オリンピックデー・フェスタの10年
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2013年9月29日 石巻(宮城)2013年9月29日 石巻(宮城)56 被災地・宮城県の出身ですが、このオリンピックデー・フェスタで東日本大震災の本当の部分を意識するようになり、〝オリンピアンとしてできることをやっていきたい〟という気持ちが強くなりました。 というのも、実は震災を遠征先のドイツで知ったからです。あの日テレビニュースでは、ただただ津波の映像が流され続け、状況が何もわかりませんでした。家族に電話をしてもつながらず、試合どころではなくなってしまった。いろんな方々が安否確認をしてくださって、家族の無事がわかりました。 帰国後、すぐに宮城に帰ろうと思ったのですが、両親からは止められました。それどころではなかったのでしょう。実際、家の中はメチャクチャになり、当時は家族で車中泊をしていたと聞いています。ただ元気でいてくれたことが救いでした。オリンピック出場メンバーに決まったことを報告するため、一度帰京しましたが、そのときも両親は僕に心配をかけないようにと被害の少ないところを見せてくれていたので、本当の意味で被災の現実を見たのは、デー・フェスタだったのです。実際に被災地の方から話をうかがい、被害を見せていただき、見るべきことはしっかり自分の目で見なければいけないと感じました。 あれから10年が経ち、復興も進んでいますが、まだこれからだなというところもやはりあって、こういう光景を見るたびに忘れてはいけないという気持ちが強くなります。想像を絶するようなことが実際にあった、その現実をしっかり受け止めて、自分に何ができてきたのか、これから何ができるのか、改めて考えさせられます。アスリートとしても、指導者としても常に、『頑張ろう、東北』という気持ちで行動し、できることはやっているつもりですが、今も残る爪痕を見ると本当にできているのか、不安になって。それも含めて、震災を忘れないということなのだなと思いました。 デー・フェスタ自体は本当に楽しい。デー・フェスタほど近い距離で触れ合って、コミュニケーションがとれるイベントは、ほとんどありません。僕の名前を覚えてくれて、「淡路さんも一緒に頑張ろうね」って言われるととても嬉しくて、何度でも参加したいイベントですね(笑)。当時、触れ合った子たちともう一度会ってみたいし、今の子どもたちにスポーツの良さ、楽しいことはいっぱいあるよって実際に伝えたい。 そんなデー・フェスタは僕にとって、「楽しみを共有できる場所。夢を共有できる場所」。これだけ子どもたちと一体になれる企画はそうそうないと思います。オリンピアン・インタビュー Voiceフェンシング ロンドン2012大会(男子フルーレ団体)銀メダル淡路 卓楽しみを共有できる場所であり、夢を共有できる場所

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