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稲澤裕子

インタビュー

日本ラグビーフットボール協会 理事

稲澤裕子さん

きっかけ・理由

素人の視点こそ大事なんだ

ラグビー協会理事になったきっかけ

2013年に女子柔道のパワハラ問題が発覚したり、レスリングがオリンピックから外されそうになったりして、スポーツ競技団体に女性理事が誰もいないというのはいかがなものか、ということが日本中で問題になっていました。そういった状況のなかで、当時、理事に女性がいなかった日本ラグビーフットボール協会の専務理事が女性理事候補を探していて、読売新聞社事業局の当時の局長から、私に声がかかりました。

実際に現場で取材している新聞記者が特定の競技団体の理事を引き受けてしまうと、記者としては公平性が保てなくなるのですが、私は当時、全くスポーツの取材をしたことがなく、運動部にいたこともなく、スポーツと縁がなかったのが、当時の局長が私を理事へ推薦する候補に挙げた理由の1つです。

本当にラグビーのラの字も知らない。最初にお話を頂戴したときに、「私、何も知りませんけどいいんですか」といったら、「素人の視点こそ大事なんだ」といわれて、お引き受けした次第です。

気づいたこと

スポーツ組織と一般企業の違い

企業との違い

大きい企業だと、ジョブローテーションや研修が当たり前にあるのですが、組織が小さかったりすると、どうしても1つのセクションにいる専門家にお任せしたほうが安心なので、1人の人が長期間、同じポジションにいるということがよくあります。スポーツ組織にいる職員の方たちの働く環境は、やはり一般企業とはちょっと違うのかな、ということは感じました。

数年重ねて見えてきた変化や課題

スポーツ競技団体の理事という仕事は、基本的にボランティアです。競技団体によって違うと思うのですが、ラグビーフットボール協会の場合は大半がボランティアです。全員が寄付をして参加しています。一部日本協会と雇用関係にある理事もいるのですが、そうでない人がほとんどで、皆さんとてもお忙しいなかで時間と労力と精力を理事の仕事に割いています。そのような人たちの集まりが最終決定権を持っているという、そういう組織そのものが難しいと思っています。

以前は理事会だけで最終決定をしていたので、それを少しスピードアップするために、少しずつ組織を見直そうという議論をしています。ガバナンス委員会もできました。こうして組織を見直しているところですが、ボランティアの人たちが最終決定権を持っていて、しかも月に1回しか理事会が開かれないという、ここをどうするのか。組織全体の見直しが必要かなと思っています。また、何よりも財政的に厳しいのが課題です。

大変・戸惑い

取っかかりが全く見えなかった

理事会で女性は1人だった

当時はラグビーに全く関係がないのは私だけで、私以外は全員プレーヤー経験者でした。女性も私1人だけでした。

長年、新聞記者として、人に話や意見を聞く仕事をしていました。他の人たちは多分「何だ、あいつは」と感じていたと思いますが、私が駆け出しの頃の記者会見といえば、男性ばかりのなかに女性は1人、2人しかおらず、そのような中で質問することを仕事にしてきましたので、女性1人でいることに何の躊躇もありませんでした。

どこから手をつけたらいいのかわからない

どのようにしたらラグビーを見に来てくれる人が増えるのか、競技者を増やせるのか、取っかかりが全く見えませんでした。ワールドカップを日本で開くことはわかっていましたし、今は大会が大成功だったということもわかっていますが、その当時は本当に大会を開催できるのか、お客さんにどうやったら来てもらえるのか、どこから手をつけたらいいのかわからないという感じでした。

私が理事になった2013年は、エディー・ジョーンズ体制でした。私が最初に観た試合がウェールズに初勝利した歴史的な試合で、それが今でも忘れられずに目に焼きついています。そのときにラグビーの力、素晴らしさを実感したんですが、「じゃあ、どうすればこれをみんなに知ってもらえるのか」という道筋はなかなか見えてきませんでした。

現在の課題

この先のラグビー界をどのようにしていくべきかについては、なかなか正解がなく、誰かがどこかで「えいやっ」と方針を決めてやるしかないだろうなと思っています。そこに対して、自分が何をできるかと考えています。今、新リーグ創設に向けた準備が進んでいます。私にできることは、たぶん、皆さんにアイディアを知ってもらうこと、ほかの理事の方やいろいろなチームの人たちと話をし、相談し、彼らの声を聞き、それをフィードバックするということです。自分の役割を探してそれをしていく、あまり多くのことはできないなかで、少しでも自分の役割を探して、それを遂行していくことで解決するしかありません。

