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2026.07.09 Milano Cortina2026 Medalists’ Voices

リーダーとしての覚悟
4大会10個のメダルを手にしたレジェンドがたどり着いた場所(髙木美帆)

髙木美帆(スケート/スピードスケート)

26年の競技生活に終止符を打つ髙木美帆選手。数々の苦難と向き合い、日本女子史上最多10個のメダルを獲得する極みへとたどり着いた。スピードスケート界を牽引したレジェンドの、仲間とともにミラノで戦ったラストスケーティングを振り返る。

自分が発する言葉に対する責任

――今大会、3つのメダル獲得、おめでとうございます。すべての競技を終え、このオリンピックをどのように振り返りますか。

<髙木> 全種目終えて、本当にいろいろな感情がまだまだあるなと思っています。競技を終えた直後は気が張っていましたし、私自身、自分の気持ちや行動を制御するところがありました。レース直後は、自分の感情を一旦置いたうえで、メディア対応をはじめいろいろなことに対応する時間が続いたので、あまり実感が湧いていなかったのが正直なところです。ただ、部屋に戻ってから一人になる時間やふとした時に、いろいろなシーンでの自分の感情が思い出されてきて……。今はまだすべてを消化し切れていないため、少しずつ噛みしめているというような状況です。一言で表現するのはなかなか難しいですが、いろいろなものを感じたオリンピックだったなと思っています。

――今大会、最後の種目が、髙木選手にとっても思いの強い1500mでした。6位入賞という形でレースを終えて一夜明けました。実際のところどのようなお気持ちでいらっしゃるのですか。

<髙木> 滑っている時は無心でした。無心とは言いながらも、最後の一周は、自分の身体に対して「動け」と言い聞かせながら滑っていました。ただ、その瞬間の映像を見ることは、今はまだ自分でもしんどいかなと感じています。
 一夜明けてというよりも、この一夜の中で感じたのは、ファンの方々、スケート関係者、たくさんの方からメッセージをいただいて、自分が目指してきたものを、みなさんも一緒にすごく願って応援してくださっていたんだなと感じることができて幸せだと思いました。英語で表現すると「Dream」ですが、日本語で表現すると、夢とはまたちょっと違う「目標」になるんですかね……。自分の目標、自分のゴール、そういった目指してきたものに対する思いを考えると、競技の結果に対してしんどく感じるところも結構大きいのですが、それとはまた別に、周りにいるみなさんの温かさを感じることができて幸せだなって感じる気持ちも大きい、その両方の感じがあります。

――こうやって向き合って、あるいは、メディアを通して、髙木選手の受け答えを一つ一つ伺っていると、自分の気持ちを言葉にすることに関して真摯さや丁寧さをものすごく感じます。時にうまく表現できない場合、「言葉にできない」とおっしゃることもありますよね。自分の言葉に対する責任感のようなものを感じて、そこがすごくカッコいいなと思うのですが、その点についてご自身はどのような意識をお持ちなのでしょうか。

<髙木> ありがとうございます。実はその点に関してはエピソードがあるんです。
スピードスケートが盛んな地域で育ったこともあり、私がまだ小学生だった頃から、地元新聞などメディアに取り上げていただくことがたびたびありました。そして、ある新聞記事の中で、自分の本意ではない言葉が表現され表に出てしまった。でも、それをあとから取り消すこともできない。記者さんに自分が意図していない受け取り方をされてしまったことで、すごくショックを受けた出来事でした。

――具体的にはどういう内容だったのですか。

<髙木> 当時の私は、冬はスピードスケート、夏はサッカーと両方をプレーしていたのですが、「サッカーはスピードスケートのためにやっている」というような書き方をされたんです。結果的にそうなっていたのかもしれないのですが、自分としては全然そんなつもりはなく、サッカーはサッカーとして大事にしているものでした。ですから、そのように書かれてしまった時に、次の夏も一緒にサッカーをやる人たちに、どういう風に思われてしまうんだろうと思って怖くなったことをすごく覚えています。実際には、そうした誤解は生まれずに済んで良かったのですが、ただ自分の発言はしっかり最後まで説明しないといけないな、相手に間違って受け取られてしまうこともあるんだなと学びました。当時10歳くらいだったと思います。それ以来、すごく気をつけるようになりました。こうして取材を受けていても、しゃべるのがあまり速くないのも、そういう経験が影響しているところもあると思います。一個一個よく考えながら、これは話していいこと、話してはいけないこと、話すならばどのように伝えるか、どのような情報を足せばいいのかといったことを考えながらお話しするようにしています。

