オリンピックデー・フェスタの10年
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特別座談会30オリンピックデー・フェスタの10年 ̄小野寺 そうなんですけど、例えば、コロナウイルスが日本に入ってきた最初の頃、中国からの帰国者が千葉県のホテルで隔離生活を送る、ということがあったじゃないですか。このとき、地元の方々が滞在者を励ますために、窓から見える砂浜に文字を描いたってニュースが流れましたよね。ああいう発想ができないなって思うんですよね。杉本 あの発想は確かになかなかできない。小野寺 よしんば思いついたとしても、それをやったところで人が喜ぶかなとか、いろいろと考えてしまうんです。齋藤 だからこそ、こうした活動に参加させていただき、そこでたくさん恩返しをすればいいのではないかな。小野寺 そうですね。こういう機会をつくっていただけることには本当に感謝していますし、大事にしたいなって思っています。田中 被災地訪問という話に戻すと、私は福島の避難指示区域にバスで入らせていただいたことがあります。その地域だけ時間が止まっているような光景を実際に見ました。特に驚いたのが小学校に足を運んだときで、7年前、その瞬間で止まっている時計、剥がれた床、ランドセル、名前が書かれた上靴などそのままで、えていただいた教訓を、自分たちが伝えることで風化させないこと。私はキャリア教育にも携わっているので、語り部さんから教わったこと、もしも地震があったらまずはどこに逃げるのか、一次避難場所、二次避難場所などといったことを授業で教えるようになりましたね。大山 伝えるというと、東北の魅力を伝えることも私たちの役割かなと考えています。例えば、福島で風評被害を受けていた果樹園の美味しいフルーツをいただいたりしたら「すごく美味しかったですよ」ってSNSで伝える。これも東北の人たちの力になると思うので、そういう役割も担っていきたいなと思いますね。馬渕 風評被害も大きいですよね、美味しいのに。杉本 それでも、心折れずに頑張っていらっしゃるみなさんを見ると、心の強さを感じるし、すごいなって思いますね。小野寺 本当ですね。でも、その一方で、自分の心が育ってないって感じることが私はあります。被災地に派遣をしていただき、自分のやれることをやらせていただこう、と毎回思っているんですが、自分個人としてできることと考えると少ないな、って。反省しています。齋藤 それはみんなそうですよ。個人ではなかなか難しい。にだけ寄ったんでしたね。あのときは本当に怖くて不安だったっていうか、あれよりももっともっと怖い思いを(被災地の)みなさんはされているのだと思ったら、なんかもうねえ、身をもって実感しましたね。 それにしても、あのとき通常の朝ごはんの用意ができなかったから、と配ってくださったおにぎり! すごく美味しかったな。杉本 本当、美味しかった(笑)。あのホテルも多くの被害を受けていたところでしたよね。その経験をもとに、いろいろと気を配ってくださって。中村 経験っていうと、被災地を回って現状を見たり聞いたりした際、「この状況をいろいろな人に伝えてください」って、多くの方に言われたことが私は一番印象に残っていますね。被災された方のお話を聞き、それを多くの人に伝えることが私たちの大事な使命だ、と思うようになりました。 今、日本各地で災害に見舞われています。その中で、東日本大震災を風化させないためにも、被災地の方が感じたことを伝え、これからにつなげていく。それがこれからできる一番大事なことなのだと考えています。齋藤 確かに。現地の語り部さんから教2018年10月16日 ふたば(7年前のまま/福島)2018年11月4日 福島市(福島)

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