理事の仕事

理事としての責任

自分の求められる役割

理事の仕事は誰かに指示されるものでもないので、「何ができるのか」を見つけ、いろいろな人の意見をなるべく協会に反映させていくようにしています。それなりに長く協会にいるため、いろいろな方たちとのつながりもあります。私にできることは、協会のなかだけで物事を決めないで、なるべく周りの方たちの意見を聞いて、それぞれをつないでいく、ということかなと思っています。

やりがい

風穴があいた

協会の変化を感じること

何よりも、ここで(2019年6月に)女性理事が5人に増えたのはとても大きいです。理事会で、私が発言しなくても大丈夫になりました(笑)。議論が本当にオープンになって、女性理事が増えたことはやはりとても大きいと思っています。

ラグビーワールドカップで日本代表がベスト8の目標を達成し、実に多くの方に応援していただきました。また、オリンピック種目になった点も大きかったと思います。JOCの加盟団体となり、他の種目との交流が増えたり、事務局にも外部の情報が入ってきたりするようになりました。そこは大きかったんじゃないかなと思います。

ラグビーの魅力

1つには選手たち。あれだけ体を張って頑張ってくれている選手たちに自分たちは何ができるのか。それから、やっぱりゲームの魅力ですね。面白いので見に来てください(笑)。試合が終われば敵と味方が仲間になる「ノーサイド」もラグビーならではの魅力です。

克服

相談できる人を見つける

しっぽ振って来る犬はみんなかわいい

キャリアのなかでの困難について語れば語り尽くせませんが、ざっくりいえば、相談する相手を作って乗り越えてきました。それは、ときには社内の同僚だったり、ときには外の人たちだったり、異業種交流みたいなものだったり。実に多くの人に助けてもらってきました。

「しっぽ振って来る犬はみんなかわいい」と、誰かに言われたことがあります。勝手にいろいろな人に愚痴を言っていると、そのうち、そのなかで誰かが助けてくれます。

相談する人の選び方

信頼できる人。あと馬が合った人。何よりも女性を蔑視していない人。「女をばかにしているな」とか、嗅覚でわかるじゃないですか。

とても多くの人たちに支えてもらっていますが、そのなかでも勝手に誰かをメンターにしてしまったパターンと、「こんなことがあって困ってるんだけど、聞いて」と勝手に泣きつくパターンと、あとは黙っていても「ああ、つらそうだな」と誰かが助けてくれるパターンと、3つのパターンがあります。

それぞれのケースでいろいろありますが、まず自分の仕事をどう進めていくべきかということについては、読売新聞に入ってすぐに付いた人のもとへ私が勝手に相談に行ってしまっています。読売新聞を辞めた今でも勝手にメンターを作り、勝手に相談に行くということをしています。

支援・試み

ガイドラインとクオータ制

クオータ制が効く

(2018年度JOC主催の)女性役員カンファレンスのときにも話題になっていましたが、やはりぜひJOCでターゲットを決めてほしいです。女性役員を何割にするように、というガイドラインをぜひ作ってほしいです。

世界的に見ても、女性の議員や役員を増やしていく際にはクオータ制が功を奏しています。日本ではクオータ制への抵抗が根強いですが、一番効くのはこれだなと思っています。

メッセージ

私にもできたからあなたにもできる

まずは引き受けてみる

「スポーツには社会を変える力がある」といったのは南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラさんですが、私も本当にそう思います。そして何より楽しいじゃないですか。負けても楽しい(笑)。

私にもできたのですから、あなたにもできます。私は本当にラグビーのことは何も知らなかったんです。「お前、じゃあ何やっているんだ」と言われそうですけれども、私にもできたのですから、あなたにもできます。

強味

素人目線が必要だ

素人の意見をドンドン出すことが私の役割

私が理事になった理由は、まだ他にもあります。特に当時のラグビー協会には素人の目線が必要だと言われました。当時ラグビーは全く人気がなかったので、ラグビーを知らない人たちにいかにラグビーを観に来てもらうか、ラグビーを知らない人たちにラグビーをどう普及させるか、というのが最大の課題でした。ですので、ラグビー全体の普及や観客増員のためにはどうしたらいいか、ラグビーを知らない立場からの意見を反映するようにと言われました。

広報委員会と安全対策委員会の2つの委員会の担当にもなりましたので、その委員会と理事会のそれぞれで意見をいうのが私の仕事でした。勉強会やメディア懇親会を開いたり、記者たちの意見を聞いたり、“本業”をどれだけ生かせるかが求められていたと思います。

当時は広報誌を広報委員会でも作っていて、関東と関西と九州の地域協会の広報の方たちとも情報交換をしつつ、どのようにして広報していくかを議論していました。また、協会内部に広報部があり、当時は委員会と一緒に動いていたので、広報部員のいろいろな相談に乗るなどもしていました。