アスリートメッセージ
海や湖の沖に浮かぶヨットは優雅に見えます。でも実際には真剣勝負のレースが行われていることが多いのです。
ヨットは風の力で走ります。その原理は鳥や飛行機と同じように、帆に揚力を発生させて推進力としています。だから風上に向かっても走ることができるのです。
自然の力だけを利用した乗り物を使ったオリンピック競技の種目にセーリングがあることは、ご存知のとおりです。470(ヨンナナマル・以下本文中同)級(男女)、ミストラル級(男女)、レーザー級、ヨーロッパ級(女子)、49er(フォーティーナイナー・以下本文中同)級、フィン級、トーネード級、スター級(男子)、イングリング級(女子)の各艇種別のレースが、今回のアテネオリンピックで行なわれ、その参加艇数は270艇。各国の代表選手数は400人にもなりました。
我が日本からは、フィン、トーネード、スター、イングリング各級を除いた7クラスに10人の日本代表選手が出場。今回のアスリートメッセージでは、470級で実績と豊富な経験を積んだ名選手で、今回のアテネオリンピックには49er級で出場した中村健次選手と、チームを組む高木豊選手にお話を伺っています。ちなみに8月21日に行われた男子470級では、中村選手と高木選手の後輩にあたる関一人選手と轟賢二郎選手が、見事銅メダルを獲得しました。これはオリンピックにおいて男子470級では初のメダルとなりました。49er級の中村選手・高木選手のペアも470級に刺激を受け、ラストスパートしました。
今回のアスリートメッセージは、アテネオリンピック直前、ドイツのキールで行なわれたキールウイークという各国の一流選手が集まるレースに、最終的な調整を兼ねて遠征をするお2人に、トレーニングをする江ノ島ヨットハーバー(神奈川県)でお会いし話を聞きました。
イギリス生まれの49er級は2人乗りで高さ8.20mのメインセールを持ち、艇体の両側から羽根のようなボード(ウイング)を出して、風が吹いた時にはこの上に全身を艇外にのり出して(トラピーズと言います)走ります。これはもっとも効率的なスピードが出せるように艇体をフラットに、かつ安定させるためのものです。オリンピック選手クラスになると、トラピーズをする2人は、ちょっとした風の変化や、海面の波、うねりに対して小刻みに体の出し入れを行ない、艇体のバランス維持に行ないます。セーリングのことを何も知らなくても、この船を目の前で見ると、凄く速そうな乗り物だ、ということは誰でも感じることができます。
アテネオリンピックでこの49er級に乗った日本代表選手は、ベテランの中村健次選手と高木正人選手です。49erのスピードを「時速でいうと40km位は軽く出ますよ」と中村選手が教えてくれました。海の上での時速40kmの体感スピードは約100kmにあたるといいます。あまりにも非日常的なことなので、どう例えればよいのか迷いますが、もしフロントガラスのない自動車で高速道路を時速100kmで走ったらどんなことになるか、想像してみてください。中村選手も高木選手もそのような状況のなかで49erを乗りこなしています。
49er級に乗る2人の悩みは。日本国内に練習相手がいないことだそうです。セーリングのレースは、スタートのホーンが鳴る遥か前から、スタート海面の回りで駆け引きが始まります。ところが日本は49er級の普及が伸びず、日本国内の49erを全部集めても6艇。しかも今年リタイアしたチームもあって船が空いているという状況です。従って世界で戦うことを前提としている二人にとって、国内練習では競争心をかき立てることが非常に難しいのです。そこで登場したのがGPS。しかしGPSはどう走ったか、どれくらいのスピードが出せたかなどのデータ処理は得意ですが、相手を牽制したりする駆け引き(タクティクス)の直接的なトレーニングには向いていません。
「49er級で一番強い国はスペイン、その次がイギリスです」と高木選手。スペインの海は週末ともなるとヨットの帆で海面がいっぱいになるほど、セーリング人口が多い国です。どんな競技にも共通のことですが、競技者が多いほどトップに立つのは大変なこと。セーリング競技人口が多いスペインが強い選手を生み、セーリング競技の強国となるのは当然のことといえます。セーリングでは世界最高峰のマッチレース「アメリカズカップ」で、次回2007年の開催地としてスペインのバレンシアが招致に成功したのも納得できる話です。
今年40歳、東京オリンピックの年に生まれた中村健次選手に、どうしてセーリングを始めたのか聞きました。「高校が霞ヶ浦のそばでヨット部があったからです」。水とヨットががいつも近くにあった中村選手は、茨城県の私立霞ヶ浦高等学校卒業後に入学した日本大学でもヨット部に入部。ヨット一筋。
470級という、ヨット部のある高校、大学の必須種目ともいえるこのクラスに中村選手も乗っていました。「大学生の時に470級の全日本選手権大会で好成績を残せたことがヨットを続ける気持ちにさせてくれました」と中村選手は言います。
その470級で1988年のオリンピック、ソウル大会12位、1994年の広島アジア大会で1位、同年世界選手権では2位と確実な手ごたえを中村選手は感じていました。それなのに「アトランタ大会で470級に出場して、メダルを取るつもりで戦ったのに、思った結果が出せなくて憔悴しきってしまいました。もうなにもしたくないと思い、抜け殻のようになってしまいました」そんな時に出会ったのが49erだったのです。中村選手はセーリングの素晴らしさを「道のない海の上で、風を受けて自由に走れることが楽しいのです。それにゲームだと思うと勝つことが自然と目標になるのです」と表現してくれました。