――それは、私たちにはすごくポジティブに伝わってきますし、改めて責任をもってお伝えしたいと感じます。

<髙木>ありがとうございます。

姉・菜那に対する思い

――ちなみに、取材ではない普段のおしゃべりは早口になるんですか。

<髙木> あ、遅いですね(笑)。でも、うちの姉は割と早口ですよね。

――たしかに、髙木選手と比較すると、菜那さんのほうがしゃべりのテンポは速いかもしれませんね。

<髙木> 私は話すのが遅いので、あのペースについていけないんですよ(笑)。ついていけないから自分のペースに落とし込んでいます。ゆっくりしゃべってもらえるように引き込む。速い人たちのペースで会話を聞いていると、ちょっとよそ見しているとついていけなくなります。姉の話や(佐藤)綾乃(選手)の話にはついていけないです。というわけで、取材に限らず、話すのがもともとゆっくりなのかもしれないですね(笑)。

――お姉さんの菜那さんの話が出ましたが、今大会はメディアで大活躍されていました。髙木選手のことを最もよく知る一番のサポーターとして解説し、スピードスケートを盛り上げてくださっていました。最後の1500mを終えて、インタビューエリアでお二人の目が合った瞬間、髙木選手の目に涙があふれるシーンもすごく印象的でした。改めて、髙木選手にとってどのような存在なのですか。

<髙木>8割くらい、見たままの人だと思います(笑)。髙木家にはあまりいないタイプで、すごく天真爛漫です。それは家族の前でも変わらないので、姉が家に来る時は「嵐が起きる」と表現するくらいです。忙しくて、長期滞在もあまりしないので、嵐のように来て嵐のように過ぎ去っていくといった感じなのですが、それはテレビを通して見る姿から想像がつくのではないかなと思います。
その一方で、現実的に物事を考えているところもあると思います。すごく保守的というか、しっかり、きっちりしているところもあります。勢いだけで生きていそうに見えるのですが、意外にも実は全然そういうわけでもなくて。臆病とか心配性とかとはまた違う、いい意味なのですが……。

――慎重なタイプということですかね。

<髙木> あ、慎重ってことではないんです(笑)。自分がやることに対して、徹底的にリサーチする抜かりないタイプの人間ということだと思います。最終判断するにあたって、ものすごい量の情報量を持ってくるようなタイプですね。きちんと考えを組み立て、見通しを立てて生きていくようなところもあるんだと、とくに姉が現役を引退した後に強く感じるようになりました。

――なるほど。実は事前準備や計画が得意なタイプなのですね。

<髙木> はい、とても得意だと思います。なので、旅行に行く時は、ポーンと放り投げて、あとは任せます。「行きたいところはどこ?」と言われて、こことここに行きたいと言えば、もうそれで組み立ててくれるところがあります。

Naoki Nishimura/AFLO SPORT

新たに生まれた感覚

――北京2022冬季オリンピックの際は、菜那さん、そして佐藤綾乃選手とともにインタビューをさせていただきました。女子チームパシュートの決勝では菜那選手の転倒があって銀メダルだったこともあり、失意の中でお話を伺わなければならず、私たちも申し訳ない気持ちになったことを思い出します。あれから4年。チームパシュートについて聞かせてください。佐藤綾乃選手の他に、堀川桃香選手、野明花菜選手が加わる中で、キャプテンとしてメンバーを引っ張る立場でした。しかも同じ隊列のままローテーションをせず先頭で引っ張り続けるフォーメーションに変わり、苦労も大きかったと思います。どのように振り返っていらっしゃいますか。

