オリンピックデー・フェスタの10年
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5被災地を回り、同じ場所を繰り返し訪問することは少ないようでした。 一方で、被災地の人々は、誰もが誰かしら大切な人を失っています。失うことの怖さを知っています。「1回きりなんでしょ」という子どもの言葉に、〝望んではいけないのだ〟という、あきらめのようなものが感じられました。  この活動は、被災地のみなさんに寄り添うことも、笑顔になっていただくことと同様に大切なテーマとしています。たくさんの場所に足を運び、多くの人と触れ合うことを考えてきたけれど、必要としてくれるところに何度でも足を運び、より深い絆を結ぶことも大切なのではないか、そんな気づきを与えてくれた一言でした。「違うよ、また来るよ!」 こうして始まったオリンピックデー・フェスタは、10年間でのべ867名のオリンピアン・パラリンピアン・アスリートが被災地に足を運び、たくさんの笑顔でみんながつながったのです。その記録をここに残させていただきます。 引き続き、未来に向けて。公益財団法人 日本オリンピック委員会事務局顧問/復興支援プロジェクト推進室長 平  眞※写真 1~6 大船渡市市民文化会館「リアスホール」での活動 7~9 宮部行範と子どもたち 11~12 5月13日・市原則之専務理事、橋本聖子理事、荒木田裕子理事、大山加奈氏(バレーボール)の「リアスホール」訪問 13~15 2011年10月10日オリンピックデー・フェスタin仙台、東松島の記録 16   2011年10月10日 仙台(宮城)ヤン氏に来場いただき、JOC「がんばれ!ニッポン!」プロジェクト、「オリンピックデー・フェスタ〜スポーツから生まれる、笑顔がある。〜」が幕を開けました。 参加者のみなさんにはこの時間だけでも楽しさを味わっていただきたい。笑顔で過ごしていただきたい、とオリンピアンと参加者が一丸となって、一生懸命遊びました。 * この日を皮切りに、オリンピアンとともに被災地を飛び回りました。この当時の目標は、3年間で60か所を回ること。なるべく多くの被災地を回り、支援活動を行おう、と考えていました。 ところが、この考えを覆す出来事が起きます。 ある地区でのデー・フェスタで、小さな男の子が寄ってきて、こう訊いてきたのです。「ねぇ、もう来ないんでしょ?」「えっ」 その子の寂しそうな表情に、私はハッとさせられました。 当時、スポーツ選手はもちろん、たくさんの芸能人が被災地に足を運んでいました。とはいえ、少しでも多くの被災地を訪問したい、という思いがあるからでしょう。みなさん、駆け足で1515161614141313

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