オリンピックの歴史
1.オリンピックの誕生
1896年に始まった近代オリンピック。その前身となったのは古代ギリシアで行われていた「オリンピア祭典競技」、いわゆる古代オリンピックです。
古代オリンピックが始まったのは、考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろとされています。現代のオリンピックは世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典ですが、古代オリンピックはギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事でした。
全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だったのです。考古学的な研究によって、当時のギリシアにはオリンピア地方で行われていた「オリンピア祭典競技」のほかに、コリント地方の「イストミアン・ゲームズ」、ネメア地方の「ネメアン・ゲームズ」、デルフォイ地方の「ピシアン・ゲ ームズ」などが4大祭典競技として知られています。
オリンピックが4年に1度開かれる理由
オリンピックが開催されるのは4年に1度。その理由にはいくつかの説があります。
最も有力なのは、古代ギリシア人が太陰歴を使っていたからという説です。現代、一般的に使われている太陽暦の8年が、太陰暦の8年と3カ月にほぼ等しいことから、8年という周期は古代ギリシア人にとって重要な意味をもっていたのです。暦を司るのは神官であり8年ごとに祭典が開かれるようになり、後に半分の4年周期となりました。太陰暦では49カ月と50カ月間隔を交互にして開催されていたようです。
最初のオリンピック種目
古代オリンピックで最初に行われた競技は、1スタディオン(約191m)のコース を走る「競走」でした。オリンピアの聖地には、競走のための「スタディオン」が築かれていました。スタディオンは長さ約215m、幅約30mの広場を高い盛り土がスタンドのように囲んだ施設(貴賓席として白い大理石のベンチも用意されていた)です。1スタディオンという距離は、このスタディオンの競技場が基準となった単位なのです。
紀元前776年の第1回大会から紀元前728年の第13回大会まで、古代オリンピックで開かれていたのは競走1種目だけでした。1スタディオンはゼウスの足裏600歩分に相当し、ヘラクレスがこの距離を実測したとも伝えられています。
古代オリンピックのさまざまな種目
その後、古代オリンピックは種目の数を増やしより大きな祭典へと発展していきます。伝説や考古学的研究によってわかっている古代オリンピックの歴史を、競技種目のあらましによってたどってみましょう。
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ディアロウス競走
紀元前724年の第14回大会から、2スタディオンの距離を走る中距離競走が種目に加わった。ちょうど現在の400mに相当し、スピードと持久力が必要な競技だった。
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ドリコス競走
第15回大会からは長距離競走も実施されるようになりました。その距離は大会によって変更されたようですが、スタディオンの直線路を10往復する競技でした。現在の陸上競技のようにタイムを計測するわけではないので、競技者はスローペースで駆け引きを繰り広げ、最後のスパートで勝負を決したようです。
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ペンタスロン
紀元前708年の第18回大会から、ペンタスロンといわれる五種競技が始まりました。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目を一人の選手がこなす競技で、3種目以上を制した者が優勝者と認定されていたようです。
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レスリング
ペンタスロンで行われたレスリングが、紀元前668年の第23回大会から単独の競技として実施されるようになりました。
立ったままの姿勢から(投げるために片膝をつくことは認められていた)相手を持ち上げて投げる競技で、正しく美しいフォームで投げなくてはなりませんでした。時間制限はなく、勝敗が決するまでに長い時間がかかる過酷な競技だったようです。
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ボクシング
レスリングと同じ大会から、ボクシングも始まりました。レスリングと同様に時間制限もインターバルもなく、たとえ倒されても敗北を認めない限り相手の攻撃は止まりません。さらに体重別の階級はなく、グローブの代わりに敵へのダメージを大きくするための革ひも(のちに金属の鋲まで埋め込まれた)を拳に巻いての殴り合いだったようです。
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戦車競走
紀元前680年の第25回大会からは、48スタディオンの距離で争われる4頭立ての戦車競走が始まりました。また、第33回大会(紀元前648年)からは競馬競走も行われたようです。こうした競技はスタディオンの南に位置するヒッポドロモスで開催されていたらしいのですが、現在でも未発掘のため詳細はわかっていません。
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パンクラティオン
第33回大会からは、パンクラティオンという格闘技もオリンピック競技に加わりました。ギリシア語で「パン」とは「すべての」を、「クラティオン」は「力強い」を意味します。素手ならどんな攻撃をしてもよいというルールで、間接技や首を絞めることも許され、ボクシングと同じようにどちらかが敗北を認めない限りは勝負が決することのない熾烈な競技でした。
オリンピックの聖なる休戦
古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです。これが「聖なる休戦」です。オリンピアからアテネまでの距離は約360km、スパルタまでは130km。武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月ほどになったといわれています。
古代オリンピックの終焉
紀元前146年、ギリシアはローマ帝国に支配されます。古代オリンピックはギリシア人以外の参加を認めていませんでしたが、ローマが支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになり、次第に変容を遂げていきます。さらに392年、ローマのテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定めたことで、オリンピア信仰を維持することは困難となりました。最後の古代オリンピックが開催されたのは393年の第293回オリンピック競技大祭。戦乱を乗り越え、1169年間も受け継がれた伝統は、終焉の時を迎えたのです。
近代オリンピックのはじまり
古代オリンピックの火が途絶えて1500年の時が流れた1892年。フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は、ソルボンヌ講堂で行った「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演の中で、初めてオリンピック復興の構想を明らかにしました。その理想は次第に世界中の国々の賛同を得ることに成功し、1896年、記念すべき第1回大会がオリンピックのふるさとであるギリシアのアテネで開催されたのです。
※参考書籍『近代オリンピック100年の歩み』(監修/財団法人日本オリンピック委員会 発行/ベースボールマガジン社)
- オリンピックの誕生
- 近代オリンピックの始まり
- 激動の時代を迎えたオリンピック
- 再び世界を明るく照らす聖火
- 新世紀も輝く栄光の舞台