<髙木> 今回のオリンピックで、チームパシュートで出場している各国のメンバーを見た時に、全部が全部ではないものの、強豪チームの先頭を引っ張る選手は、長距離を主戦場としている人たちでした。一方、私は今季3000mからは離れていて、3000mよりは500mの方が世界のトップに近いというポテンシャル。ですから、レース直前まで、私が先頭を引っ張ることに対して自信を持ち切れていないところがありました。後ろの選手たちに合わせて、少しだけコースどりを変えたり、スケーティングを変えたり、リズムを変えたり、などといったコントロールをするのは得意な方なので、その点では先頭も向いているとは思っていました。ただ、6周をすべて28秒台で滑り切るというのは、普通に考えて私の3000mの能力からしたらほぼ不可能に近いので、自分の能力に自信を持てなかったところがあったんです。
 そのようなわけで、初戦は肩に力が入り、自分で行こうとし過ぎてしまって、最後の失速につながってしまったという反省がありました。そこから2日空いて、500mのレースに出たこともあるのですが、「自分の力だけで滑る必要はない」「後ろの選手たちのプッシングに任せよう」と思えたんですね。それまで後ろの選手たちを信頼してなかったというわけではないのですが、より信頼を置く気持ちが強くなりました。準決勝は「自分はマシンになるだけ」という気持ちでレースに挑んだんです。
 これは聞かれることもなかったので話していないことですが、準決勝の前は、個人種目とはまた違う恐怖心のようなものを感じていました。ただ、恐怖心や責任感を強く持ってしまうと、また肩に力が入って自分で行かなきゃという思いになってしまう。そこで、自分の感情は横に置いて、「自分はマシンになり切るんだ」と自ら心に言い聞かせて挑んだわけです。準決勝のゴール直後も、自分の中ではまだそういうマシン化した状態だったので、結果をパッと見て2番と分かってすぐに「何がダメだったのだろう?」という感情より先に「よし、次は何する?」という切り替えがすばやくできました。
 「私があそこでもう少しこういうことができれば」とか「チームパシュートの本質にもっと早く気づいて、大会期間中にも積み上げができていれば」とか「そもそもそれが予選でできていれば、準決勝の組み合わせも変わって勝てていたかもしれないのに」などといった感情は、レースが終わってしばらくして、タイム差が0.12秒だったことを知ってから時間差で生まれてきたものでした。

――あのレース、髙木選手は先頭を引っ張るマシンに変身しているような感覚だったのですね。

<髙木> はい。そうなり切っていたのだと思います。佐藤が悔しそうな顔をしているのを見て、「あ、そうだよな」とは思いました。でも、次のレースまで時間もないし、メダルをとるためにどうしたらいいかとばかり考えていました。冷静に考えれば、その時点で金、銀以上はとれないことが確定してしまったので、本当は悔しいはずなんですよね。ただ、チームパシュートの3位決定戦が終わるまでは、自分の感情はすごく脇に置いていたところがあったように思います。

Enrico Calderoni/AFLO SPORT

銅メダルへの戦い、そしてその先へ

――準決勝が終わって、ほどなく3位決定戦ということになりました。しかも、堀川選手に代わり野明選手が入り、フォーメーションを変えて挑むレースとなりました。その時も同じ感覚だったのでしょうか。

<髙木> はい、私自身の中では、もうそのままという感じでした。で、野明はスタートもだいぶ速い選手だったので、最初からしっかり行こうという意識でいました。ただ、野明のスタートが少し失敗する形になりました。
 彼女の緊張具合や、レース間隔が開いてたこと、アップしたところからも時間が開いていたことも考慮すると、もうちょっと気を配ってあげられたところはあったのではないか、と少し落ち着いてから思いました。でも、そこまでできる余裕がなかったことは悔やまれるところでもあります。ただ、野明は最後までよく食らいついてきてくれたと思いますし、佐藤も渾身のフォローをしてくれたと思っています。

――レース終盤、野明選手がバランスをちょっと崩す場面がありました。髙木選手も後ろを振り返っていたように、北京2022冬季オリンピックでのレースが少しよぎるようなシーンでした。

