と地域から約10,500人の選手の参加が見込まれています。第1回の大会はこれに比べると問題にならないような小さな規模ですが、それでも9競技、43種目に世界14ヵ国から参加があったのは、画期的なことだったのです。
当時、つまり19世紀末頃、世界のスポーツ界はまだほとんど組織化されていませんでした。各スポーツを国内で統括する団体もそれほどは成立しておらず、試合の多くは大学対抗やクラブ間の交流が主でした。
第1回のオリンピックが開催された1896年時点で存在した国際組織は、国際スケート連盟と欧州体操連盟だけで、バスケットボールとバレーボールは、アメリカで数年前に生まれたばかり。そんなことで各競技で世界を統一した競技規則も、まだ、無かったのです。
したがって、この初めてのオリンピックに参加を呼び掛けること自体が大変であり、競技ルールなどは、当時、世界でもっとも盛んだった団体のもので代用したり、オリンピックのために急ごしらえして間に合わせたのだろうと思われます。
こういう状況でしたから、参加選手は国の代表ではなく、大学やクラブ有志が、いわば個人的に参加したもので、しかもほとんどは自費参加でした(各国のオリンピック委員会を通じて参加するようになったのは、1908年の第4回ロンドン大会から)。それでも、はるばるアメリカからの14人をはじめ、地元ギリシャ以外の13ヵ国から、100名近い人々がやってきたのです。アメリカからは船と列車を乗り継いで約2週間の旅でした。
- 1896年、14ヵ国・241人の選手がアテネに。 第1回オリンピック競技大会
- 国際競技団体も統一ルールも無い時代
- 大観衆を熱狂させた世界初の「マラソン」