オリンピックデー・フェスタの10年
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特別座談会29︳オリンピックデー・フェスタの10年たら、子どもたちがとても喜んでくれて。それが〝これからも東北に足を運び続ける〟と決めた瞬間でした。小野寺 私は震災から4、5か月経ってから、陸前高田へ瓦礫撤去のボランティアに行きました。それが被災地に足を運んだ最初なんですが、何て言ったらいいかわからない、本当に言葉にならない状況でした。大山 印象に残っていることといえば、地震がきて避難したデー・フェスタ(注2)もありましたよね。中村 あった、あった。杉本さんは移動中だったんだよね。杉本 そう、そう! 夜行バスに乗って被災地に向かっていました。バスは急に動かなくなるし、一人だったからどうしたらいいんだろうって、すごく不安になって運営スタッフに連絡したら、「すぐに行きますから」って言ってもらえて。(電話が)つながったことだけでも安心することができたし、このとき、改めて人は一人では生きていけないと強く思いましたね。デー・フェスタは中止になってできなかったけど、〝人間っていいな〟ってつくづく感じた回でした。大山 デー・フェスタが中止になり、学校は休校になったけれど、校長先生が学校に残っていてくださったので、ご挨拶験しているのですが、本当にたくさんのアスリートが新潟県に来てくれたのを見て、〝こんなにたくさんの人が新潟県を応援してくれている〟って思ったんですね。訪れる方は〝何かしなければ〟と考えがちですが、きっと参加してくれているみなさんはオリンピアンが来たということだけで喜んでくれていると思います。それよりも、私たちが本気で頑張る姿が参加者のみなさんにも伝わり、そこから笑顔が生まれ、パワーになって、元気につながっていくということ、デー・フェスタを通じて感じますね。齋藤 そこだよね。我々が楽しんでないと参加したみなさんも楽しくない。楽しい思いが伝わって、一緒にやるみなさんも楽しくなっていくのかと思いますね。被災地で感じたこと、聞いたことを伝えることも、私たちの使命――では、被災地訪問で印象に残っていることはありますか?大山 私が最初に被災地に足を運んだのは震災が起きてまもない頃、岩手県の陸前高田市と大船渡市でした。そんな時期ですからまだ何も手をつけられていない状態で、本当に行っていいのかという不安はありました。でも、実際に会いに行っ中村 みんな真剣なんですよね(笑)。大山 私が印象に残っているのは「おばあちゃんデー・フェスタ」(笑)。子どもたちが少なく、ご高齢の方がたくさん参加してくださった回だったので勝手にそう呼んでいるのですが、忘れられないデー・フェスタです。綱引きをやったのですが、みんな本気でやるんですよ! こっちの方がもう怖くて、怖くて(苦笑)。田中 大槌町? 大山 そう。「勝った」って、飛び上がって喜んでいる姿がすごく印象に残っています。スポーツってやっぱりいいな、ということを改めて感じさせられたデー・フェスタでした。田中 『スポーツから生まれる、笑顔がある。』っていうワードがすごく素敵ですよね。オリンピック・パラリンピックもそうですが、言葉が通じなくても、世界中の人たちとスポーツを通して一つの目標や課題に向かい、全力で頑張ることでお互いにリスペクトできる。まっすぐな気持ちで頑張ってその結果、成績に関係なく、素敵な笑顔で終われる。そこがスポーツの良さだと思うんですよ。だから、このデー・フェスタの言葉を見たとき「あっわかる、わかる!」って感じたんですよね。中村 私も、中越地震、中越沖地震を経2017年9月30日 大槌(岩手/おばあちゃんデー・フェスタ)(注2)岩手県下閉伊郡山田町、船越小学校で予定されていたデー・フェスタ。早朝、福島県沖で地震が発生し、津波注意報が発令された2016年11月22日 船越小学校(岩手)2011年5月13日 大船渡(岩手)

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