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アスリートメッセージ

アスリートメッセージ

冷静な状況判断力と自己分析力を持つ性格。

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笑顔でインタビューに応える川内選手。

だがそれは、偶然そうなった訳ではない。高校3冠を手土産にして専修大学へ進んで以来、大学2年で全日本アマチュアボクシング選手権を制しながらも、川内にはなかなか海外遠征のチャンスがなかった。そんな時期に「力のないうちに行って負け癖がつくよりはいい」「チャンスをもらった時には最初から結果を出すために、今のうちにもっと基礎を、土台を作っておこう」と自らに言い聞かせて練習に励んでいた。その一方で彼は、海外へ行った仲間に試合の話を聞いたり、試合のビデオを観たりして世界と戦う時への準備をしていたのだ。「日本のスタイルでは世界で勝てない」と思っての備えが実を結んだ。

「金メダリストに勝ったからといって、自分の力が世界で通用するとは思いませんでした。でも勝ち進んでいくに連れて緊張してきて。一番緊張したのは北京の切符が懸かった試合でしたね。前の夜も試合のことを考えて眠れなかったんです。興奮状態というか・・・・・・。初めて味わう緊張感でした」

他の選手が撮った対戦相手のビデオを観たような気もするが、はっきりとは覚えていない。1Rは7対3とリードしたが、そこで受け身になってしまって3R終了時点では11対16とリードされる展開。「これは負けるな」と思った。だがセコンドから「どうせ負けるんだったら倒されてもいいから攻めていけ」と言われ、折れかかっていた心に火がついた。アウトボクシングを持ち味とする川内だが、その時ばかりはガンガンと攻めた。
その結果が21対18の逆転劇につながったのだ。

川内は生真面目な子供だった。父親の影響で小学生時代から始めた剣道を、好きではなかったが「途中で投げ出すのは嫌だから」と中学卒業まで続けた。スポーツをやるなら、団体競技ではなく自分の力次第で結果が出る競技をやりたいと思っていた。そんな彼が、ボクシングに興味を持ったのは小学生時代。テレビでやっていたプロボクシングの試合で、最終ラウンドの両者バテバテの攻防をみて「あそこで相手のパンチを避けて打ったら勝てるだろうに。案外簡単なものじゃないかな」と単純に思ったからだ。その頃から彼は、状況を冷静に判断する性格を持っていたといえる。

だが佐賀県はボクシングが盛んではない地域だ。どこでどう習えばいいのかわからないままでいたが、高校へ進学する時にたまたまボクシングジムがあるのを知り、そこへ飛び込んだ。そこがプロボクシングのジムなら、オリンピックを目指すようにはなっていなかっただろう。運命のひとつの別れ道でもあった。

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ナショナルトレーニングセンターにて、トレーニングに集中する。

「高校時代はボクシングをまったく知らなかったから、すべて教えられるままにやっていましたね。走れと言われれば延々と走って。でもそこでボクシングの基本を身につけたと思うんです。だから、今でも僕の基本は高校時代のものだと思うんです」

だが一度は、高校卒業を機にボクシングを止めようとも思っていた。キャプテンになって練習を指示しても、負けん気の強さが出てしまいいつでも一番にならないと気が済まない。自業自得ともいえるハードさに「これをもう4年間やるのは耐えられない」と思ったのだ。だが気が変わって大学進学を決めると、「どうせなら世界を目指そう」という気持ちになった。

そこでまた、川内の運の良さが発揮された。
専修大はボクシングの強豪校とはいえない大学だ。部内には練習相手も少ないため、おのずと自分やボクシングを見つめ直す時間が、しっかりとれたのだ。

「ライバルも豊富にいる環境だったら練習をするだけで強くなるだろうけど、そうじゃなかったから。自分で自分の足りないものを考えて、ひたすらその練習をしていたんです。練習量自体は劣っているかもしれないけど、ボクシングについて考える時間は他の選手よりも人一倍長かったと思いますね。だからこそ、落ち込むこともなく結果を出し続けられたと思うんです」

冷静に自己分析して練習法や戦い方を考えることが、アウトボクシングを信条とする彼の持ち味をさらに引き出したのだろう。

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