北京2022冬季オリンピックを前に襲ったケガと手術から4年。22歳の佐藤駿選手は、初のオリンピックに挑み、団体で銀、男子シングルで銅と2個のメダルを手にした。フリースケーティングで「火の鳥」を舞い、盟友・鍵山優真選手と並んで立った表彰台から見えた景色とは。
――団体で銀メダル、そしてそこからあまり間もない中でつかんだ男子シングルでも銅メダルと2個のメダルを獲得されました。率直に、どんなお気持ちですか。
<佐藤> 個人に関しては、本当に「信じられない」という思いでいます。メダルが決まってからも全く実感が湧いてこなくて、本当に夢のような気分でした。宿に帰ってからようやく実感が湧いてきたところです。
――SNSやメールなど、たくさんメッセージが届いているのではないでしょうか。
<佐藤> はい、たくさんいただいています。LINEやInstagramのDMなど、いろいろな方々からお祝いのメッセージをいただくことができて、すごくうれしかったです。
――北京2022冬季オリンピックの時は、ケガをして手術をされていました。それから4年、初めてのオリンピックでしたが、そのステージに立った実感はいかがでしたか。
<佐藤> 4年前からは想像できないような光景でした。1年1年、いろいろな課題を乗り越え、力を積み重ねてくることができて良かったと思います。ここまで諦めずにやってこられたのも、日下(匡力)コーチや浅野(敬子)先生のおかげなので、本当に感謝しかないです。
――今シーズンはグランプリシリーズでも優勝するなど、着実に力をつけていると感じました。今大会に向けて手応えや、ご自身の成長実感はあったのでしょうか。
<佐藤> グランプリシリーズで優勝したことですごく自信がつきました。今までの自分は自信という部分が足りず、試合でもそこが出てしまっていたと思います。今シーズンは、その不安が全くなくなったと感じます。
――団体の話から振り返りましょう。アメリカと同点で迎えたフリースケーティングは最終滑走でした。重圧がかかる中で、ノーミスで演じる完璧な滑りだったと思います。涙を流していらっしゃる姿が印象的でしたが、あの時はどのような気持ちだったのでしょうか。
<佐藤> 自分が最後の滑走となり、ものすごく大きなプレッシャーや緊張も感じていました。同点だということも分かっていましたし、(イリア・)マリニン選手に勝ちたいという思いが強かったので、自分としては完璧な演技はできたのですが、あと一歩届かなかったことにすごく悔しさを感じました。
――鍵山選手も「TEAM JAPANの雰囲気がすごく良くて楽しめた」とおっしゃっていました。チーム全員で戦う団体戦は、オリンピックならではの独特な雰囲気もあったと思います。その輪の中で、佐藤選手はどのように感じていらっしゃいましたか。
<佐藤> 本当に最高のチームだと思います。本番を滑る前も「大丈夫だよ!」とたくさんの声をかけてもらって、最終滑走とはいえ、始まる前には意外と気持ちも落ち着いていました。チームのおかげでノーミスの演技ができたと感じています。
――そして個人。男子シングルは、団体から中1日でショートプログラムを滑らなければいけないというスケジュールでした。団体の精神的な重圧もありましたし、体の疲労も残っていたと思いますが、コンディショニングに関してはどのようなことを心がけていましたか。
<佐藤> 体の調整は少し難しい部分も感じたのですが、コンディションとしてはしっかり万全の状態で本番に臨むことができました。疲れもなく、ショートプログラムとフリーをできて良かったと思います。
――そして、ショートプログラムは9位スタートとなりました。団体と違いを感じるところはありましたか。
<佐藤> 団体と違いチームの応援がなくて寂しさを感じたのですが、冒頭の4回転ルッツを決めることができましたし、終始落ち着いていたと思います。ただ、ちょっとしたミスが出てしまい9位スタートになってしまったことは少し残念でした。
――一方で、フリースケーティングはノーミスの本当に素晴らしい滑りに見えました。ご自身は振り返ってどのように感じていますか。
<佐藤> 滑りも良かったですし、ジャンプもしっかり決めることができました。プログラム全体としては団体のフリースケーティングの方が良かったかなとは思うのですが、しっかり得点源のジャンプを降りることができて良かったです。