<髙木> あ、私は、後ろまで向いていると思っていなかったのですが、たしかに後ろを見ていましたね。腰に紐を巻いて、後ろとコミュニケーションをとれるようにしているのですが、野明にそれを引っ張られたんですよね。

――そうだったんですね。

<髙木> 野明は脚がきつくてしんどいから引っ張ったのか、その時は何のサインなのかわからないと思っていました。引っ張られたのが2回目だったせいか、後ろから音が聞こえたからなのか、私自身もよく分かりませんが、「どうしたんだろう?」という違和感を覚えて一瞬振り返ったのだと思います。それでも、何よりゴールすることの大切さは痛感していました。
 実はレース序盤、先ほど話していたようなマシン感覚だったモードが、リーダーのようなモードにパチンと切り替わる感覚があったんです。状況はすべて把握するぞ、と。野明の状況、対アメリカチームとの距離感、このような場合にゴールまで向かうのにフルパワーで行くべきか、それとも野明の足を考慮しながら落ち着いていくべきか、リズムはどうしよう、リズムを一気に変え過ぎたら後ろが困ってしまわないか……。こういったさまざまな要素をババババッと一瞬のうちに考えていた記憶があります。そのようななかで、コーチからは「ビジョンを見て」といった指示が伝えられて、後ろの様子をスクリーンで確認しつつ、「転ばないで」と願いながら滑っていました。

――そんなことを一瞬のうちにいろいろ考えながら滑っているものなんですね。

<髙木> はい、そうですね。

――トップアスリートたちの感覚はやはりすごいです……。最後になりますが、この4年間はナショナルチームを離れ、そしてご自身で「team GOLD」を立ち上げて挑んだオリンピックでした。振り返って、その決断や取り組みを通して得た手応えなどがあれば教えていただけますか。

<髙木> ナショナルチームにいた時は用意された環境でスケートのことだけ考えて生きてきましたが、スピードスケートを長い間やっている中で、世界が狭くなりがちだと感じていました。得られたものを具体的に提示することは難しいのですが、ナショナルチームにいたままだったら経験できなかったようなことをたくさん学べたと思います。社会に出たわけでもないので、社会経験ができたとまでは言えませんが、スピードスケートやチームが、どういう仕組みで成り立っているのか、どういう方々のどのような助けがあって私たちがここまで来られているのか、こういったことをより深く知ることができたのは、自分が想像もしていなかった経験であり、思い返してみてすごく良かったなと思うことです。そして、仲間に恵まれたということも、自分にとっては財産だなと強く感じています。インターナショナルに挑戦してきたというところもあり、その中での難しさもたしかにありましたが、それを超えるつながりとか、刺激を受けるような経験をたくさん得られたので、何物にも代えがたい自分自身の人生の財産になったと思っています。

――4年前にお話を伺った時以上に、ますます頼もしさを感じながら、お話を伺っていました。これからのご活躍をますます期待しております。丁寧にお話をいただいて、本当にありがとうございます。あらためて、おめでとうございます。

<髙木> こちらこそ、ありがとうございました。

Reuters/AFLO

■プロフィール

髙木美帆(たかぎ・みほ)
1994年5月22日生まれ。北海道出身。日本スピードスケート史上最年少の15歳でバンクーバー2010冬季オリンピックに出場。平昌2018冬季オリンピックでは、チームパシュートで金、1500mで銀、1000mで銅メダルと冬季オリンピックの同一大会で日本女子選手として初めて3種類のメダルを獲得した。主将を務めた北京2022冬季オリンピックでは、個人種目では初となる1000mの金メダルを含む4個のメダルを獲得。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでは、500m、1000m、チームパシュートで銅メダルを獲得。日本女子最多となる通算メダル数を10個に更新。2026年4月、現役引退を発表。イフイング株式会社/TOKIOインカラミ所属。

Enrico Calderoni/AFLO SPORT

注記載
※本インタビューは、出場全種目が終了した翌日(2026年2月21日)に行われたものです。

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