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アスリートメッセージ

アスリートメッセージ

スタイリッシュな風貌と、聞くものをとらえて止まない華麗なトーク。
佐々木明選手は一瞬スキープレーヤーであることを忘れてしまうほどタレント性があり、圧倒的な存在感も備えている。

佐々木選手を最も印象付けているのは、スタート順を決める公開ドローで登場するときのユニークなフェイスマスクだろう。時にはスパイダーマン、時にはプロレスラーなどなど。いったい何種類ぐらいマスクを持っているのか、佐々木選手にたずねてみた。

佐々木明選手「マスクをつけるようになって3年ぐらい経ちますが、毎回、違うものを用意します。20個近くは持っていますね。アルペンスキーはヨーロッパで生まれた100分の1秒を争う非常にまじめでストイックな競技です。そのような競技だからエンターテインメント性はまったくありませんでした。そこへ、異国の地から来た日本人の佐々木明が新しい風を吹き込んだんです。それが今は僕のイメージとして定着しています」と佐々木選手は笑って答えた。

そんな彼は2005年3月にスイスのレンツェルハイデで行われたワールドカップ男子回転最終戦で12位の成績を収め、ワールドカップ種目別ランキング15位以内という全日本スキー連盟が定めた選考基準を上回り、ランキング14位という成績で第20回オリンピック冬季競技大会(2006/トリノ)への出場内定を手にした。

佐々木明選手「アルペンスキーだけをしようと思って今に至っているわけではありません。スキー自体が遊びの延長で、今までいろんなスキーをやってきました。スノーボードはまだ始めて間もないですが、プロボーダー並みに滑れますし(笑)。ストリートスキーも大好きだし、いろんなスキーを試していくうちに気づいたらアルペンスキーでオリンピックに出ちゃった、みたいな感じですね」
淡々と語る佐々木選手。

佐々木選手は函館に近い、北海道大野町で生まれ、3歳でスキーを始めた。
「大野町は北海道でありながら道南に位置するため、あまり雪が多くない地域でした。おまけに降るのも遅く溶けるのも早いんです。他の雪国に比べ、スキー選手が多く育つという環境でもなかったので、スキーをするために雪の多い地域にわざわざ行かなくてはいけませんでした。それが逆に雪に対する思い入れ、ありがたみが深くなり、滑ることができる大切さを誰よりも感じていました」

スキーに没頭したおかげでこんな失敗もしたことがある。
「実は僕、建築デザイナーになりたかったんですよ。だから地元の工業高校に行くつもりでした。ところがスキーで遊びすぎて願書を出し忘れてしまいまして……(笑)。今まで頑張ってくれた親のためにも高校にいけないのはまずいと思っていたのですが、幸いスキーをやっていたおかげで、いろんな高校から声をかけて頂くことができました。それで高校でもスキーを続けることになったのです」

佐々木選手はジャンプの船木和喜選手や八木弘和選手などを輩出した名門、小樽市にある北照高等学校に進学。その後メキメキと頭角をあらわし、日本のエースとして確かな実績を築き上げていった。


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