――そこから残り8人を待つ状況となりました。まず、金メダルを獲得したミハイル・シャイドロフ選手(カザフスタン)が佐藤選手のスコアを超えました。そして残すところ、鍵山選手、マリニン選手の二人という状況で暫定2位。この時点でどのようなことを考えていたのですか。
<佐藤> 正直なところ、まさか最後まで待つことになるとは思っていなかったので、自分でも驚いていました。普段の試合ですと演技後に取材を受けていることが多く、最終グループの選手たちの演技を間近で見る機会というのもなかなかないんですよね。このような機会は滅多にないので、しっかり目に焼きつけながら、いろいろなものを吸収して世界選手権に向けて活かそうという思いで見ていました。
――そして、鍵山選手が暫定2位、佐藤選手が暫定3位となって、最終滑走のマリニン選手を迎えました。私たちも今までに見たことがないようなミスが続く、マリニン選手の演技でしたが、どのような思いでご覧になっていたのでしょうか。
<佐藤> 本当に「珍しいな」と思いながら見ていました。それまでのフリースケーティングではずっとノーミスの演技を見てきたので、(4回転)アクセルがパンクしたところや、普段の練習でも見たことのないようなコケ方をしていたところを見てちょっと心配になりました。
――そして、銅メダルが決まりました。鍵山選手が自分のことのようにすごく喜んでいたのが大変印象的でした。佐藤選手ご自身は、どのように受け止めていましたか。
<佐藤> 自分がメダルをとれるとは、演技が終わった時点では1ミリも思っていなかったので、感情も表せなかったです。「メダルだよ」と言われた時は本当にビックリしました。何より優真がすごく喜んでくれていたので、それが一番うれしかったです。
――佐藤選手は羽生結弦さんが憧れの存在だと公言されています。羽生さんや荒川静香さん同様に、フィギュアスケート界から宮城県出身のオリンピックメダリストが誕生しました。地元・仙台のみなさんに伝えたいことは何かありますか。
<佐藤> 地元では多くのみなさんにたくさんお世話になってきました。まずは、一番お世話になった浪岡秀コーチにお礼と感謝の気持ちを伝えたいです。また、母校である仙台市立高森小学校の4年から6年のみなさんが、大会前に応援のメッセージ動画をつくってくださっていたのを見てすごくビックリしました。覚えていてくれたことがすごくうれしかったですし、その動画を見て自分も「オリンピックでメダルをとっていい恩返しをしたいな」という気持ちを強くしました。仙台の方々には本当に感謝しかありません。
――みなさん、きっとすごく喜んでいると思います。先ほど世界選手権の話もされていたように、休む暇もなく次を見据えている感じが伝わってきます。これからますます注目を集めることになると思いますが、どのようなスケーターとして成長していきたいか、今後の目標を聞かせてください。
<佐藤> 少し怖さもあるのですが、今後新たな4回転ジャンプに挑戦するつもりです。具体的には、4回転アクセルに挑みたいなと思っています。
――大変お疲れのところお時間をいただき、本当にありがとうございました。少しゆっくり休んでいただいて、さらなるご活躍を願っています。
<佐藤> はい、どうもありがとうございました。
佐藤駿(さとう・しゅん)/2004年2月6日生まれ。宮城県出身。5歳でフィギュアスケートを始める。19-20シーズンのジュニアグランプリファイナルで優勝。シニア転向後は北京2022冬季オリンピックを目指したが、シーズン中のケガで手術を余儀なくされ出場を逃す。長いリハビリ期間を経て競技に復帰、24年、25年とグランプリファイナルで2年連続の銅メダルを獲得。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでは、自身初のオリンピック出場を果たし団体銀メダル、男子シングル銅メダルを獲得。同級生の鍵山優真選手と並んで表彰台に立った。26年3月明治大学政治経済学部を卒業。エームサービス所属。
注記載
※本インタビューは2026年2月14日に行われたものです。
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